V.

 何か良いものはないか、と部屋の中を見渡し、キャリーバッグに目が止まった。それ以外に丁度いいものが無かったのもある。

 なにせ、テレビと冷蔵庫と本棚くらいしか置いていないのだから。残念だったね、せめてブラウン管のテレビだったらそちらを選んだのだけれど。



 彼女は美容品やら服やら何やら、とにかく沢山に詰め込んでいたから、キャリーバッグも相応に重たい。駅から駆け下りてくる時も、けたたましい音を立てていたわけだ。

 おかげで、実に使い勝手がいい。


「お前が整理整頓の下手なやつで助かったよ」


 ごすん。この程度では床も抜けないだろう。抜けた所で大丈夫だろう、ここだってどうせ、一族の息がかかったものだろう。誰も何も言わないはずだ。


「おかげで、僕は今、すごく楽しいんだ」


 ごすん。彼女は明後日の方に目玉を向けて、口をぱくぱくと動かしている。餌に群がる鯉のように。


「でも、お前を殺す気はないんだ」


 ごすん。三回目で、その手を止めた。血と吐瀉物と唾液とで、床はぐちゃぐちゃに染まっている。


「いいか、マナ。僕の肉を食べろ。そうすれば僕の生命力を与えられる。ほんの一口しか含んでいないから、大した量は無いだろうけれど、少ないほうがお互い手間が省けるだろう?」


「兄さん……なにを……?」


「お前は肉を喰らい、傷を癒やす。そうしたら僕はもう一度お前を殺すつもりで殴る。そうしたらもう一度食べるんだ。どちらかが死ぬまで、それを繰り返すんだ」


 その度お前は、死への恐怖と僕への罪悪感を思い知るだろう。ノラが味わった想いを、僕が味わった思いを、何回でも何十回でも味わうべきなんだ。



 マナはゆっくりと顔を持ち上げる。しかし視界が霞んでいるのか、ふらふらと左右に震えていて、まともに起き上がれそうにない。

 僕は右手でそれを支えて、首筋の方へと近づける。


「さあ、マナ。食べるんだ」


 左手で、彼女の唇をそっとなぞる。彼女は小さく口を開き、微かな呼吸を懸命に繰り返しながら、綺麗に整った歯を顕にする。



 そして彼女の口は、首筋を通り過ぎる。

 他の雑多な人間に比べ、満たされる事なく、傷ついていくばかりの掌に、彼女は頬を寄せた。


「血が出ていますよ、兄さん……」


 彼女の舌が、零れ落ちる血の雫を舐めとっていく。

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