第16回 自己肯定感

 ユズ(以下、ユ):みなさん、自分のことは好きですか?

 レモン(以下、レ):・・・突然なんだ。

 ユ:あまり深く考えないでいいですよ。

 ミカン(以下、ミ):まあどっちかっていったら好きかな。

 レ:大好きってわけでも、大嫌いってわけでも。

 ユ:ありがとうございます。まあそんな感じになる人が多いかもしれません。


 ユ:社会には、自分を好きっていうことがはばかられる雰囲気はあるでしょうね。

 ミ:ナルシストとか言うね。

 ユ:ナルシストは「自己を愛し、自己を性的な対象とみなす状態」、「自己への陶酔と執着が他者の排除に至る思考パターン」のことで、つまり「鏡の自分を見て抱きたい!」ってレベルの話です。

 ミ:普通に自分が好きとか「自信がある」とは違う方向性なんだね。

 レ:まあ、本来とは外れた意味でこの言葉が普通に使われるように、自分を好きとはいいづらい雰囲気は感じる。


 ユ:学校で「自分を好きになろう」って言われること、あると思います。自己肯定感を高めるとか、自尊感情を高めるって言い方もしますね。

 レ:好きになれったって好きになれるものとは思えんが。

 ミ:自分を好きになる方法って言われると難しいよね。


 レ:自分を好きになれない自分はダメなんだと、さらに自信をなくす。

 ミ:なんという循環。

 レ:そもそも自分を好きじゃないとダメなのか?


 ユ:ぶっちゃけ、好きとか嫌いとか言っても結局自分として生きる以外ないのだから、自分の存在と現状を認めて生きていくほかないんですけど。

 ミ:今日のテーマ終わっちゃうじゃん。

 ユ:とはいえ、そうやって割り切るのも簡単なことじゃありません。「自分を好きになろう」の意味と問題点、考えていく価値はあるでしょう。



1.自分を好きになることの意味


 レ:まあ自分を好きになれっていうのもわからんではない。「私は好きです、なぜなら私だから」っていえれば強そうだ。

 ミ:なんでも自信もって思い切りできそうだよね。逆に自分が嫌いだと「どうせ私なんて・・・」って何をするにしても思い切りがなくなるかも。

 レ:「どうせ私なんて・・・」という言葉が出た瞬間、あらゆることが楽しくなくなるな。


 ユ:さらに、自分が嫌いだと、概して他者も嫌いになりがちという問題があります。

 ミ:嫉妬(しっと)とかそういうこと?

 ユ:それもあります。嫉妬も含め、自分を認めることができないということは他人を認めることもできないことが多いです。

 レ:優しい人を見ても、「あいつは表だけいい顔している」「腹黒だ」とかいう人は、当然自分も優しい行動は取らないな。

 ユ:「それは腹黒のすることなんだからしなくていい、する方がバカだ」っていう「逃げ」なんですけどね。人間、そういう逃げの思考に陥ることはよくあります。

 ミ:「逃げ」かあ。・・・ぶった切ったね。

 ユ:ええ「逃げ」です。ハッキリ言うべき時もあります。


 レ:でも、だからといって「好きになった方がお得だよ」で好きになれるかと言われれば。

 ユ:さすがに「好きになれ」というだけではなく、学校ではいろんな取り組みがなされていますね。



2.自己肯定感を高める取り組みで、高まるか?


 ユ:自己肯定感を高める取り組みは色々ありますが、授業として主なものは2つです。メインは、友達の良いところをみつける学習です。自分の気づかない良いところを友達にみつけてもらおうということですね。

 ミ:人のよいところを見つけるのは、他人を好きになる上でも大切さね。

 レ:あ~、あったあった。でもさ~、すぐ見つかる良いところを持ってる人ってやっぱり日頃から褒められている人なんだよな。人と沢山話せたり、足が速かったり。私とか「まじめ」くらいしかでてこないわけさ。

 ミ:まじめっていいんじゃない?

 レ:自己肯定が低い人は気持ちがすさんでいることが多い。「うるせー、まじめなんて散々言われて知ってらあ、むしろ真面目なだけじゃ生きていけないくらい知ってんじゃー。」って感じ。ほめられても素直に受け止められない。

 ミ:言われたことが、むしろ自分の嫌いな部分でもあるわけだね。だからこそ、他人に自分の気づかないところを言ってもらえればいいんじゃない?

 レ:これが何を言われても、「時間かかって、どうせ無理やり出したんだろ?」とか思ってしまう。

 ユ:本来目的の自己肯定感が低い子には、なかなか響かないかもしれませんね。


 レ:でも、この授業の意味はわかる。それでも、本気で見つからなかった時のショックは大きそうだ。

 ミ:見つからないことを咎められるべきなのかも、難しい気がする。

 ユ:最悪なのはふざけることですけどね。

 ミ:それはもう話にならない。

 レ:ただでさえ、自己肯定が低いということは他者に対して敵対心がありがちなのに、余計信頼できなくなる。

 ユ:この取り組みは大きく傷つく可能性も勘案されないといけませんね。



 ユ:2つ目の取り組みは、自分の成長を振り返ることです。自分は周りに比べて何もできないと思ってたけど、過去の自分と比べるとこんなにできるようになったんだ、という自信を持つための取り組みです。

 レ:でも、周りと比べての劣等感は変わらなくないか?

