忌まわしい過去

「すまないが、今日の文化祭は取り止めだ。各自片付けに入ってくれ」


 翌日、学園に登校すると教室で担任からそう告げられ、教室がざわめく。みんなテーブルには腰掛けず、方々で立っていた。


 今日は文化祭二日目。つまりは最終日だ。取り止めということはイコール文化祭終了を意味している。突然の報告になぜ? と疑問を浮かべる者もいれば、原因とされる昨日の出来事を既に知っていて、やっぱりと納得する者もいる。それでも残念そうな表情をしていたが、たぶん私だけはみんなとは違う感情を抱いていた。


 文化祭の中止はもちろん同じ様に残念である。しかし、私の場合はそれだけでは終わらない。犯人候補として警察に話を聞かれ、連行とまではいかなかったが、今もなお疑いを持たれている。その疑いを晴らすため、別の意味でむしろこれからが本番だった。


「先生、何で中止になったんですか?」


 事情を知らない生徒の内の一人が手を上げて質問した。その質問に先生は言い淀み、私を一瞥する。不安そうな表情で、言おうか言うまいか迷っているようだ。おそらく、学園から事を荒立てないよう口止めされているはずだし、余計な不安も募らせないよう指示されているのではないだろうか。しかも、ここには警察に話を聞かれた本人である私がいるのだ。気遣ってくれてもいるのだろう。


 しかし、説明がない方が話が広まる可能性もある。私達の年代は話題に敏感だ。説明があれば他人にも話したくなるし、口を閉ざすことはできないだろう。だが、説明がなければ想像で膨らませてしまう事もまた事実だ。そうなれば、あることないこと言いたい放題。事を荒立てたくないどころか、悪化してしまう可能性だってある。


 目線に気づいた私は小さく頷き、大丈夫であることを伝えると先生は了承し、自分が話したことは内緒にするようにと前置きをしてから話を始めた。


「たぶん、もうすでにこの中の何人かは知っているだろうが、昨日ウチの生徒の一人が何者かに刺されたんだ」


 息を呑む音があちこちで聞こえる。すでに知っている者も改めて伝えられると、その重大さを再認識したのだろう緊張が走るのを肌で感じ取れた。


「すぐに救急車を呼び搬送したんだが、刺さり処が悪かったらしく、残念なことにその生徒は病院で息を引き取った」


 死んじゃったんだ……。


 これは初耳だったが、事件の事を聞いてから最悪の予想はしていた。しかし、実際に言われると予想以上に気が落ち込んだ。


 誰一人身じろぎもせず、まるでメデューサに石にされたかのように立ち尽くしている。先生の声だけが教室を支配していた。


「昨日、急遽文化祭を中止し、みんなを帰らせたのはそういう理由だ。傷害事件が起きながら続けるわけにはいかないからな」

「先生、あの……その生徒って誰なんですか?」


 ムードメーカーの渡利が声を発した。いつもの明るい声質ではなく、不安と心配が含まれている。


「三年生の男子生徒だ。名前は沖矢卓おきやすぐる君だ。すぐに知られるだろうから先に教えておく」


 渡利を皮切りにみんなが次々と質問を先生に浴びせ始めた。


「何でその生徒は刺されたんですか?」

「分からない。突然の事だったから詳しくは」

「どこで起きたんですか?」

「三階のお化け屋敷を開いていた教室みたいだ。そこで沖矢君は刺された」

「トラブルかなんかですか?」

「いや、それも分からない。今はまだ調べている段階だ」


 先生はそう答えるが、それが嘘だということを私は知っている。昨日の職員室で警察からの話を私と一緒に聞いたのだ。説明すると言ってもすべて包み隠さず話すわけではないのだろう。そうなれば私の事まで話さなければならない。先生の細かい気遣いに感謝した。


「刺された、って事は誰かがやったって事ですよね。その人は捕まったんですか?」


 残念そうに、先生が首を横に振った。


「まだらしい。警察も今現在調査をしている」


 再び教室がざわめきだす。沖矢という生徒が亡くなったわけだから、これは傷害事件ではなく殺人事件へと変わったのだ。しかも、その犯人はまだ捕まっていない。みんなの落ち着きがなくなるのも無理はないだろう。


「だからみんな、しばらくは一人では登下校しないようにしてくれ。出来るなら親御さんに送り迎えしてもらいたいが、ご家族の都合でそれができない者もいるだろう。そういう者は必ず誰かと一緒に登下校してほしい。あと、何か見たり聞いたりしたことがあれば先生に教えること。今言ったみたいに沖矢君を刺した人物はまだ捕まっていない。警察が捜査しているが、その人物の特定、逮捕まで導くためには君達の協力も不可欠だ。頼むぞ? それじゃあ、各自片付けに取り掛かってくれ」


 そういい終えると、先生は教室から姿を消した。


 だが、私達はしばらくその場から動くことができず、不安そうにオロオロしている。ようやく行動ができたのは、朝礼の終了チャイムがなった時だった。


****


「はあ~、なんか身体がだるいな~」


 気だるそうに溜め息を付きながら、隣で並んで歩く明里が口を開いた。


 学校で片付けを終えた私達は、先生の指示通り二人以上で帰宅を開始した。といっても、私はいつも通り明里と一緒に家へと向かっている。


「明日は学校休みなんだよね?」

「うん。本当は今日も文化祭をやって、明日が片付け、明後日が休みの予定だったけど、全部一日早まったからね」


 普段、休みと言えば喜んで受け入れていたが、今ではとてもそんな気持ちにはなれそうにない。休みだからといって身体も心も休まりそうもないからだ。一人になると、どうしても不安な気持ちが膨れ上がってくる。こうして明里と一緒にいた方が遥かに気が楽だった。


