第11回 一年生になったら(ともだち)
ユズ(以下、ユ):今回のテーマは「ともだち」です。「一年生になったら」を切り口に、「ともだち」について考えていきます。
ミカン(以下、ミ):一年生になったら、一年生になったら、ともだち100人できるかな
ユ:この歌、幼稚園の卒園式や小学校の入学式で歌われることもありますが、どう思いますか。
レモン(以下、レ):まあ100人は無理。
ユ:当時にせよ年をとってからにせよ、多くの人がそう思ったのではないでしょうか。
ミ:まあ、100人は無理でも友達たくさんつくろうねってことじゃないのかな。
レ:そうだな。だが、それは正しいのか?友達が少ないことやいないことがまるで「悪」のような価値観を押し付けてないか。
ミ:うーん・・・そうか。そもそも「ともだち」ってなんだろう。小学校だと特に低学年なら自分が友達って思ってなくても、周りの人を「クラスのおともだち」って言ったりするよね。
ユ:当たり前のように使われる言葉ですが、その意味は案外あいまいですよね。「ともだち」という言葉について、考えていきましょう。
1.遠足はみんな楽しい?
レ:「100人で食べたいな 富士山の上でおにぎりを」って歌詞あるけど。
ミ:うん。
レ:登山をなめるなって言いたい。山は十分な心構えと準備で登るものだ。
ミ:いや・・・、それはそうだけど。深い意味はないでしょ。アルプス一万尺だって「こやりの上でアルペン踊り」は踊れないけど。
レ:だが、ツアー客の弾丸登山なんて危険だからな。どうせ深い意味がないなら、安易に歌にしないほうがいい。
※弾丸登山(だんがんとざん)とは、山小屋などで十分な休息をとらないで一気に頂上を目指す登山のこと。とりわけ富士山で問題になった。
ユ:まあ、スケールでかいですよね。1番が富士山、2番が日本一周、3番が世界中をふるわせますから。
ミ:単純にみんなで大きなこと成し遂げようぜってことかな。まあ、深い意味なくて、富士山も小学校なら遠足って置き換えれるくらいのものだと思うけど。
レ:そこに、すごい「みんなで同じことするんだ」って同調圧力を感じる。そして、それが「絶対楽しいんだ」ってごり押しを感じる。
ユ:確かに、小学校で一番大切なのは1人1人が立派な人になっていくことで、物心つくかつかないうちに集団で大きな目標に向かうのは酷かもしれません。
ミ:そっか、遠足だってみんな楽しいわけじゃないもんね。
レ:楽しくないからするなってわけじゃない。楽しい人は楽しんだらいいし、自分はこれは楽しくないって知ることも小学校のうちの経験だろう。でも楽しくないことも認められないといけない。
ミ:楽しくないって感じたものは楽しくないもんね。
2.ともだち100人?
ユ:先ほど指摘されたともだち100人という人数です。日本の標準的な規模の学校クラス30人ちょっとで3クラスなので、大体1学年100人くらいなんですね。(もっと小規模校もたくさんありますが。)
ミ:なるほど。「ともだち作れ」って感じよりは、同じ学年で入学したみんな仲良くね、くらいのニュアンスなのかも。
レ:納得はするが・・・。最初の方で、小学校だと自分が友達って思ってなくても、周りの人を「クラスのおともだち」って言うことが出てきたけど、みんな仲良くしてほしいという意味で他者を「ともだち」と表現させるんだな。
ミ:「ともだち」と表現「させる」という言い方が何とも。
ユ:さて、実際「ともだち」というか「友人」ってどの位いますか?
レ:数人だな。
ミ:そうだね。「ともだちは誰ですか」って言われると、名前うかぶのは数人。でも、親しさはそうでもないけどそれなりに接してて嫌いじゃない人に「ともだちかともだちじゃないか」って言われちゃうと、「ともだちだよ」って答えるかな。
ユ:そうですね。友達は大切な存在ですが、「ともだちかともだちじゃないか」って問自体はあまり意味がないです。
レ:中には本当に友人100人以上って人もいるだろうけど、まあ珍しいだろうな。
3.ともだちという言葉を線引きに使う怖さ
ミ:でも、「もうともだちじゃない」って変な線引きをすることも、特に小学生じゃよくある気がする。
レ:スマホ使えばLINEグループとかで「メンバーに誰がいて誰はいない」って可視化できちゃうな。
ユ:交遊関係なんて、実際はグラデーションなんですけどね。
ミ:・・・どゆこと?
ユ:単純に好感度と考えましょう。完全に好きが100%で嫌いが0%とします。みんな100%や0%に分かれるわけじゃないですよね。好感度80%の人も50%の人もいます。
ミ:うん。
ユ:ここで好感度80%以上を「ともだち」とします。「ともだち」以外とはおしゃべりしないと決めます。すると、好感度79%の人とは話さないわけですね。・・・この線引きってムダですよね?
ミ:そうだね。79%の人とは話せばそれなりに楽しいと思う。
レ:実際はもっと複雑だしな。場面によっても違う。ゲームする時は最高、勉強の時はちょっとって人とかいるだろうし。
ミ:「ともだち」って、はっきり分けるものじゃなくて、気づいたらぼんやりと思うことだよね。
ユ:色々いていいんです。「違うクラスでも会いに行きたい人」「一緒にいたらそれなりに話す人」「話しかけられたら、まあ話す人」、接し方のレベルは色々です。みんな「友人」は現実的ではないですし、その必要もないです。
4.みんな仲良くを「ともだち」以外の表現で
ユ:ですが、「みんな仲良くね」という思いはわかります。
レ:あまり合わない人の存在も認めないといけないし、時には協力も必要だからな。みんなともだち関係になることより、みんながみんなを尊重し合うことが、社会に出る上でも大切だ。
ミ:そうして接しているうちに互いの理解が深まることもあるからね。
ユ:では、「クラスのともだち」をどう言い換えましょう。
ミ:「クラスのなかま」とかどうかな?
レ:・・・ともだちよりマシだが、う~ん・・・いや、敵じゃないけど・・・仲間という意味が付与されるのも・・・いや、心理的には敵なことも・・・。
ミ:あれ、不服?
レ:・・・。
ミ:なら、「クラスメイト」とか「クラスのメンバー」かな。・・・シンプルに「クラスの人たち」でいいか。
レ:それなら、価値的なものが付与されていない事実だな。
5.まとめ
ユ:今回、「ともだち」を多くつくらなければならない、という価値を押し付けていないかを問題にしました。
ミ:それぞれの間合いで人と接することが認められないとね。大人になってからでも、人付き合いは人それぞれだし。
レ:みんなともだち関係になることより、苦手な人も含めてみんなを認めることが大切だろう。
ユ:そして、その価値観は「一年生になったら」という歌が象徴的で、この価値を広めるのに少なからず影響あると思われます。
レ:幼稚園とか入学式など集団で歌うことはしてほしくないな。
ミ:「みんな仲良く」とか「1年生への希望」っていうのはわかるんだけど、1年生みんなが目がキラキラでフレンドリーだというのは決めつけだよね。
レ:学校嫌いし集団嫌いだった私の目は1年生からにごってたぞ、たぶん。
ミ:にごっているかはともかくとして、・・・やさぐれている子も含めて、そういう子もいるって認められる場じゃないとね。
ユ:それでは、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
レ:次回もぜひご覧ください。
ミ:またね!
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