交渉成立
「どうしたんですか、伊賀先輩? なんでこんなところに?」
明里の疑問には同意だが、それよりも蜷川が目の前にいる。ただそれだけで私は苛立ちを覚えた。
「まあ、単純に二人を待ってたのよ」
「私達を?」
「そう、昨日の件でね。由衣ちゃん」
こちらに目線を向ける伊賀先輩。昨日の件とは言うまでもない。
「君の抱えている問題について、依頼をしなおすつもりはないの?」
「ないです」
瞬時に答える。考えるまでもなく、私ははっきり言った。
「あはは、即答か~」
「私はセイタン部にお願いするつもりはありません」
「理由はやっぱり?」
「そいつがいるからです」
蜷川を指差す。指名された蜷川は眉を潜めて見返していた。
「人を指差すな、失礼なやつだな。俺がいるからというが、だいたい俺がお前に何をした? 声をくれ、と言ったぐらいだろう」
「それが原因なのよ、このオタクが!」
「やめろぉぉぉ! 堀江由衣声でその台詞はやめろぉぉ! 堀江由衣が汚れるだろうが!」
「こいつは……!」
「まあまあ、由衣ちゃん落ち着いて」
声を荒らげる私を伊賀先輩が宥める。大声を出したからか、りっちゃんは電柱の陰に身を潜めていた。
「昨日も思ったけど、由衣ちゃんは自分の声が嫌いなの?」
「……はっきり言って、大嫌いです。良い思い出がないので」
「なるほど。だから祐一の要求を拒否したのね」
伊賀先輩は私と蜷川の間に入って交互に見やる。
「祐一、由衣ちゃんがこう言ってるから要求内容を変更するつもりは――」
「ない。声以外に興味はない」
「あっ、そう。じゃあ、由衣ちゃん。どうしても要求を飲むつもりは――」
「ないです。声だけは絶対に嫌です」
「ダメだこりゃ。どっちも折れるつもりがないわね」
頭を抱えて悩む伊賀先輩。
「堀江由衣声の何が嫌なんだ? あんな可愛い声を出せる声優なんてそうはいないんだぞ。そんな声優と同じ声を持っていることをもっと誇りにしろよ」
「誇り? そんなもん持てるわけないでしょ。この声のせいで私がどれだけ辛い人生を送ってきたか。勝手なこと言わないで」
「お前がどういった人生を送ったのかは心底興味はないが、その声は貴重なんだ。俺なら大事にするぞ」
「私は大事にしてほしいんじゃない。触れないでほしいのよ。どいつもこいつも堀江、堀江。声、声、声……そんなに声がいいの?」
「当たり前だ。声はその人物のあらゆるものを表現できる伝達機能だ。高低はもちろん、強弱で喜怒哀楽を的確に相手に伝えることもできるし、受けとる側も声から相手がどんな感情を抱いているのか判断することができる。云わば、声は万能なんだ。それを大事にして何が悪い」
一丁前に綺麗な言葉を並べて力説するが、要は声が可愛いから好きなんでしょう? 萌えだとか癒されるとか、そんな理由なんでしょう? 正当化するような誤魔化しをしないでほしいわね。
「はいはいストップ、そこまで。私達は口喧嘩するために来たんじゃないのよ」
パンパン、と手を叩いて場を治める伊賀先輩。次いで私に再び向き合う。
「由衣ちゃん、私達はあなたを心配してここに来たのよ」
「心配?」
「俺は違うぞ」
「祐一、ちょっと黙ってろ」
ボカッ、と裏拳で蜷川の顔面を殴る。受けたダメージに蜷川が苦痛の声を漏らしていた。いい気味だ。
「由衣ちゃん。あなた自分の状況が分かってる? 昨日の話からして、たぶんあなたが思っている以上に深刻な状況よ」
「分かっています。だから、最初はセイタン部に助けを求めました。でも、気が変わりました。私は自分でなんとかします」
「……できるの? 本当に自分の力だけで?」
できる、と言おうとしたが、口からその台詞が出ることはなかった。頭ではやってやると思っているが、心では私の手に負えない事態だと警告している。それが答えだった。
「それでも、わたしは……」
「おやおや、こんなところで何をしているんですか? 白峰学園のみなさん」
