IV.

 どうした、と穏やかな声色が返ってくる。この声は、予め用意されている声のパターンから最も近い音で再現されているだけだ。電話ってそういうものだ。

 だから、言葉そのものにしか価値は付随されない。その声色は、造られた偽物なのだから。

 でも、今はその音色がとても心地よい。


「母さんは、屋敷の近くで身を投げて、海の中へ消えていきました」


 早すぎる死。それは僕ら一族にとって、本来起こり得ない事なのだ。長命を得られるのだから、急病による死というものもない。仮にそうなったとしても、必ず生き返る。



 突発的な事故であれ、それは「残機が減る」ようなものなのだ。本当に死んでしまうのは、引き伸ばされた寿命が尽きるその時だけだ。

 そう、残機――『風のクロノア』のように。



 母は海に身を投げて、その残機を繰り返し消費し続けたのだ。無限コンボで残機を増やす行為の逆、無限のように繰り返される死によって残機を減らし続けたのだ。

 それだけが唯一、僕らに出来る死の選択。父はこの真実を、必死に忘れさせようとしてきた。


「今なら、母さんの気持ちが分かるかもしれない。贄を選んだ時の、父さんの気持ちも」


 哀しいことに、贄を贄としてでなく失い、目的の見えなくなった今になって、全てが克明に映るようになった。

 ノラが死んだ意味。マナが選んだ道。父の託した願い。その全てが。


「人を殺す時に必要なものが何か、ご存知ですか」


 その問いに、


「殺意、だろう?」


 戸惑いつつも、彼は返す。


「いいえ、違うんですよ。だから父さんは、長年悩み続けてきたんだ」


 彼の直面した苦悩は、恋をしたがために殺さなくてはならない矛盾だ。だがそれは、恋と殺意とが別の存在であると思っていたからこそ生まれたものだ。


「人を殺すのは殺意じゃない。未来に対して盲目的であること――つまり、後先を考えない衝動にあるんです」


 殺意というものは、その結果名付けられた名前に過ぎない。殺意、つまり「人を殺したい」と思うこと、それ自体は誰だって持ちうる感情だ。そう思っただけで裁かれる事も、今のところは無い。



 そして「殺したい」と思った大多数は、それを実行しないまま日々を過ごす。

 理性が働くから、というのに間違いはないが、本当に殺してやりたいのに、殺す勇気がないんだ、という感情には、より分かりやすい答えが存在している。



 どうやって殺すか。それは簡単だ。どこかしらを包丁で刺せば、いつかは死ぬ。銃を持っているなら更に容易だ。

 殺したいけれど殺せない、その最大の理由は「殺した後の未来」を見てしまうから。


「当然捕まり、法で裁かれ、人生は崩壊する。それが嫌なんだ。人生を賭けてまでやりたくないと思うんだ」


 そうするくらいなら、縁を切って忘れてしまう方が、楽だし傷つかない。

 殺す瞬間、そんな未来を考えず、衝動的に行ってしまう。だから殺人が起こる。

 それはまるで、


「まるで、恋人との逃避行ですね」


 そう、ただそこだけを見たら、ぴったりと重なり合う。死によって分かたれる恋愛劇がいくつもあるように、死と恋とは似たもの同士なのだ。


「恋と殺意の本質は、同じ場所に存在しているんです」


 だから、悩む必要はありません。だって贄となった者を殺したとしても、それは恋の行くべき結末に沿っただけのことなのだから。



 これが完璧なる真実だなんて、勿論思っちゃいない。でも、そう思うことでお互いが楽になれるのなら、それで良いじゃないか。

 恋は一方的な感情で、それはあまりに強く自身の脳を掻き毟ってきて、自分勝手で都合の良い道筋を描きたがる。



 だからマナは、正しい事をしたんだ。僕への想いに従って、自分勝手な未来図を描こうとしたに過ぎないのだ。

 許しはしないけれど、あれ以上彼女を責める事はしない。


「長くなってしまってすみません。どうしても伝えたくなったもので」


 取り繕った笑い声を、ちゃんと聞こえるよう少し大げさにマイクにぶつける。

 父は終始黙ったままだったが、ようやく口を開き、ただ一言。


「ウル、私はいつだって、お前を信じている」


 信じる。何度もそう言われてきた。父は必ず、否定も肯定もしない。その距離感に甘えてきた。それはこれからも変わらない。


「ありがとう、父さん」


 そっと背中を押されたような気がして、僕はその優しい掌に、手を振ったつもりでそう答えた。

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