Chapter 2: '39

I.

 左手の先でぷらぷらと揺れる煙草から、重みに耐えきれなくなった灰がぽとりと落ちる。その一連の光景を、僕はカウンター越しにじっと眺めていた。



 というのも、暇だからだ。今日は僕と店長以外にもう一人、バイト戦士が入っている。僕は働き者だけれど、彼は程よくサボりたがる性格だ。

 故に仕事のしわ寄せは僕に――となりそうなものだが、僕も店長も容赦なく働かせる。

 一応、僕のほうがキャリアは長い。


「ウルっち、洗い終わったよ〜。休憩行っていい?」


 彼、ジュリアは、その可愛らしい名前とは裏腹に、濃い顔立ちをしている。

 筋肉質で、体育会系な肌の色で、でも喋り方はふにゃふにゃしている。

 隙あらば休憩に行く。それが彼のスタイルだ。無論、却下する。


「店長が帰ってくるまで待ちなよ」


「やだー。煙草吸いたい」


 従業員は店長と僕とジュリアだけ。歳は僕の一つ下だが、僕が「かしこまらなくていい」と言って以来、少し鬱陶しいくらい親しく絡んでくるようになった。



 ただ、髪型だけは偉いなと思った。僕は勤務中、髪の毛をまとめて後ろでくくってしまうほど長い。けれど彼は、勤務初日につんつんの短髪に切ってからやって来た。変なところだけ真面目なのだ。


「一本だけだよ。ノラさんの邪魔しないようにね」


 ノラ? と聞き返されて、僕は「しまった」と後悔した。


「なになに? いつの間にお客さんとっ捕まえたのさぁ」


 昨日と同じ、壁際の席にちょこんと座り、彼女はブレンドと本と煙草とを満喫している。

 今日も全身黒ずくめで、時折コートに外出用のブラシをかけている。

 僕らの会話は届いていないのだろうか。名前が出てもぴくりとも反応しない。

 否定するのも面倒くさい。放っておこう。


「よし、俺が潜入調査をしてしんぜよう」


 カウンターの隅に置いてある、彼専用の煙草を取り出し、カウンターを出る。

 はじめはエコーを吸っていたが、あまりに匂いがきついから、僕らの猛反対を受け、泣く泣くダビドフに鞍替えをした。

 が、そのダビドフも販売停止となってしまい、今は香りの薄いウィンストンを吸う事となった、ちょっと悲しい経歴がある。



 しかしどれも香りはバラバラだ。彼の好みは一体何なのか、と疑問に思う。多分飽きっぽいんだろう、と僕は考えている。



「お味はいかがですか?」


 ジュリアは所謂、遊び人だ。それは僕も似たようなものだけれど、彼の場合は違う方向での遊びが多い。つまり、女性関係の。

 ノラはちらりと彼の方を見て、服装から店員だと判断したのだろう、すぐに視線を本へと戻し、ブレンドコーヒーを啜る。


「美味しい」


 その後に続く言葉を待っていた彼は、そんなものなどない、と気づくまで居心地の悪い沈黙を味わっていた。

 どうしたものか、と頭を掻いたかと思うと、はっとテーブルの上の煙草に視線が飛んだ。


「パーラメントですか、良いですねえ」


 そういえば、今日も箱の柄が違っていた。白に青のラベル、V字のロゴが特徴だ。個人的には、昨日のポールモールを超える豊かな香りだと感じた。



 彼女は僕とは全く異なるアプローチに辟易したのだろうか、灰皿に立てかけていたパーラメントの火を消してしまい、鞄から新たな箱をいくつも取り出した。

 銘柄に拘りはない、という意思表示なのだろうか。心なしか、眉が僅かに寄っているようにも見える。さすがの彼女も、ジュリアのウザさの前には表情が揺らぐらしい。


「はー、コンビニに無いようなのばっかりだ。ダンヒル……キャメル……デスも!」


 僕からすれば、何かの呪文かと思うような単語ばかりだ。デスなんか、凄く強そう。しかし、遠巻きに見てもあの銘柄は見当たらない。


「ノラさん、ジャルムはどうされたんですか?」


 豆の在庫を確認しながら、僕は何気なく尋ねた。


「置いてきた」


「どうして?」


「貴方が咳き込んでしまうから」


 さらりと呟くものだから、ジュリアからの視線はより一層面倒くさい光に変わる。どう弁解したら良いものか。


「何だよウルっち! どんな関係なんだよ!」


 他にお客さんがいなくて本当に良かった。いたら彼の顔面左半分にクレーターを作りかねない。


「いえ、お気になさらずに」


 彼の追求を無視して、僕は自身の昼食用のコーヒーを作る。

 聞いてんのか、というジュリアの声にも耳を貸さない。聞いてないよ。


「じゃあ、また気が向いたら」 


 彼女は取り出した煙草を仕舞い込み、再び本の世界に集中し始めた。ジュリアもそれ以上は邪魔をしない。最低限、本当に最低限の気遣いは出来る男だ。でなければ店長がクビにしている。


「ところでジュリア、吸い終わったよね? 仕事に戻りなよ」


 あ、と彼は左手に持った灰皿に目を落とした。無意識なのか、彼は喋りながら貴重な一本をすでに吸い終えていた。

 嘘だろお、と肩を落としながら、とぼとぼとカウンターへ戻る。



 丁度その時、店長が戻ってきた。


「ただいま。お店は大丈夫だったかな?」


 店長の問いに、


「ええ、平和なものです」


 僕はさらりと答えてみせた。

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