突然、後ろから男性に声を掛けられた。振り向くと、そこには昨日私に事情聴取した刑事の赤澤と部下の姿があった。
「刑事さん……」
「刑事?」
「どうも。県警の赤澤です」
私と明里以外は初対面だろう。赤澤は三人に順に目配せをして挨拶をした。それに伊賀先輩が答える。
「こんなところで立ち止まってどうしたんです?」
「いえ別に。ただ雑談していただけですが……そういう刑事さんは?」
「いや、たまたまです。さっきまでそこで部下と小休止していたんですが、堀田さんの姿が見えたので」
後ろには控える部下は頷きもせず、私をじっと見ている。なぜだろう、その視線には冷たいものを感じる。
「たしか、白峰学園には集団下校をお願いしていましたが、みなさんはその帰りですか?」
「そうです」
「よかった。きちんと守ってくれているのですね。あんな事件が起きましたから、くれぐれも一人にはならないようにお願いしますね。危険ですから」
「事件解決の方は進んでいますか?」
「進む、とは?」
「決まっています。ウチの生徒を刺し殺した犯人の特定です」
「君にそれを教える必要はない」
「おい、山下。その態度はやめろ」
ここで初めて部下が口を開いた。今更ながら、部下の名前は山下というらしい。高圧的な山下を戒める。
「由衣ちゃんは事件に無関係じゃないんですよね。その人物がいるのに、進み具合も教えてくれないんですか?」
「君は?」
「私は伊賀静といいます。二年生です」
「後輩と一緒に帰宅とは後輩思いですね。それとも、部活仲間とか?」
「そうですね。みんなセイタン部の部員です」
「セイタン部? 聞いたことがない部活名ですね。まあ、最近は様々な部活動が作られたりしていますから、その内の一つといったところですかね」
聞き慣れない部活名に赤澤が眉に皺を寄せるが、すぐに興味を失ったのかセイタン部についてそれ以上聞いてくることはなかった。
いや、ちょっと待って先輩。いつから私と明里はセイタン部の部員になったんですか?
問い質したいところだが、そうもできない雰囲気に流さざるを得なかった。
「それで、どうなんですか? 事件の方は?」
「現在も捜査中です。ですが、すぐに犯人を見つけてみせますからもうしばらく辛抱を」
「目星とかはついているんですか?」
「そうですね。何人かは怪しいと思う人間が浮き上がってきています」
えっ、そうなの? よかった。私は疑いを晴らせたのかもしれない。
一体誰なのだろうと聞こうとしたが、その前に伊賀先輩が尋ねる。だが、名前が出ることはなかった。
「誰ですか?」
「それは教えられないですね。警察は無闇に情報を提示できませんから」
「でしょうね。聞いてみただけです。もし話していたら信用を失っていました」
「はっはっは、これは手厳しい。まさか高校生から試されるとは。では、私は合格ということですかな?」
「まあ、そんなとこですね」
それからいくつかやり取りをし、一人にならないよう再度注意して赤澤達はその場を立ち去った。具体的な内容は聞けなかったが、容疑者が出ていると知り私は少し安心した。だが、蜷にそれを覆される。
「終わったな、お前」
「は? 何が?」
何かを悟ったような表情と台詞を吐く蜷川。何が終わりなのだろうか。
「完全に警察にマークされてんじゃん」
「マーク? いや、たまたまだって……」
「どんだけ能天気な脳みそしてるんだお前。こんな簡単に警察と会うわけないだろ」
「事件が起きたんだから見回りとかのついでじゃないの?」
「だったらそう言うだろ。でも、あの二人は『近くで小休止』と言った。矛盾している。見回りは隠す事柄じゃないだろ。しかもお前、あいつらに事情を聞かれたんだろ? 家に赴くとかじゃない限り、同じ人物に昨日今日で会う確率なんかほぼ皆無だぞ」
蜷川の指摘に、私は徐々に体温が下がるのを感じた。マークされている。つまりは、私が今一番の容疑者で、警察は私を見張っているということだ。
