宣伝が呼び込んだもの

「あ~、疲れた~」


 昼の十一時。休憩時間に入った私は、校庭に設けられた飲食兼休憩スペースのテーブルに突っ伏した。


「プラカード持って回るだけだけど、あれ結構体力使うんだね」

「モグモグ……」

「昔はこの程度へっちゃらだったのに、やっぱ運動してないと怠けるわね」


 午前中の部は終わったのだが、疲労感が半端なかった。たった二時間の行動がここまで堪えるとは。このあとまた宣伝に回らなければならないと思うと自然に溜め息が深くなる。


「遊んでるときはどうってことないのに、もてなす側になるとこんなに疲れるんだね」

「モグモグ……」

「しかも、動いて汗かくからボッチャンの中が蒸れちゃうしさ」

「モグモグ……」

「でも、教室で接客している人に比べればマシなのかな?」

「モグモグ……」

「ちょっと、聞いてるの明里?」


 さっきから話す私の愚痴に明里は一言も喋らず、咀嚼で返していた。買ってきた焼きそばをハムスターのように口一杯に含ませ、頬を膨らませながら食べている。


「モグモグ……ゴクン……食べないの?」

「いや、食べるけどさ。少しは喋ろうよ」


 そう言ってから私も焼きそばに手を着ける。楽しみにしていた焼きそばであるが、あまりの疲労に食欲が少ししか湧かなかった。かといって、食べないと午後の宣伝は持たないだろう。もそもそと口に運ぶ。


「どうだろうね~。私はメニューのクッキー焼いてたから現場は分からないけど、午前中は比較的暇だったらしいよ? 慌ただしくなるようなことはなかったみたいだし。まあ、喫茶店だから忙しくなりそうなのは午後でしょ」