 ミ:現状は変わらなくても見方を変えようってことだと思う。自分の成長を正当に評価してあげることは大事だよね。

 レ:そうかもな。ただ、自分で見つけるんかい。先生が成長を評価してやれよ。日頃、先生が評価してないから自分はダメだと思っている可能性はかなりあるぞ。

 ユ:その視点は大事ですね。もちろん、自分で自分を過小評価しない、正当に評価する考え方は大切で学ぶべきです。しかし、まず日頃から子ども1人1人を評価することが何よりでしょう。


 ミ:そう考えると、初めから先生が日頃から評価していれば済んだ話?

 レ:そうとも言い切れないかもな。先生や周りから評価されても「ほんとかよ」って思うこともあるし、自分で自分を評価する視点はそれはそれで要るかもしれん。

 ユ:とはいえ、他人から認められた経験なしには自分を認めることは難しいでしょう。「何があっても、他人に何を言われようと自分は自分だ」は高次元の考え、まずは他人に認められた安心や嬉しさから感情が育っていくものです。



3.低い自己評価は悪か?


 ミ:そもそも自己評価って高ければいいのかな?

 レ:できないのに自分はできるって自信だけ高くてもそれはそれで困りそうだ。傲慢(ごうまん)というかおごりというか。

 ユ:そうですね。それは自分の現状と捉えられていないということです。


 ミ:自分が嫌いっていうのも「なんとなく嫌い」はまずいけど、「こういうところが嫌い」って理由がある場合も多いからね。

 ユ:低い自己評価は自分の現状を適切にとらえている可能性が高い、といえるでしょう。

 レ:もちろん、過度に過少評価したり、できなくてもいいことをできないと嘆いていたり、間違っている場合もあるけどな。

 ミ:低い自己評価の中身は見る必要がありますが、少なくとも低い自己評価=悪ではないということだね。


 ユ:むしろ、適切な劣等感はいいことです。

 ミ:劣等感ってあまりいいイメージないけど。

 ユ:もちろん「どうせ私なんて」と卑屈になるだけではマイナスです。ですが、「今はまだ足りないけど、変わりたい」と努力する原動力になれば、その劣等感はむしろ力になります。

 ミ:なるほど。

 ユ:もちろん、すべてが克服できるとは限りません。弱点が消せなくても「自分はこういうところが弱い、だからこういう場面ではこう気を付ける」と現状把握が自分の行動に繋がれば、その低い自己評価はプラスに働いているといえるだろう。

 レ:例えば、人込みが苦手なのを克服するのが難しくても、人込みに入らないように行動することは可能ということだな。


 ユ:肯定的評価を見つける学習は有効な面もあるでしょうが、少なくともそれが適切な低い自己評価を打ち消すものであってはいけません。

 ミ:本当に自分が改善したいと思ったことから、自分から目をそらしてしまうことになりかねないからね。

 レ:そもそも低い自己評価はダメってことは「お前の自己評価は間違っている」って言われたも当然だからな。余計自己評価下がる。

 ミ:冒頭に出た「自分を好きになれない自分はダメなんだと、さらに自信をなくす」って話だね。


 ユ:この言葉は重要です。自己評価が低い存在も認められなければいけません。

 レ:逆に、自己評価が低くてもいいんだと思えれば、一番根底の「自分が存在すること」を認めることにつながるな。

 ミ:むしろ、自分の弱点をしっかりみつめ問題視していることを評価すべきだね。


 ユ:部分部分の自己評価が低いことは構わない、むしろ自分のことを適切に理解していると言えるのではないでしょうか。

 レ:漠然と自分が嫌いだったら、苦しい自分のよいところ探しを無理矢理するより、まずは自分の嫌いなところをはっきりさせることからかもな。

 ミ:そうすれば、ここは改善できるとか、ここは対策打てるとか、ここは実は大した問題じゃないとか、考えることができるからね。



4.おわりに ~低い自己評価も認められたという、自己存在という根本への自己肯定感~


 ユ:低い自己評価がたくさんあろうとも、「自分はここにいていいんだ」「自分は生きてていいんだ」という存在承認、つまり安心感があれば楽しく生きていけるでしょう。

 ミ:自分の好きになれればいいけど、学校は自分が嫌いな人がいてもOK、って認めてくれないとね。

 レ:自己評価が低くてもいい。長所がなくたっていい。それを認めろ。

 ユ:それはなにもできなくてもいい、成長をやめてもいいということではありません。くやしい、できるようになりたいことを手助けするのは重要です。ただ、それも安心があっての話。まずは存在を認めるところからです。


 レ:もちろん、自分が嫌いだからって他人までバカにしてはダメだけどな。

 ミ:自分もバカにしちゃダメだよ。自分が嫌い、自信がないのと、それをバカにするのとは別。

 レ:そうだな。自分の弱さとちゃんと向き合うことは、他人の弱さにもちゃんと向き合うことにつながる。バカにするってことは、ごまかして弱さと向き合うことをサボるってことだ。

 ユ:苦しく面倒なことですからね。でも、必要なことだと思います。



 ユ:それでは、ここまでお付き合いありがとうございました。

 レ:次回もぜひご覧ください。

 ミ:またね!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る