「連行しないところを見ると、まだ証拠が不十分で踏み出せない、といったところか。あれはお前が逃げないようにしているんだろうな」
「逃げるって、私は犯人じゃ……」
「お前はそうでも、向こうはそう思っていない。こりゃ、捕まるのも時間の問題か?」
ちょっと待ってよ。私は犯人じゃないのに、何で逮捕されなきゃならないのよ。
「そんなの、あんたの想像でしょ? 実際はあの人の言う通りなのかもしれないじゃない」
「いいや。あの赤澤っていう刑事、嘘が下手くそだ」
「嘘?」
「あの刑事はそれっぽく言っているつもりだろうが、本心を言っていない」
「何でそんなこと分かるのよ」
「声だよ。内容もそうだが偽りだらけだ。何人か怪しい人物がいるとか言っていたが、おそらくはいない。たぶんお前とほぼ断定しつつある。警戒されないようにああ言ったんだ。あの赤澤の発する声は中身のないすかすかの箱だな。なんの気持ちも含まれていない。俺には分かる」
分かるって、読心術の心得でもあるのかこいつは。声が好きとか言っている内に、勘違いを起こし始めたのだろう。馬鹿みたい。
「まあ、俺には関係ないか。後は一人でやれ。おい、帰ろうぜ」
「えっ?」
蜷川は伊賀先輩とりっちゃんに声を掛けると背を向けて一人で歩き始めた。
「ちょっと祐一、本当に帰るつもり?」
「当たり前だ。用はもう済んだろ。だったらここにいる必要はない」
「由衣ちゃんをほっとく気? 本当に逮捕されちゃうかもしれないのよ?」
「ほっとくも何も、こいつ自身が拒否してるだろう。俺達の出番はない。違うか?」
ふざけるな。言いたい放題不安を募らしといて帰るだと? 自分勝手にもほどがある。
そのせいでまた不安が沸々と蘇り、一人でやると言っていながら自然と伊賀先輩にすがってしまった。
「先輩、あいつなしで依頼はできないんですか?」
「う~ん、できなくはないけど、祐一なしでは無理よ。あいつがいないとたぶん解決できない。悔しいけど、私とりっちゃんでは力不足なのよ」
「そんな……」
私は絶望に包まれた。本当に逮捕されちゃうの? 何もしてないのに……無実なのに……。
「由衣……」
明里も心配そうに寄り添う。もう仕方がない。私は覚悟を決めた。
「ちょっと、蜷川!」
「何だ?」
私の呼び掛けに蜷川は振り向く。そして、震えながら言葉を紡いだ。
「……分かったわよ。あげるわよ」
「何だ? 聞こえないぞ」
「だから声を……わよ」
「はっきり言え」
泣きそうになるが、その気持ちを吹き飛ばすように叫ぶ。
「私の声をあげるから、私を助けて!」
「分かった。交渉成立だな」
「えっ?」
「はやっ!」
あっさりと受け入れる蜷川。今の私の葛藤はなんだったのだろう。別の意味で泣きそうな気持ちが萎れてく。
「明日は休みだったな。よし、明日学校に来い。場所は昨日と同じ教室。時間はそうだな、八時ぐらいでいいだろう。そこでまた話し合いだ。遅れるなよ」
次々と今後の予定を決めていく蜷川。あまりの急展開に頭が付いていかない。
「よかったね、由衣ちゃん。祐一がやる気になったよ」
ポン、と肩に手を置かれて我に還ると、伊賀先輩が笑顔を向けていた。隣では明里も自分の事のように喜び、いつの間にか電柱の陰から出てきたりっちゃんもホッ、としたような表情をしている。
はあ~、言っちゃった。あんなに嫌だったのに。もう引き返せないな。
だが、どこか心につっかえていたモヤモヤが払拭されたようだった。身体が身軽になったような気もする。この気持ちのように、私の疑いも晴れる事を期待した。
『私の声をあげるから、私を助けて!』
ん? 今のは……。
「ふむ、良い出来だ。悪くない。またコレクションが増えた。堀江由衣の声はやはりいい」
どこから出したのか、蜷川の手元には小さな黒い機器があった。どうやらそこから音、というか声が出たらしい。
この野郎! さっきの私の台詞を録音したな!
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