第12回 正しい認識が否定された時(無知の暴力)

 ユズ(以下、ユ):学校に限りませんが、自分の話した内容が否定されたら悲しいですよね。

 ミカン(以下、ミ):うん。

 ユ:後で確認して間違いだったらまだしも、やっぱり正しい知識だったらやるせないですよね。

 レモン(以下、レ):腹立つな。

 ミ:今だったら、ネット検索して一瞬で正しいとわかることなら、その場でスマホでネット検索して「ほら見てよ」って感じで返せるけど。子どもの頃はどうだろう。

 レ:毎回パッとそういう機転を利かせられるとも限らないし、それが制限されている環境も特に学校なら多い。

 ユ:そんな理不尽、誰しも1度は経験したのではないでしょうか。



1.無知と軽率な否定が子どもを傷つける


 

 ユ:さて、私の好きな音楽クリエイターさんのあるエピソードを紹介しましょう。


小学校最大の思い出は、図工の時間に好きな動物描けって言われて野原にハムスターがいるやつを描いたら先生に「野生のハムスターはいないよ」と言われて「あ?」となったことでした。


 ユ:当然、野生のハムスターはいます。「野生のハムスター」で検索してもらえば一発で出ます。

 ミ:たぶん、先生が飼われているハムスターしか知らなかったんだね。

 レ:間違った知識を押し付けて問題なのは、正しい知識が間違った知識に上書きさせる危険ももちろんだが、一番は意欲がつぶされることだな。学ぶ意欲、表現する意欲、そしてその先生に話す意欲。

 ユ:どの意欲も大切ですね。

 ミ:「先生に話す意欲」信頼関係の部分は、「こいつに話しても無駄だ」ってなるからね。


 ミ:これ、先生が無知だったことがいけないといえばそうなんだけど、まあ知らないこともあるよね。

 レ:さらに問題なのは、子どもの認識より自分の認識が正しいと決めつけていたことの方か。



2.子どもは無知で大人は賢いか


 ユ:大人は子どもに対して知識の権威です。大人が「間違ってる」と言えば、子どもはなかなかそれをくつがえすことはできません。

 レ:特に教師は「偉さ」は強いだろうな。

 ミ:でも、大人が知らないことを子どもが知ってることもたくさんあるよね。

 ユ:はい。ですが、多くの場合偏った見方をされています。それは、「子どもの世界」のことは子どもは大人を上回っているけど、他は大人が上だという見方です。

 レ:例えば、ポケモンの種類は子どもがたくさん知っていても、国語や算数、理科や社会の範囲の知識は大人が上って感じか。

 ユ:そうですね。

 ミ:気持ちわからないことないけど、そんなの個人差あるよね?

 ユ:はい。赤子ならまだしも、6才なら6年もそれぞれの人生経験をしているわけですから、大人でもあまり知らないようなこと知ってたり気づいたりしていて当然です。

 レ:知識の総量は確かに6才と30才じゃあ、30才の方が多いことが大抵の場合だろうけど、6才の知っていること全て知っているわけではない。


 ユ:子どもと、というか他人と接する際には、自分が知らないことを知っている可能性を認めないといけません。

 レ:子どもが自分が知らないことを言う、あるいは自分の認識と違うことを言っても、簡単に否定してはいけないわけだな。

 ユ:自分は逆だと思うという意見は言っていいでしょうけど、少なくともぞんざいに扱ってはダメでしょう。

 ミ:見下さず、対等な立場に立って話すことが大切だね。



3.集団からの否定から守る役割


 ユ:一方、子どもにとって、経験値的に知識で頼りになるのは大人だということもまた事実です。

 ミ:多かれ少なかれ頼りにしている存在だからこそ、その信頼が裏切られた時に傷つくわけだね。


 ユ:子どもは知識のばらつきが大きいので、自分が知っていることを周りは全く知らないということも珍しくありません。そして、集団の中ではしばしば、自分しか知らない知識は否定されます。

 レ:子ども社会は自分たちの「あたりまえ」から外れたモノには厳しいからな。

 ミ:でも、むしろせっかく他の人が知らないことを披露したのに、否定されると悲しいよね。

 レ:新しいものを学ぶ意欲を奪いかねないな。


 ユ:そこで、大人、学校では教員がその子どもの知識を「これは正しいんだよ」と保証することで、その子を守る、むしろ認めることで意欲を高めてあげることが大切になります。

 ミ:他の子も、今まで知らなかったことが知られるから、世界が広がるよね。

 レ:教育の場としてかなり重要な役割だな。


 ユ:最悪なのは、子ども集団からの否定に大人も加担して、正しい知識を否定してしまうことです。

 レ:八方ふさがりだな。


 ユ:もう1つ例をあげましょう。芸人Aさんが語っていたエピソードです。(得意なものの具体物は忘れたので適当です)


A「二重とびうまいな。お前の十八番だな」

クラスの人たち「何いってんの得意なんだったら一番じゃん」

A(ああ、こいつら十八番って言葉しらないんだな。)

A「先生、得意なことを十八番って言うんですよね。」

先生「は、何言ってんの。得意なんだったら一番じゃん」

A(はああ!?)


 ユ:もっとも得意な芸や技のことを「十八番」、「じゅうはちばん」とも「おはこ」ともいいます。

 ミ:ありふれた表現だと思うんだけど・・・これはひどい。

 レ:これ傷つくんだよな。

 ユ:自分の正しい知識は否定するような人から、何かを教わる気なんてなくなります。



4.おわりに


 レ:学校はよく子どもの自由な発想を制限する、みたいなイメージがあるけど、実際は違うと思うんだ。

 ミ:むしろ、小学校だと自由な発想って過剰に求められるくらいだよね。

 ユ:そのあたりはまたテーマにしたいですね。

 

 レ:実は学校で深刻なのは自由な発想がつぶされることより、間違った知識をふりかざされて正しい知識や学ぶ意欲がつぶされることだと思う。

 ミ:さっきの2つの例もそうだけど、こういうことは多いような気がするよ。

 ユ:学校は文字通り「学ぶ場所」です。もちろん、安全を守る福祉的な意味など様々な意味が学校にはありますが、学ぶことは第一の目的でしょう。間違った知識で学ぶ意欲をつぶす危険性を、もっと広く知ってもらいたいです。


 ユ:それでは、ここまでお付き合いありがとうございました。

 レ:次回もぜひご覧ください。

 ミ:またね!

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