「それもそうか。午後の方が休憩がてら来そうだしね」

「問題はどれくらい来るか」


 お次はフランクフルトを手にして一口くわえる明里。


「んで、宣伝の方は?」

「だから疲れたって」

「違う違う、成果の方よ。バッチリ宣伝できた?」

「うっ……」


 明里の問いに箸が止まる。


「え? その反応、まさかサボってたとか?」

「いやいや、そんなことはしないから。ちゃんとプラカード揺らして、声も出して宣伝してたから」

「じゃあ、今の反応は何よ?」

「いや、その声を出しながらの宣伝でさ……」

「ああ、もしかして……?」

「……うん」


 徐々に頭が垂れ始める。それは私のコンプレックスであり、言うなれば胸の小ささよりも無くしたい欠点だった。


「興奮するというか、ちょっと気を抜くと出ちゃうのよね」

「もう、そんな気にしなくてもいいのに。私は全然良いと思うけどな~」

「やめてよ。そのせいで中学の頃ひどい目にあったんだから」


 思い出すだけでもおぞましい、出来るなら記憶から消し去りたい過去。この欠点のせいでどれだけ辛い思いをしたか。


「それで、その欠点が出たんだけど、気付く人は気付くわけで――」


****


「あれ? 今のって」

「バカ、そんなわけないだろ? 普通に考えろよ」

「だ、だよな。あ~ビックリした」

「それより早くここのメイド喫茶行こうぜ」

「おう、そうだな。現役女子高生のメイド喫茶。萌えで燃えるわ」

「萌え萌えキュンキュン――」

「ラブ注入――」

「「そい!」」


 ****


 ――というやり取りが私の目の前で行われ、それから私は宣伝に力を入れることが出来なかった。


「モチベーション下がりっぱなしよ。あ~、午後行きたくないな~」

「頑張ってよ。午後だって、お客さん来るか来ないかは由衣に掛かってるんだからね」


 そこでブルルル、と携帯が振動する。セットしていた時間のタイマーが作動したのだ。つまり、私達の休憩時間終了を意味している。


「うわ、もう休憩終わり? 早くない?」

「焼きそば残ってるよ?」


 いつの間に終わったのだろうか。気分的にはまだ三十分程度の感覚だ。


「嫌だな~、もう少し休憩したいよ~」

「焼きそば残ってるよ?」

「あ、うん。後でまた食べるから袋に――」

「焼きそば残ってるよ?」

「いや、だから」

「残ってるよ?」

「……食べる?」

「有り難きお言葉!」


 言うが否や明里は私の食べかけの焼きそばをかっさらい、勢いよく食べ始めた。


「相変わらずよく食べるね。なのに太る気配はない。一体その取り込んだ食べ物の過剰な栄養素はどこに行ってるの?」

 

 少し呆れながら妬ましく思うが、本当に美味しそうに、そして可愛らしく食す明里の姿を見たら、なんだか元気が出てきた。


「ごちそうさまでした。さて、じゃあ戻りますか」

「そうね。ん~、よし。一丁やるか!」 


 身体を伸ばし気合いを入れる。食事も済み、休憩を終えた私と明里は仕事へと戻った。


****


「さて、次はどこを回ろうかな」


 教室で再びボッチャンに変身した私は次なる宣伝を考え始める。時刻はお昼。もう大抵の人は校内を回っているだろう。ならば、また学園入り口に行っても客入りは少ないだろうし、効果も少ない。そうなれば……。


「よし、今度は校舎内を回ってみようかな」 


 頭の中でルートを決める。すぐそばの階段を降り、三階からジグザクに二階、一階と辿り、最後に階段を四階まで上がって教室までという道筋を描く。そして、プラカードを握り締めて歩き出した。


 三階を巡るとお化け屋敷にボーリング、ボール当てゲームと比較的遊びに特化した階で、小学生から子供連れの親子が多く見られる。笑い声や「ああ~」という残念な声が飛び交い、みんな楽しそうにゲームに没頭していた。


「四階の一年六組でハロウィン喫茶をしています。遊んだ後の休憩に是非お越しください」


 午前中の過ちを繰り返さないよう気を付けながら声を出して、三階を渡り切った。


 次に二階へ着くと、そこには写真展や生徒の製作した発明品等の展示階へと成り変わっていた。ゆっくり鑑賞できるからか、お客さんも四十代から高齢の人が多い。


「四階の一年六組でハロウィン喫茶をしています。クッキーもありますのでご休憩に是非お立ち寄りください」


 二階を渡り、最後の一階へ。人の出入りが多く、一番賑やかとも言えた。生徒が各自持ち込んだ要らない物や、家に置いてある未使用雑貨といった物を販売するミニバーゲンのようなものが開かれている。意外にこういう場で掘り出し物が出てくることもあり、主婦や女性が多く見られた。


 先程と同じように声に出して宣伝をしながら奥にある階段へと向かった。


 ふぅ~、取り合えずこんなもんかな。


 計画通りのルートを辿り終え、やっと一息つけた。私なりに精一杯宣伝し、その頑張りがハロウィン喫茶に良い影響を与えてほしい。


 教室どうなってるかな?


 各階にいた人がすぐさま移動したとは正直思えないが、それでもやはり気になってしまうものである。何かを始めればその結果が気になるのは誰しもが持つさがであろう。私は少し小走りで階段を登り始めた。


 しかし、二階を折り返した時、違和感を覚えた私は足を止めた。


「……あれ? お客さんがいない?」


 気付けば階段には誰もいなかった。やけに静かだなと思っていたが、人がいなければ当然だ。しかし、なぜ誰もいないのだろうか。


「こっちの階段は利用してないのかな?」


 それにしては、一人も通らないことなどあるだろうか。もしかして、通行止めになっているとか? いや、そんな話は聞いていない。両側にある階段はどちらも解放しているはずだ。


「まあ、いいや。こっちの方が歩きやすいし」


 少し不思議に思ったが、たまたまだろうと結論し、私は再び階段を上がり始める。そして、三階に行き着いたそのとき――。


 ドンッ!


