Chapter 3: 500 Miles
I.
そろそろ、現実を見なくてはならない。僕はただ脛をかじって遊び呆けているわけではない。
家督を継ぎ、その血筋を絶やさぬためにここまで来たのだ。そのために、この二日間を過ごしてきたのだ。
僕らの一族で、実際に人を食べなくてはならないのは「最初の赤子」、しいては家督を継ぐ者だけだ。
つまり、兄弟姉妹の一番上、長男か長女かにのみ、その使命が与えられる。
「贄」という単語は、そのままの意味なのだが、意味もなく選べば良いというわけでもない。そこには、何故そういう掟になるのかと首を傾げる制限がある。
例えば、僕の父、オズの場合。
彼は二十三歳のとき、贄を選定した。そのときにはすでに許嫁――つまり僕にとっての母がいた。
贄は父が選び、父が食べ、殺した。僕は犠牲となった女の顔すらも知らない。
贄を喰らった者は、凄まじい生命力を得る。不老不死とまではいかないまでも、何世紀に渡り生きられるほどの寿命なのだと聞いた。
そして儀式を終えた者は、その血肉を分け与えることで、家族にも生命力を施すことが出来る。
これがつまり、僕に与えられた使命なのだ。
「贄を食べ、膨大な寿命を得て、それを家族に分け与える」
だからこそ、父は僕に何度も念を推すのだ。これまでそうだったように、これからも変わらぬように、早く人間を殺せと言っているのだ。
僕だって出来るならそうしたいが、贄の選定に際して問題が二つある。
一つはその選び方だ。幼い頃、父から聞いたことがある。
「贄をどうやって決めたら良いのか」
それに対し、父はこう答えた。
「私は今でも、贄となった女性の顔をはっきりと思い出せる。あれはきっと、恋だったんだ。私もお前も、二度恋をして良い権利を持っているのだよ」
恋愛感情なのだと、父は言った。
贄のことを思い出すのは、妹が生まれてすぐ、母が亡くなった事もあったのだろう。
あれは悲惨な事故だったのだと思うようにしているが、しかしそれでは拭えない過去だ。
今の僕では、恋に落ちることと、「この人を食べたい」と思う衝動とが結びつかない。それに何より、僕は恋を知らない。これが一つ目の問題。
二つ目は、もっと単純で切迫したものだ。
人を喰らい、生命を得るということは、当然「食べ応え」がなくては意味がない。
骨まみれの魚より、肉厚な豚を好む人が多いのと同じことで、これは生物として当たり前の選り好みと言ってもいい。
事実、代々贄として捧げられた者は、皆ふくよかな体型だったらしい。
僕は今、ノラのことが気になっている。彼女のことをもっと知りたいと思っている。それに、彼女以外に親しい異性もいない。
もし仮に、彼女を贄にしようとしても。
彼女はあまりに痩せこけていて、食べられる部位など殆ど無いのだ。
ノラを食べたいだろうか? 自身に問いかける。
分からない、と返事がする。
それもそうだ、僕には人間のことなんて分からない。同じ人間という器を纏っているけれど、僕ら一族と他の人間たちとでは、まるで違う生き物だ。
吸血鬼のように、無差別に襲いかかるものではない。社会に溶け込んでいる者、長命を利用し闇の世界に生きる者、生き方は様々だが、どれも人間と共存している事に変わりはない。
しかし、何世紀も生きて、家族と血肉を分け合って過ごす人生は、明確に異質だと言える。
僕は何十年何百年と生きられるようになったとして、どう過ごしていくのだろうか。何をしたいだろうか。どうして、贄を必要としているのだろうか。
朝方の冷たい空気に触れまいと、布団の中で無為に時間を消費し続けて、どれほど経っただろうか。携帯が鳴り出した。
「ウル、おはよう」
父、オズの声。時計をちらりと見る。午前十時。三時間もボケっとしていたのか、と声に出さず驚く。
「おはようございます、父さん。どうしました」
「いや、調子はどうかと思ってな」
歯切れが悪い。父は僕に期待している。それは親として当然の感情だ。だからこそ、言い出しにくい話題をする前には、こうして歩調が鈍るものだ。
「進捗確認ですか」
「まあ、そうだな。すまない、急かしているわけではないんだ」
「では父さん、一つ教えてください」
いつまでも成果を報告できないでいるのは、僕の性格上我慢ならない。なにせ真面目だから。
「贄は、どんな成り行きで選ばれたのですか」
尋ねると、父はしばし、言い淀んだ。忘れられない、と言っていたのだから、辛い記憶なのだろうか。
やっぱり謝っておこうか、と思ったが、咳払いを一つして、父は話した。
「彼女とは、とある旅館で出会った――数ヶ月間、気ままに旅をしていた時期があってな――まあ、何ということもない。落とし物を拾っただけの出会いだ。しかし、私も、恐らく彼女も、一瞬目が止まった」
それを一目惚れと言わないあたりが、父らしいと言える。
何より、父も僕のように遊び呆けていた時期があったようで、むしろそちらに驚く。
「お互い、一人旅だった。他愛ない世間話をしながら、食事を共にした。彼女の住まいを聞き出して、私も近所の住まいだと嘘をついた。次の日、別れてから大慌てで引っ越しの手続きをしたんだ。新規入居と分からないよう物件を斡旋してもらって、すぐに会いに行った」
何という大胆なやり方か。今の父の姿からは想像もつかない。
彼も若かりし頃は、そうして無茶な事を平気でやっていたのか。そう思うと、やはり僕らは人間なのだな、と安心する。
流石に住居から偽装しようだなんて、僕は思いつきもしないだろうけれど。
しかしそれが出来るのも、僕らの一族が裕福だからこそだ。
あちこちにコネクションがあり、資産がある。先人たちの優秀さには頭が下がる。
「それからは……よくある恋愛模様だ。ものの数週間で、私は彼女を選んだ。儀式の事は、すまない。話したくないんだ」
吐息のこもった声がして、僕は十分です、と答えた。
良かった。それがまず思ったこと。父は僅か数週間で選び取ったのだ。やはり恋とは、月日ではないのだ。
「父さん」
庭に出たのだろうか、鳥の鳴き声と子供の声――恐らく妹だろう――が聞こえる。
顎髭をさすりながら、それを暖かな目で見つめる姿が目に浮かぶ。彼に、笑顔を届けてあげたい。僕はたった今、腹を括った。
「もうそろそろ、そちらに帰れると思います」
ノラ。僕はきっと、貴方を選ぶのだろう。
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