親友
「とりあえず今日の所はこの辺にしましょう」
一段落、という表現が正しいのかは分からないが、話に一区切りつくと赤澤は腰を上げて立ち上がった。
「今日の所は……ということは、またこういうことがあるんですか?」
腑に落ちない私は不安を滲み出させながら尋ねる。
「申し訳ないが、そういうことになります。不快に感じるとは思いますが、現時点ではあなたが一番疑いを掛けられています。今日の所は、というのは証拠がなく、現行犯でもないあなたを連れていくことはできないからです」
「そう……ですか」
「またお話を聞くことになると思いますが、その時はご協力お願いします。さすがに今日はお疲れでしょうから、帰ってゆっくりお休みください」
一礼をし、私と先生は職員室を後にした。
「由衣!」
職員室を出ると名前を呼ばれ、振り向くと明里が心配そうな顔で私に駆け寄ってきた。
「明里……」
「由衣、大丈夫?」
「うん、平気だよ」
そうは言ったものの、明るく元気には振る舞えなかった。心に重くのし掛かる
「先生……」
当然、明里もそんな私の顔を見て安心するはずがない。隣にいる先生に不安そうな表情で目を向ける。
「大丈夫だ。たしかに疑いを持たれたが、犯人とされたわけじゃない」
「じゃあ、由衣は誤解だと知ってもらえたんですね?」
「いや、それは……」
明里の問いに先生は言葉を濁す。
「ちょっと、先生。まさか何も言わずに出てきたんですか? 自分の生徒が疑われているのに大人しくしてたんですか? それでも担任なの!?」
明里が先生に詰め寄るが、私は間に入って宥めた。
「明里、違うよ。先生は私を庇ってくれたよ」
「でも、今の話じゃ由衣の疑いは完全に晴れたんじゃないんでしょ? これじゃあ、何しに付き添ったか――」
「ううん。一生懸命庇ってくれたから犯人にされなかったんだよ。だから先生を責めないで」
「でも!」
「明里、もう帰ろうよ。私、ちょっと疲れちゃったからさ。ねぇ?」
明里はまだ何か言いたそうにしていたが、私のお願いを聞いてくれ大人しく引き下がった。
「それじゃあ、先生。私はこれで失礼します」
「堀田」
「はい?」
「……すまなかった。俺の力不足のせいで」
そう言うと、先生は私に頭を下げた。
「何で謝るんですか? 先生は必死に私を守ろうとしてくれたじゃないですか。むしろ感謝しています。ありがとうございます」
私はお辞儀を返し、失礼しますと声を掛けてから明里と共に廊下を歩き出す。曲がり角でふと目を見向けると、先生はまだ頭を下げたままだった。
****
刺傷事件が起きたということから、文化祭は急遽中止となり、先程まで活気溢れていた学園は静まり返っている。まあ当然と言えば当然か。事件が起きながら再開されるわけもない。どうやら多くの生徒がほぼ強制的に帰宅されたようだ。
明里はなぜ帰らなかったのかと聞くと、私を心配して先生達に帰るよう促されても拒否し、ずっと私を待っていてくれていたらしい。その行いと気持ちに涙が出てしまいそうだ。
教室に戻って着替えをしてから荷物をまとめると、私と明里はすぐに出ていく。普段なら荷物をまとめてもお喋りをし、教室を出るのに三十分以上掛かるのだが、今はものの数分で事が済んだ。
階段を下りるときも、私と明里は一言も喋らず無言でいた。明里はこういった静かさは嫌いで、いつも何かしらの話題を持ち掛けてくる。しかし、彼女は何も言わず私の隣で、同じペースで歩いていた。明里なりに気を使っているのだろう。その行為だけで私を思ってくれている事が十分に理解できた。
「あら? もしかして堀田ちゃん?」
二階の階段を折り返した時、上から声を掛けられた。見上げると、一人の女子生徒が立っている。その人物は……。
「伊賀……先輩?」
そう。午前中、ボッチャンで宣伝をしている時、人混みから抜け出て出会った伊賀先輩がそこにいた。
「どうしたの? 今帰り?」
「ええ、まあ」
「変ねえ。生徒の大半は帰っているはずなのに……あっ、まさか堀田ちゃん、食べ物屋にこっそり侵入してつまみ食いしてたとか?」