 誰かが私にぶつかった。相手は走ってきたようで、かなりの衝撃が身体を襲い壁まで吹き飛ばされる。あまりに突然だったので、悲鳴すら上げることもできなかった。


 いった~、もうなんなのよ! 誰よもう……って、あれ? 前が見えない!?


 ぶつかってきた相手を見ようとしたが、目の前が真っ暗になっている。停電? と一瞬思ったが、まだ昼間であるのであり得ず、ただボッチャンの向きがずれただけだとようやく分かった。


 回っちゃったのか。元に戻さないと。


 そしてぶつかって来た相手の顔を見てやると考えたのだが、タタタタッ、という階段を掛け下りる音が耳に入ってきた。


 は? 逃げた? 


 まさかと思ったが、足音は遠退き、先程まであった気配がなくなっている。どうやら本当に逃げたようだ。


 ぶつかっておいて謝罪の一つもなし? まったく、失礼しちゃうわね――いたたたっ!


 ボッチャンを元の位置に戻そうとしたが、どこかの部分が首の後ろに引っかかり、動かそうとすると痛みが走った。


 一気にやったらまずいわね。ゆっくり慎重に――。


「きゃあああああ!」


 突然、女性の悲鳴が響き渡った。思わず身体がビクッと震える。


 えっ? 何? 何?


 悲鳴が聞こえ不安になるが、今は視界も塞がれているので余計に恐怖が増す。早くボッチャンを戻さねばと焦るが、こういうときに限って物事がうまくいかない。悪戦苦闘していると、三階の廊下側から数人の掛ける足音が近付いてくる。その足音が私の目の前まで来ると、一人の男性の声が聞こえた。


「いたぞ!」


 するとゾロゾロと人が集まりだし、私の回りに固まっていく気配を感じる。


 何? 何なの? まさか、私がぶつかったのを見てわざわざ走って来てくれた? やばっ、私モテ期来た?

 

 そんな妄想を膨らませていると、誰かがボッチャンに手を掛け脱がそうとしてくれている。


 わあ、わあ! どうしよう! これまさに助けに来てくれた感じじゃん! ドラマみたいに『お嬢さん、お怪我はありませんか?』的な展開じゃない?


 ドキドキワクワクしながら、それでいて少し不安な気持ちを抱きながらゆっくりボッチャンを脱がしてもらう。視界が開け顔を見上げると、脱がしてくれたのは三十代ぐらいの男性で、その後ろには男子生徒と二十代ぐらいの男性が四人いた。


 あれ、おっさんじゃん。しかもタイプじゃない。後ろの人達もなんだかいまいち……。


 一人一人順に見て品定めをしていると、男性達が口々に開いた。


「そんな……」

「女……の子?」

「こんな若い子がどうして……」


 驚きや怒り、残念というような顔で私を見つめてくる。彼らの口にした内容と表情に私は疑問符が浮かぶ。


 ちょっと、何よその表情。何で私でガッカリなのよ? 胸か? 胸が小さいから落ち込んでるの? すいませんね、ご希望の巨乳じゃなくて――って、今女の子で驚いてたよね? えっ、まさか男だと思って来たの?


「君……」

「……は、はい!」


 急に話し掛けられ、反応が少し遅れる。


「どうしてこんなことしたんだい?」

「……はい?」

「君は一番やってはいけないことをしてしまったんだ。人を傷付けるなんて酷いことだとは思わなかったのかい?」

「……はい?」


 話し掛けてきた一人の男性の言葉が理解できなかった。まるで異国の言葉を聞いたような感じだ。


 何言ってるの? 一番やってはいけないこと? 人を傷付ける? どちらかと言えば私の方が傷付けれた被害者なんだけど。


 意味が分からず呆然としていたが、次の言葉はさらにそれを上回った。


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