SUPER_MOON

水楢 葉那

スーパームーンの夜に。

『本日はスーパームーンが見られるそうですねぇ』

『そうなんです!しかも、今回のスーパームーンはいつもとちょっと違うんですよ!』

朝、春翔はるとはアナウンサーや天気予報士達が賑やかに会話している様子を観ながら朝食を摂っていた。

「そうか…今日はスーパームーンか…」

春翔はそう呟き、仏壇の方へと目を向けた。そこには向日葵のような明るい笑顔を浮かべた蒼甫そうすけの写真が。

彼は春翔の自慢の弟だった。しかし昨年、事故で他界した。彼が他界した翌日にはスーパームーンが見られた。事故に遭った日の朝は、2人でスーパームーンを見に行く約束をしていたのに、結局2人共見ることは出来なかった。

「蒼甫、今夜見に行こうか。」

春翔は写真に向かって微笑んだ。写真の蒼甫は、眉ひとつ動かさない。もうこの一方的なやりとりにも慣れてきた。

春翔は支度を済ませると蒼甫の前で正座をし、手を合わせた。

「行ってきます。」

春翔はそう言って玄関のドアを開けた。



「お先に失礼します」

17:00丁度、春翔は鞄とコートを片手に会社を出た。

今日はスーパームーン。蒼甫と一緒に見に行くんだ。写真を撮って、お前に見せてやるからな。とびきり綺麗な月を。

春翔は電車に揺られながら心の中にいる蒼甫に話しかけていた。蒼甫は無邪気に笑って頷いた。

『うん。一緒に見よう。絶対だよ。約束だからな、兄貴。』


家に着くと、春翔は直ぐに着替えて外に出た。

カメラと天体望遠鏡を抱えて近所の公園に向かった。そこの公園には丘があり、よくそこで蒼甫と遊んでいた。2人で「家出ごっこ」をした時、月がよく見えたのを覚えている。

久しぶりに訪れたその場所は、幼い頃に見た景色より小さく見えた。

まだ日が長いこの時季、去年の今頃は何をしていたかな…

春翔は西の空を真っ赤に塗りつぶそうとしている太陽に背を向けて考えた。



まだその時は蒼甫は元気にしていた。

大学生だった彼は、よく春翔に黙ってバイトを幾つも掛け持ちしていた。

時々風邪を引いたと言って学校に行くことすら出来ずに家で寝込んでいた。

ある時、彼はバイト先で倒れた。過労が原因だった。聞けば、今まで学校を休んでいたのは、大半がバイトによる疲労だったらしい。春翔は彼にバイト禁止を命じた。何よりも自分の体を大切にして欲しかった。

それから数ヶ月後、せっかく健康的な毎日になったのに、彼は横断歩道を渡ろうとして信号無視の車にはねられた。

彼の遺品を整理していると、押し入れの奥から真新しい箱が出てきた。

綺麗にラッピングされ、丁寧にリボンまで付けられていた。そのリボンに挟まれた小さな紙には「兄貴へ」と蒼甫の字で書かれていた。

春翔はその箱を開けた。



春翔はいつの間にか紫色になっていた西の空を見た。

この色は蒼甫からのプレゼントのラッピング用紙に少し似ている。

春翔が今小脇に抱えた天体望遠鏡は、蒼甫からの最後のプレゼントだ。彼はずっと前から兄とスーパームーンを見るつもりだったのだろう。

必死に稼いでこんなにも高価な物を買った彼は、一体どれだけ兄貴思いな奴なんだ。これだけ酷い話があるだろうか。何よりも楽しみにしていたスーパームーンを見られないなんて。