冗談で言っているのだろう。突っ込んだ方がいいのかもしれないが、今はそんな気力はない。
「ああ、そうそう。聞いた? 文化祭が中止になった理由。何でも、生徒の誰かが刺されたんだって」
ビクッ、と伊賀先輩の台詞に身体が強張った。だが、先輩は私の変化に気付かず話を進める。
「全く、いい迷惑よね。せっかく楽しみにしていたのに中止とか。これじゃあ、頑張った宣伝が無駄になったじゃない。こんなことなら最初からしなきゃよかった。でも、刺したのって一体誰なのかしら? まさかウチの生徒――」
「先輩、やめてください!」
そこで明里が怒鳴って話を中断させた。
「不謹慎にも程があります。面白半分で起こったことを話題に出さないでください!」
「面白半分って……」
「そんな話を出されたらいい迷惑です。不快に感じる人だっているんですから、口を慎んでください。だいたい、先輩だって何をしているんですか? 大半の生徒は帰っているんですよね? なら、先輩は何でまだ校舎にいるんですか? 何か怪しいことでもしてたんじゃないんですか?」
「随分な言いようね。私が何をしたというのかしら?」
「例えば、どこかの教室をメチャクチャにしたとか」
「そんなことしないわ。あなた、初対面の人間相手に失礼ね」
「失礼? 何か怪しいと思うことが失礼なんですか? でも、先輩も今同じようなことをしているんですよ?」
「意味が分からないわね。私のどこが同じなのよ」
「明里、やめて」
一色触発しそうな不穏な雰囲気が辺りを包み込む。私は慌てて明里を宥めに掛かった。
「すいません、先輩。明里、ちょっと興奮してて」
「何で堀田ちゃんが謝るのよ。謝るならそっちの彼女でしょ」
「あんたねぇ……!」
「明里、待って待って」
今すぐにでも殴りかかりそうな明里を身体で止める。そうしなければ本当に暴力沙汰になりそうだ。
「……ああ、なるほど。そういうことね」
すると、伊賀先輩が何かを察したような声をあげた。
「堀田ちゃん、あなた……さっき起きたという刺傷事件の関係者ね?」
「えっ?」
私は思わず先輩を凝視した。
「最初、彼女の怒りの発端が何だか分からなかったけど、ようやく意味が理解できたわ。私が事件の話をしようとした時、彼女は怒り始めた。つまり、彼女はその話を聞きたくなかった、もしくは話に出してほしくなかった。違う?」
伊賀先輩の確認の声に明里は黙って睨み付けている。その目線に怯むことなく、先輩は話を続けた。
「そうなると、彼女は事件の事に何かしらの思い入れがあると考えられるわ。だけど、起きて間もない事件に普通は思い入れなんてしない。当事者でなければ、ね」
「だったら、何で由衣が関係者なんて言ったんですか? 私が当事者と思ったんでしょ?」
もっともな疑問を明里がぶつける。たしかに、今の先輩の話なら事件関係者は私ではなく明里と判断しているはず。
「その理由は堀田ちゃんの醸し出す暗い雰囲気よ。な~んか元気がないな~、とは思っていたの。そして、私に飛び掛かろうしそうな彼女を堀田ちゃんは止めに入った。つまり……」
人差し指をピンと立てて、伊賀先輩は締めの言葉を紡いだ。
「本当の事件関係者は堀田ちゃんで、彼女はそれで落ち込んでいるあなたを思って怒った。そう考えれば彼女の台詞にも納得がいくわ。どう? 当たってるんじゃない?」
ドヤァ、というように胸を張る伊賀先輩。その態度を示すように、先輩の内容は当たっていた。私と明里は呆然とただ立ち尽くしている。
「堀田ちゃん、良い友達持ってるわね」
「……え?」
「友達のことであれほど怒ってくれる人はそうはいないわよ。幸せ者ね」
私と明里は自然とお互い目が合い、次に恥ずかしさから反らしてしまう。だが、それ以上に胸一杯に嬉しさが溢れ出ていた。先輩の言う通り、私は明里という親友を持てたことに感謝し、そして誇りに思わなければならないだろう。
「ま、まあ、私は由衣のお姉さん的な存在ですから、私が守ってやらないとですね」
……。
……ちょぉぉっと待てぇぇ! 今、聞き流せない言葉が出たぞぉぉぉ?
