Reverce -Parallel Univerce-
そのお店は、何となく目に止まった。見たこともない色をしていたから。それを何という名前で呼ぶのか、私は知らないけれど。
ウルのことは、はじめ大して興味の対象になかった。ただ、彼がお昼ごはんを食べている時にふと気がついた。
パスタをぐるぐる、ぐるぐる、何度も回していた。食べることそのものより、ただ回している行為の方が遥かに楽しい、というふうに見えた。
もしかしたら、私の気持ちを分かってくれるかもしれない。微かに、そう信じたくなった。だから声をかけた。
後から思ったのだけれど、貴方は私を食べるためにやって来た、だから普通の食事に興味がなかった。それだけだったのかもしれない。
スカボロー・フェアのことは、実は知っていた。でも、それしかかける言葉が思いつかなかった。貴方の親切な解説が、少し嬉しかった。こんなに私のために話しかけてくれる人を、知らなかったから。
ジュリアには、一言謝りたかった。彼の絡み方は正直鬱陶しく思う面もあったけれど、でも寂しさを紛らわせてくれた感謝もあった。
何を話したら良いか分からなくて、なぜか煙草の箱を並べたときには泣きたくなった。
彼は気にしていない様子だったから、余計に申し訳なく思った。
『'39』という曲を聞いた時、私はなぜかその歌詞に魅了された。それも、たった一文。最後の最後、
「それでも人生は続いている。それがひどく悲しい」
という、たったそれだけが。
その曲は、地球が汚染され、別の惑星へ逃げなくてはならなくなった未来を描いていた。
宇宙探索に出た夫は、地球に似た惑星を発見し、意気揚々と帰還する。しかし、ウラシマ効果によって、彼にとって一年の旅路であったはずが、地球では百年以上経っていた。
妻はすでに亡くなっており、孫たちが迎えに来る。そこに妻の面影を見て、悲しみに暮れる。そういう歌だ。
私はその曲に、疎外感を見出した。妻がもういない、という事実よりも、私ならきっと「その世界に馴染めない」だろう、と感じ取った。
百年も先の未来に突然放り出されたら、孤独もさることながら、何もかも異なる景色に、きっと順応できない。それでも、命ある限り生きなくてはならない。
そういう悲しみが、今の私にはよく効いた。
私がチョコレートばかり食べたり、煙草を吸ったりしている理由を知っているだろうか。
知るはずもないだろう。単なる拒食症などの類とは違うからだ。
口を埋めてしまう癖も、自分で気づいている。あれは吐き気をこらえるためのおまじないだ。
私の目は、正しく色を映してくれない。それが理由だ。
いつそれに気がついたのかは分からない。ただ、私の目は白と黒だけが正しく表示され、それ以外はデタラメに表示されるのだと分かった。
だから私は、目の前の料理が本来、どんな色をしているのか知らない。
林檎は何色で、あの鳥は何色で、この街はどんな色なのか。それを知らないまま生きてきた。
チョコレートは黒。吸っている煙草は白いボディしか選ばない。ブラックデビルはフィルターが色付きだし、ボヘームはボディが白じゃない。
コートの肩の辺りを払う癖もそれが理由だ。
当然、服だって白か黒しか判別できないから、必然的に女性的な服は選べない。無難なデザインで、黒っぽい服ばかり選んでしまう。
そこに埃があったり、雨粒で濡れてしまったりすると、違う色に見えてしまって気になるのだ。だから神経質になってしまう。
本は良い。白い髪に黒い文字しかないから。カバーを外せば、表紙のカラーも見なくて済む。
遠巻きにでもタイトルを判別できるとは思っていなかったけれど。
貴方はいつも、私が何を読んでいるか、興味深そうに眺めていたね。
貴方がくれた朝食。せっかく作ってくれたのに、ひどく悲しかった。きっと美味しそうな見た目をしていたんだろうけれど、私の目には気味の悪い色に見えた。おどろおどろしい、毒のような色に見えた。
だからチョコレート以外食べないんだよ。変な色をした茸を食べようとしないのと同じ。変な色をした料理は、無理やり食べても気分が悪くなるもの。
チョコレートが真っ黒で良かった。砂糖が白色で良かった。コーヒーが黒色で良かった。