春翔は望遠鏡を右手で撫でた。

再び東の空に目を向けると、大きな月が姿を現し始めていた。

いつもより何倍も大きく見える。

天体望遠鏡は必要無いくらいだ。

だが、春翔はその望遠鏡を覗き込んだ。幾つものクレーターを一つ一つ見ていくと、何かが見えた。

春翔は驚き、目頭を押した。疲れているのだろうか。

しかし、もう一度覗いてみてもそのが見えた。

望遠鏡のピントをに合わせる。

春翔はそれを見て目を見開いた。

「…蒼甫⁉︎」

蒼甫がこちらに向かって手を振っているのだ。彼はいつもと変わらぬ向日葵のような笑顔でいる。こちらに向かって何か言っているようにも見える。

「蒼甫…!お前なんで…!」

春翔は望遠鏡を覗いたまま言った。春翔が瞬きをしたその途端、蒼甫は姿を消した。

春翔は望遠鏡の向きを変えて月面を隅々まで見ようとした。すると、後ろから肩を叩かれた気がした。

振り返ると、そこには蒼甫がいた。

『兄貴、その天体望遠鏡、使ってくれたんだ。ありがとう。それ、よく見えるだろ?高かったんだから大事にしろよな。』

「蒼甫…。」

『何泣きそうな顔してんだよ。兄貴の泣き顔なんて俺の葬式の時に散々見たからいらねーよ。女々しいって言われるぞ。父さんに。』

「蒼甫お前なぁ…」

春翔は呆れたように笑った。

蒼甫は春翔の隣に座って言った。

『兄貴、ここ、懐かしいよな…。あ、「家出ごっこ」覚えてる?ここのベンチに座って、毛布にくるまって、月見てたよな。あの時も確かスーパームーンだったんだよな。』

そうか。だからあの時の月はあんなにも綺麗だったのか。と春翔は頷いた。

『兄貴、やっとスーパームーン見れたな…。』

「あぁ。」

『兄貴、俺さ、あのむこうでは幸せだよ。』

うん。わかってる。お前のその表情を見たらわかる。

春翔は静かに笑った。

『でも、時々寂しくなるんだ。だから、今日は兄貴に会いに来ちゃった。』

「随分と自由だな。お前らしい。」

『うん。ねぇ兄貴、仕事、うまくいってる?』

「まあまあだよ。良くもないし悪くもない。」

『…そっか。それなら安心した。もう行くね。』

「えっ。ちょっと待っ…」

春翔が言い終わる前に、蒼甫は姿を消した。

「随分と自由だな。蒼甫。」

春翔はベンチに座ったまま呟いた。

「うまくいってないなんて、弟の前で言えるかよ。」

今日だって定時ぴったりに会社を出た時、周りの目が凄く怖かった。

春翔は今にも破裂しそうなくらいに大きくなった月を見て溜息を零した。



次の日、春翔は会社に行くと目を丸くした。

春翔のデスクにお菓子が山盛りに積まれていたのだ。

幸い、春翔はいつも誰よりも早く会社に着くため、オフィスには春翔1人だけだった。いや、幸いなんかじゃない。これじゃあ誰からなのかわからない。

春翔がその場に立ち尽くしていると、ドアが開く音はした。春翔は驚いて振り返ると、ドアから顔を覗かせていたのはオフィス一の美女と言われる有田ありたはるだった。

彼女は少し首を傾げながら細く長い脚を滑らせるように前へ出して春翔の方に近づいてきた。

「どうなされたんですか?春翔さん」

“春翔さん”そのひと言だけ、囁くように、近くに聞こえたのは気のせいだろうか。春翔は妙にドキドキした。

彼女は長い髪を耳にかけて言った。

「わぁ、こんなにたくさんのお菓子、どうなされたんですか?」

彼女の目はキラキラと輝いている。甘いものには目がないオトメの目だ。

「さっき来たら、こんなになってて…俺、何も記憶にないんですよね…」

「え!誰かのイタズラって事ですか⁉︎」

「いや、イタズラでお菓子大量に送りつけるのは無いと…」

そう言いかけた時、春翔はハッとした。

「あの、悠さん、良かったら、このお菓子、どうですか?」

彼女は一瞬目を丸くしたが、太陽のような笑顔を見せて言った。

「ありがとうございます!」

そんな訳で、お菓子に山は悠さんと山分けしてどうにかなった。


夕方、定時を過ぎ、オフィスにいる人達もまばらになりつつあった。

20:00を過ぎると、いつの間にか春翔1人になっていた。

そろそろ出ないと…。

春翔は少し散らかったままのデスクから立ち、伸びをした。すると後ろから肩を軽く叩かれた気がして振り返ると、悠が立っていた。長い髪を揺らし、首を傾げて彼女は優しく微笑んだ。

「お疲れ様です。ご飯、一緒にどうですか?」

春翔は一瞬戸惑ったが、首を縦に振った。


「悠さん、大丈夫ですか?まったく、飲み過ぎですよ…」

「春翔クンって優し〜ね〜」

悠はふふふと機嫌良さそうに笑った。春翔はそんな彼女に肩を貸しながら歩いた。電車に乗ってからも、彼女は酔いが覚める事はなく、終いには眠ってしまった。

眠る前に家聞いといて良かったな。

春翔は彼女を抱えるようにして電車を降りた。


翌日、春翔が会社に行くと、悠がいた。

「おはようございます。昨日はありがとうございました…。ご迷惑を…」

「いいよ。俺は全然大丈夫だから。」

いや。大丈夫じゃないかも。と春翔は思いながら微笑んだ。

気のせいだろうか。今日は彼女の胸元がよく見える気がするのだ。お陰でまともに顔も見られない。

その時だった。

「春翔さん…」

と耳元で彼女の声が聞こえたかと思うと、後ろから細い腕が伸びてきた。その腕は春翔をあっという間に包み込み、微かな温もりを伝えた。

「…好きです。」

かすれたその声に春翔は耳を疑った。

「私、春翔さんのことが好きです…」

悠の微かな声が春翔の鼓膜を揺らすと、春翔を抱き締める腕に少し力が入った。

どう返すべきか分からず、春翔は戸惑っていた。

春翔だって、悠のことが好きだった。しかし、いざとなると眉ひとつ動かなくなる。ここは、男にならなくては。

春翔は思い切って悠の腕を除けた。

振り返ると、戸惑う様子の悠の姿が瞳に映った。

彼女の赤くなった頬に手を添えると、熱が伝わり、自分自身も熱くなるのを感じた。

微かに震える手を滑らせて、春翔は彼女を腕の中へと閉じ込めた。

「…俺も、悠さんのことが好きです…。よかったら…」

春翔がそう言いかけた時、オフィスのドアが開いた。

春翔と悠は弾かれるように互いから離れた。彼女が春翔の元から離れる時、微かな声が聞こえた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

春翔は足元がふらつくのを感じ、自分のデスクに飛び込むようにして座り込んだ。

ふと見ると、デスクの上は昨日のまま散らかりっぱなしだった。春翔は小さく息を吐き、デスクの上を整理し始めた。

すると、見覚えのない一枚のメモを見つけた。

真っ白な面を裏返すと、春翔は息を呑んだ。

そのメモには、見慣れた字でこう書かれていたのだ。



『兄貴

この前は一緒にスーパームーンを見られて嬉しかった。ありがとう。

これは、俺からのお礼。



末永くお幸せに。

蒼甫』

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