感想戦 中盤 愛
それから、清一は何度かその工場に足を運んでは、製品の完成度を確認する。
丁度、季節は、秋から冬に変わろうとしていた時だった。
「なぁ、清一」
清澄は、綺麗な打音を鳴らし、清一の金将の前に歩を打った。
「何だい? 父さん」
「手加減して、将棋指しても、面白くないだろう? 」
清一が、その金将の後ろに歩を打とうとした手が止まる。
「どういう意味? 」
「こう見えても、この道で25年食ってるからな。随分と前からお前が手を抜いていたのを知っていたさ。恐らく、俺くらいの棋力では、もう平手でも下手を打てば太刀打ちできん位だな」
「買いかぶり過ぎだよ」
清澄は腕を組み、まっすぐに清一を見つめた。
「なあ、清一。俺とお前は、実の親子ではない。でも、お前と、あの病院であった時。意識の無かったお前は必死で『助けて』と、魘される事しか出来なかった。
だが、今は違う。
お前には『将棋』の才能がある。それは、俺が与えたモノではない。お前の中にあった。お前が持ちえた才能なんだ」
清一は首を横に振った。
「もし、将棋の才能が有るんなら、それは、父さんに毎日こうやって教えてもらったからだよ。父さんは、プロ棋士なんだよ? 日本で将棋を指す者達の中で、選ばれた人達なんだ。そりゃ、そんな人に教えてもらったら、ちょっとばかし、上手になるよ」
清澄は「ふふふ」と笑う。その反応に、清一は首を捻った。
「清一は、嘘を吐くと、途端に、饒舌になるな」
顔を赤くすると、それ以上は何も言わず、清一は部屋を後にする。その背に清澄は声を掛けた。
「明日から、旅行だから、三日間留守番。頼むぞ? 」
朝起きると、既に三人は準備を整えていた。
まだ、寝間着のままだった清一がリビングに向かうと、三人は笑顔で彼を迎え。
「じゃあ、お土産は期待しときな~」
「朝ごはん、テーブルに用意してるから」
「清一。じゃあ、行ってくる」
と、皆で彼に声を掛けてくる。
「いってらっしゃい」
その日は、学校も休みだった。朝食を済ますと、軽く外に出て気分転換する事にする。
久しぶりに向かった賭け将棋場は閉店しており、仕方が無いので、そのまま折り返して帰路に着く。
少し面倒だが、そう言った場所は他にも必ずある。失えば、また探せばいい。それだけの事だと、彼は思っていたからだ。
家に帰った時、点滅する、緑の光を感じた。
――留守電? しまったな。両親に電話を入れるのを忘れていた。
彼は。走っていた。
冷静に考えれば、タクシーなどを呼び、駆け付けた方が圧倒的に時間的効率はよかったであろう。
人間は動揺した時、正常な判断力を失う。それは、清一の様に冷静な少年でも、そうであった。あまりにも事態が深刻過ぎたのだ。
「古葉さんのお宅でしょうか?
こちら、○○県警の者です。じつは、先程そちらの古葉清澄さんご家族が乗っておられたバスが、転落事故を起こしまして。つきまして、今現在、ご家族を救助中です。
もし、この留守番電話をお聞きになられましたら、○○緊急病院の方へお越しいただけるようご協力をお願いしたく、お電話を入れさせていただきました」
何故だ。
どうして?
どうして、僕は失うばかりだ?
ようやっと。
ようやっと、手に入れた『家族』なのに。こんな。こんな、呆気なく。
息が切れようと、止めど流れる思考を、清一は止められない。
「誠に残念ですが、お母様と、お姉様は、遺体が原型を留めておらず、恐らく、即死であったと思われます」
病院の診察室で、淡々と説明する医師の話を。そのほとんどを、清一は受け止める事も出来ず、ただ、呆然とする。目の前に救助隊の人から預かったという、血液と熱でぶちゃぶちゃになった姉の髪留めを見ても。
とても、その話を信じられない。
だが。
「不幸中の幸い。いえ、不幸中の不幸だったのかもしれません。
お父様の清澄さんだけは、偶然隣の人がクッションになって、一命を取り留めておられます。しかし……」
案内された集中治療室。そこで、顔の殆どが見えない程。包帯と管で包まれた男性と対面した時。清一の足元は崩れ落ちていった。
「頸椎の、完全骨折。頭蓋骨破損、並びに脳挫傷。脳内出血。さらに、腰椎の損傷も激しいです」
医師の説明も理解出来ず。清一は祈る様に尋ねた。
「父は、将棋の棋士です。復帰は……」
「古葉さん」
その言葉を、強く断ち切る。医師は、真直ぐに目を合わせ、言った。
「今、清澄さんが生きている事。それが奇跡的なんです。意識を取り戻すなんて……まさに、それ以上の事が起きなければ、不可能なんです
そして……これは、他のご家族にご相談したいのですが、成人の御親戚は……? 」
清一は首を振るった。
父方も、母方も両親を早くに失っている。だからこそ、自分を救ってくれたのが伯父である清澄だったのだと、聴いた事がある。と、すれば残るは実母だが、彼女は刑期を終えた後、また別の男と覚せい剤を所持していて、服役中であった。その事は言う必要もあるまい。
「そう……ですか……」
すると、医師は、眉を顰め、眉間に深く皺を刻んだ。
「申し上げにくいのですが、清澄さんが回復する可能性は、皆無に等しい。というべきでしょう。この状態、つまり植物状態を維持。するのも、莫大な医療費が掛かります」
「払います。幾らですか? 」
清一の即答を、医師は子どもの無知故の反応と判断した。
「いいですか、古葉さん。もう一度言います。もう清澄さんが目を覚ます事はありません。ただ、機械で生きている。その状態を保つだけです」
「それで、構いません。お金も、家族の保険や、俺が持っているお金も。全て使います」
「何故、そこまで」
清一は叫んだ。
「彼に‼ 生きていてほしいからです‼ 」
「ピコンピコン」と、心音が電子音に変えられ聴こえる、その静かな白い空間。そこで、清一は、口と、右目の部分しか露わにしていない清澄の傍に寄り添った。
「お父さん……お父さんが目を覚ますのは、奇跡よりも上の事が起きないと無理だと言われました。
でもお父さん……私は。私は、それを起こして見せます。貴方が、言っていた。言葉だけの存在。奇跡を超越した事実。『七冠』それを。必ず、達成して見せます」
そう言うと、静かにその顔を近づける。
「だから、その時、貴方も奇跡を起こしてくれませんか? 目を覚ましてくれませんか? そして、私を褒めてくれませんか? 」
彼から、離れようと。将棋の道には進まないつもりだった。その気持ちは。自分の中でだけに留めておかなければならない感情だと。そう知っていたからだ。
清澄は、清一にとって、自分を地獄から救ってくれたヒーローなのだ。
自分を助けに来てくれた。たった一人の大人。
「愛しています。清澄さん……」
清一は、静かに清澄の酸素マスクをずらし、唇を重ねた。
最初で最後の。親と子ではなく。
一人の人と、人としての。
それは――確かな、愛情表現であった。
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