「……死んじゃったんだね、刺された生徒」

「……うん」


 自然と話題が事件へと傾く。無理矢理でも別の話題で忘れるのもいいが、頭は事件の事がこびり付いている。内に秘めるよりも口に出して剥がした方が良いのかもしれない。


「可哀想だよね。三年生はもうすぐ卒業だったのに」

「……うん」


 私の台詞に明里は相槌を打つだけであった。私の気持ちとは別に、明里はあまり話したくないのかもしれない。しかし、そうも言っていられない。


「ねえ、明里は何でその先輩が刺されたと思う?」

「いや、さすがにそれは分からないよ。沖矢、っていう人だっけ? 私、その人の事知らないもん」

「そうかもしれないけどさ、何か思い付くこととかない?」

「思い付くこととか言われても……三年生だから受験関係でのトラブル、とか?」


 明里の答えには私も至っていた。受験生にとって、今は追い込みの時期だ。ここでの努力が合格に大きな影響を与えるといっても過言ではないだろう。だが、そのせいでストレスが溜まり一気に爆発してしまった、なんていう話も聞かなくはない。


「他にはどう? 学業だけじゃなくて、恋愛とか家族間が原因になるような理由とか」

「いや、だからわたしには分からないって。成績が学年中間ぐらいの私の頭じゃ、思い付くことなんてそんなに――」

「私も似たようなもんだよ。それでもさ、何かあったら言って欲しいのよ。だから――」

「も~う、由衣」


 明里が私の前に出ると、腰に手を当て半ば呆れ、半ば怒ったような表情で睨み付けていた。


「いい加減にしてよ。私には分からないってさっきから言ってるじゃん」

「……ごめん」


 素直に謝る。明里の言う通り、少ししつこかったかもしれない。だが、うかうかしていられないのだ。少しでも早く事件解決の糸口を見つけないと。


「もう、焦ってるの見え見えだよ? 少し落ち着きなよ」

「で、でも……」

「はあ~。そんなに慌てるなら、?」


 そう。焦っている理由は、私は昨日セイタン部に依頼をお願いしようと思っていたが、最後には断ったのだ。それにより、私は自分自身で犯人探しをしなければならなくなった。


「だって……」

「だって?」

「……あいつが、あんな要求するから」


 あいつとは蜷川祐一の事だ。そして、蜷川は話を聞いた私にこう要求した。


『依頼を受ける代わりに、お前の声をもらう』


「あげればいいじゃない。減るもんじゃないし」

「減るんだよ! 私の中の何かが!」

「もういい加減、隠さずに表に出したらいいじゃん。そんな気にすることないよ」

「明里は私の中学の頃を知らないからそんなこと言えるんだよ。中学の頃、私は――」


 忌まわしい過去を振り返る。自分で言うのもなんだが、中学の頃私は異性から好かれていた。それも一人や二人ではなく、数人から声を掛けられていたのだ。いたのだが……。


『堀田氏、君の声ってほっちゃんに似ているよね。萌え~』

『お願いします! この衣装を着てこの台詞を言ってください!』

『僕と一緒にアニメを作りませんか?』

『あ、あの……僕……堀江由衣が好きなんです。だから、付き合ってください!』


 モテていました。


 ねえ、どう思う? みんな私自身を見る訳じゃなくて、堀江由衣ありきで見てるんだよ? その中でも堀江由衣が好きなんです、付き合ってください! とか酷くない? 私は? 私の存在は!?


 数々の無礼極まる告白に、終にはオタクというだけで嫌悪感を抱くようになった。考えただけでも怒りが募り、質によっては鳥肌が立つ。当然、彼らの申し込みはにお断りした。


「オタクはみんな一緒よ。アニメやら声優が大事であって私自身はどうでもいい。最低のクズだわ」

「だから断ったの? 声優が好きな蜷川君だから」

「そうよ。明里も聞いたでしょ? 声をくれって。中学の男子達と同じじゃない」

「そうかもしれないけどさ~。だからって、由衣は自分に罪を着せた犯人を見つけられそうなの?」

「それは……」


 私は言い淀んでしまった。正直に言うなら、全くと言っていいほど自信がない。自分には犯人を見つけられない、という確信はあった。それが分かっていたからこそ、先程明里にいくつか質問したのだ。


「蜷川君に任せてもいいんじゃない? 六百人もいた中から、たった数人にまで瞬時に絞り混んだのよ彼は。普通そんなことできないよ」


 たしかに、蜷川の頭の回転の良さは称賛に値するかもしれない。話を聞いただけで、ものの数分で容疑者を絞るなど並大抵の頭脳では無理があるだろう。


 蜷川なら犯人を見つけられるかもしれない。だが、条件がどうにも受け入れられない。同じ天秤をかけたら蜷川より条件の方が重かった。


「そりゃあ、あいつは頭が切れるとは思うけど、憎い相手に頭は下げたくない」

「も~う、強情だな~」


 それから私と明里は再び歩き出す。その後は特に話すことなく進んでいたが、途中目の先に三人の人物が固まっているのが見えた。


「あれ? あれって……」


 近づくに連れ、その三人の顔もはっきり認識できるようになる。残り数メートルの位置で相手側から声を掛けられた。


「やっほ~、由衣ちゃん」

「伊賀先輩……」


 伊賀先輩が手を振り、その後ろには怖がるりっちゃんこと針宮理恵と……そして、憎き相手蜷川祐一が控えていた。

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