でも、ウインナーコーヒーにウインナーが入っていないのは残念だった。
そんな奇妙な組み合わせなら、奇妙なものを奇妙な目で見ることになるから、相殺されて無効になんじゃないか、なんて考えたのだけれど。
だけれど、万が一食べたとして、案の定気分が悪くなっても、吐き出すことができない。
一つに、貴方の作った料理をゴミにしたくなかった。
そして何より、吐き出されたものを見たくなかった。それがどんな色をしているか、見たくなかった。
私の体内には、こんな気持ちの悪い色をしたものが溜まっています、だなんて、知りたくなかった。
だからちっとも吐き気は収まらなくて、お店の皆に迷惑をかけてしまった。ごめんなさい。
マナが看病をしてくれた時、貴方の事を聞いたよ。私を食べたがっている、と。
彼女は説明を終えてから、こう言った。
「兄さんのために、死んでください」
それは感情の欠落した声色で、心からそう願っているのだとすぐに分かった。
贄は、食べるに値する身体でないと成立しない。だから、私に残された道は二つしかない。
「贄」にふさわしい身体になって殺されるか、彼のために今すぐ死ぬか。
彼女はこうも言った。
「私は貴方を嫌いだと思っていない。もし普通の女の子に生まれていたら、友達になりたかった」
と。
ウルを部屋に連れた時、どう私を食べ尽くしてほしいと願った。彼に首筋を噛まれた時、本当に嬉しかった。どうせなら、彼の役に立って死ぬほうがずっと嬉しかったから。
でも貴方は、たった一口食べただけで、逃げ出してしまった。私はやはり、「贄」にふさわしくなかったのだ。
その時、私は死を決意した。もう、残された道はそれしかなかったから。
次の日、どうせなら、とマナに付き合うことにした。もしかしたら、友達になれたかも――その言葉を信じたかったから。
彼女はあれこれと美味しそうにご飯を食べるけれど、私には勿論、狂った色合いにしか見えない。
マナは私に、「何か食べないの?」と尋ねた。
それはいわば、「贄として生きる事は出来ないのか?」という最後の確認だったのだろう。
いらない、と答えた時、彼女は「死んでくれ」といったときと同じ声色で、それを受け入れた。どういう感情が渦巻いていたか、私には分からない。
ねえ、ウル。私は今、一人でこの屋上に立っている。街の景色はやっぱりへんてこで、気味が悪いよ。
私はね、こんな目をしているから、人間が本来どんな肌の色をしているのか、知らないんだ。どんな目の色をしていて、どんな唇で、どんな爪で――何も知らない。
だからね、ウル。もし、死んだ後で幽霊になれる世界であったら。その時初めて、私は貴方を見ることが出来る。
きっと驚くだろうね。黒でも白でもないのなら、貴方の肌は、髪の毛は、その目は、どんな色なのだろう。
私の部屋には、コンビニやショッピングモールで買えるものしか置いていない。携帯もない。日記もない。
貴方との思い出は、全て私の中にある。だから私は、貴方の記憶を抱いて、貴方と共に死ぬの。だからウル、貴方がこちら側へ来る必要は無いんだよ。
一人は寂しいけれど。今すぐにでも、貴方を抱きしめて、暖かな肌を感じたいけれど。この両腕が貴方を捉えることは、もう、無い。
でも最後に、どうしても怖くて仕方ない事があるから、これだけは確認させて。これは手紙の裏側に書いておく。気づかなかったら、それでも良い。
私は貴方に食べられた後、ガーゼで傷口を塞いだ。その時、うっかり見てしまった。自分の血を。体内に渦巻く、自らの色を。やっぱりそれは気味の悪い色をしていて、どうしようもなく怖くて、目眩がして、吐き出しそうになった。
だからね、ウル。ひとつだけ教えて。
いつかまた会えたら、その時に答えを聞かせて。それまで、私はずっと待っているから。
貴方の抱いている、私への
ごめんなさい。私は先にいく。貴方はどうか、幸せに生きてほしい。
一歩踏み出すと、身体がふわりと浮いて、私はその一瞬、天使になれたのかと錯覚した。
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