「ねぇ、明里。誰が誰のお姉さんですって?」
「え? 私が由衣のお姉さん――」
「嘘つけ! どっちかと言ったら私の方がお姉さんでしょうが! いつも面倒見てるの私じゃん!」
「ええ!? だって、私の方が身長高いんだよ?」
「背で決めるとか子供か! しかも、ホンの数センチでしょうが!」
「で、でも、私の内面とかチョ~お姉さんじゃん」
「どこが!? 我が儘で落ち着きがなくて
、財布を忘れて泣きべそかいてたあんたがお姉さん!?」
「な、泣いてないもん! 目に涙は溜まったけど、流してないから泣いてないもん!」
いや、それもう泣いてるから。涙が出た時点で泣いてるから。
「ぷっ……あはははははっ!」
突然、伊賀先輩の笑い声が響き渡った。お腹を抱え、目に涙が浮かんでいる。
「あ~、おかしい。あなたたち、普段からそんな感じなの?」
「……あっ」
言われて初めて気付いたが、いつの間にか普段のやり取りを明里としていた。これは、私が通常の状態に戻ったということを意味している。
明里の台詞から始まったことだが、伊賀先輩のやり取りもなければ、こうして私が元気を取り戻すことはなかったはずだ。二人とも特に意識して行ったわけではないだろうが、結果として二人のおかげであろう。私は感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとうございます。おかげで元気になりました」
「うんうん、午前中に会った堀田ちゃんに戻ったね」
「明里も、ね」
「あれ? 私なんかした?」
キョトンと自分を指差す明里。その明里に先輩は頭を下げた。
「ごめんなさい。理由が分かればあなたの怒りももっともね。不謹慎な発言をしてしまったことを謝るわ」
「い、いえ。私の方こそすいませんでした。先輩に向かってあんな態度を取って」
明里と伊賀先輩が互いに謝罪。どうやら暴力沙汰になることは免れたようだ。
「その、振り返すようで悪いけど、堀田ちゃん。あなた本当に事件の関係者なの?」
「はい。悲しいですがそうなんです」
「よかったら詳しく聞かせてくれないかしら」
私はその場で伊賀先輩に事の経緯を話す。先輩は終始黙っていたが、真剣に耳を傾けていた。
「そんなことがあったの。大変だったね、堀田ちゃん」
「大変っちゃあ、大変ですね。まだ疑いを持たれているようですし」
「ねぇ、由衣。本当に大丈夫なの? 警察に捕まったりしないよね?」
「大丈夫よ……たぶん」
「たぶん、って。不安にさせないでよ~」
「だって、私も分からないんだからしょうがないでしょ?」
泣きつく明里を安心させたいが、正直たぶんとしか言いようがないのだ。嘘を言ったって見抜かれるだろうし、他に思い付く言葉が見つからない。
「はあ~。こういう時、セイタン部に行けたらな~」
「ああ、この前言ってた幻の部活の事?」
「そう。生徒の悩みを解決してくれるという。今こそ必要な時じゃない」
「でもね~。その部活、本当にあるか分からないんでしょ? そんな部活に頼っても――」
「あら。あるわよ、その部活」
しれっと伊賀先輩がセイタン部の存在を認めた。
「ほら、先輩もあるって――って、ええ!? あるんですか!?」
「あるわよ、普通に」
「幻と言われる部活が、ですよ?」
あまりに信じられなかったので、再度確認してしまった。
「ふ~ん、一年生の間ではそんな風に広まっているのね。まあ、あながち間違ってはいないのかな?」
後半は何やらブツブツと呟き始めたが、まさか幻の部活を知っている人物がこんな身近にいるとは思わなかった。その事実を知った明里が伊賀先輩に詰め寄る。
「先輩! その部活の場所教えてください! 由衣を助けてもらうようお願いしたいんです!」
「ちょっと明里」
「お願いします!」
深々と頭を下げ、明里は懇願した。私はその必死な姿勢に嬉しく思いながらも、狼狽えてしまう。そして、その姿をしばらく見た伊賀先輩が私に尋ねてきた。
「友達の彼女はこうしてお願いしているけど、堀田ちゃんはどうなの?」
「え?」
「いくら友達が必死になっていても、肝心のあなたがそれに積極的になっていなければ彼女は徒労に終わるわ」
たしかに、問題となっているのは私だ。当事者である私が一番に決めなければならないだろう。
「わ、私は……」
「私は?」
しばらく頭で考えてみるが、答えなど決まっていた。自分一人でどうにかなる問題ではない。幻だろうがなんだろうが、正直誰かの助けが欲しい。ならば答えは一つ……。
「私からもお願いします。そのセイタン部を教えてください」
明里と同様に頭を下げて懇願する。
「いいわよ。付いてらっしゃい。案内するわ」
「え?」
「はやっ!」
二つ返事で伊賀先輩は承諾し、すたすたと歩き始めた。
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