IV.
部屋に戻ると、彼女は本を読んでいた。僕の棚から勝手に引っ張り出したのだろう。床にいくつも積み上げてある。
『西の魔女が死んだ』、『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』、『贖罪』、『カッコウの巣の上で』。どれも、誰かが死ぬ話だ。そして彼女の好きそうな、流行になった作品ばかりだ。
そして、今手に取っている本は――『TUGUMI』。
「おかえり」
返事をせず、積み上げた本を棚へと戻していく。それを止めようともせず、彼女は、
「死の描き方は、人によって様々だね」
言葉とは裏腹に、どこか冷めたような口ぶりで言う。TUGUMIだけはその限りではない、と言いかけたが、まだ中盤のあたりを読んでいるようだったから、声には出さなかった。
「マナ」
本を取り上げ、両の頬に手を添える。暖かい。ノラには無かった、生物が当たり前に備えている、生の温度。
彼女は丸い目で僕を見つめる。そこに何か特別な感情が渦巻いているようには見えない。
「お前はノラと二人きりになった時、何を話した」
今思えば、あれが分岐点だったのだ。僕を名前で呼び、表情を出すようになり、言葉数も若干増えた。それは病状によるものだと思っていたが、実際はそれだけではなかったのだ。
そうでなければ、たった数日で飛び降りる決心など出来るはずがない。
「兄さんのこと、一族のこと」
彼女の感情のない声に、
「どうして」
と叫んだ。今日、何度目かも分からない四文字を、その意味合いは全く異なる形で。
「全部、兄さんのためなんだよ」
「どういう意味だ」
「兄さんも分かっていたでしょう。彼女では、『贄』としての役割を果たせない」
ジュリアを殴ったときとは反対の手で、彼女を殴り飛ばした。暴力など生まれて初めての行為だが、驚くほど滑らかに身体が動く。
僕はもう、限界に達していた。一族がどうとか、ノラがどうかとか、そういったあらゆるしがらみに耐えかねていた。
「だから殺したのか!」
「いいえ兄さん、私が突き落としたわけじゃない。あれは嘘偽り無く、彼女の意志なんだよ」
確かに、彼女がノラを屋上から押し飛ばすことなど出来るはずがない。あの建物はオートロックで、部屋の番号を知らなければ入ることが出来ない。それは過去に僕も経験している。
昨日、ノラを送った時が唯一の機会だが、もしその段階で実行していたとしたら、朝方に発見されるのはおかしい。帰ったのは夕方の七時過ぎ、遅くとも八時頃には罪を犯したということになる。
それならば、帰宅した他の住人に発見される可能性は十分に考えられる。深夜に抜け出したとしても、ノラが目を覚まさなければ入れない。
つまり、自らの意志で身を投げた――「自殺」という二文字は、嫌でも受け入れなくてはならない。
「兄さん、ひとまず、家に帰りましょう。荷物もまとめておいたから」
彼女は頬をさすりながら、入り口の横に置かれたものを指差した。彼女の分のキャリーバッグと、僕の分のトランクの二つが並べられている。
「いいや、帰らない。僕はお前を絶対に許さないからだ」
もう一度、殴り飛ばす。こうなってくると、もう掌の痛みよりも、耐えようのない苦痛を発散できるという快楽が勝ってくる。転がり込む彼女に馬乗りになり、もう一度殴る。目一杯拳を引き上げて、もう一度それを下ろす。
ああ、頬骨に当たってしまった。これでは僕も痛いじゃないか。頬の中心に、指の付け根を突き刺すんだ。下顎を吹き飛ばすつもりで――もう一度。
そうだ、顔ばかり殴っていても芸がない。飽きてしまう。
みぞおちの辺りに一つ。彼女は息をつまらせ、ばたばたと脚を散らす。それが水面で必死にもがく蝿のように見えて、ひどく滑稽に映って、僕は嘲笑を抑えられない。
今度はもう少し下を狙う。肋骨のやや下、そして身体の左側。胃の辺りにうまく当てられたようだ、彼女は素早く身体を横に倒し、「中身」を全て吐き出した。
朝食のトーストも、消化不良の状態では綿のようにしか見えない。
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