感想戦 序盤 親子の絆

 古葉清一、十六歳の時。


 家の扉を開けると、目の前に父親の清澄が立っていた。

「びっくりした。今日は対局じゃないの? 父さん」

 その言葉に反応して、清澄は恥ずかしそうに後ろ髪を掻いた。


「たはー、今日の相手は黒田くろだ七段でな。いや、参った。序盤で飛車を封じられてな」

 清一は、リビングまで行くと、上着を脱ぎながら返した。


「負けたんだ……てことは、折角この間B級1組まで上がったのに、また降格? 」

 清澄は、豪快に笑った。

「て、事だ。それで、母さんとお姉ちゃんも今日は遊びに出てるし。どうだ? 一局」

 清一は、思わず苦笑いした。


「負けた腹いせに、高校生のプロでもない僕をスッキリする気? 」


「はっはは。大人ってのはズルいんだよ」




 木駒の美しい音色が響く、清澄の書斎に二人きりで盤に向かい合う時間。

 それが、清一と清澄が父子として、最も濃密な時間だと言っていいだろう。


「詰んだね。はい、僕の負け」

「ふ~、もう飛車落ちだと、勝つのもギリギリだなぁ。な、清一。鵜飼先生辺りを紹介するから、お前もプロ棋士を目指してみないか? 」

 ガシャガシャと駒を片付けながら清一は冷笑を浮かべた。


「才能ないよ。僕なんか」

「プロの俺が、才能を認めてるんだぞ? 」


「それに、お前もプロで将棋を指してくれていたら、俺の夢も叶う可能性が上がるってもんだ」

 清一は、駒に封をしながら溜息を吐いた。

「七冠? 」


 清澄は、その言葉に目を輝かせる。

「そう‼ 七大タイトル制覇。まだ、棋士の歴史で誰も成し遂げていない、言葉だけの存在。七冠。これこそが、今しのぎを削っている俺達棋士が目指す、最後の頂点だ」

「そうして、将棋の歴史に、名を残す。だっけ? 」

 すると、太陽の様な笑みを清澄が浮かべたので、思わず清一は目を反らした。



「だたいまーー、おとーさん、せーいちー、帰ってるー? 」

 その時、扉の向こうで賑やかな声が聞こえる。

「こら、お姉ちゃん。はしたない。来年から短大卒業して、社会人でしょ? 子どもみたいな真似しないの」


 だが、足音は大きさを増して、部屋の戸が開かれた。

「居たー、何よ、返事しなさいよー。それよりも、これ見てこれ! 」

 そう言うと、その天真爛漫な女性は、紙を二人に見せる。


「何だい? それ」

 清澄の言葉を待っていた様に、彼女は「ヒヒヒー」と笑った。


「帰りに引いた福引で当たったんですよ。熱海温泉旅行。二泊三日ですって」

 母親が後ろから現れると、説明する。それに準じて、姉が清一に飛びついた。

「あたしの、卒業記念旅行と、内定記念旅行ってことで、皆で行こうよ‼ 」

 清一はまじまじと、そのチケットを眺めた。


「すごいね。お姉ちゃん、くじ運全然無いのに。何か良くない事が起きるんじゃないの? 」

 それを聞くと、彼女は清一の首を脇に抱えた。

「言ったな~こいつ~」


 夕食時、いつもと同じように四人はテーブルを囲み、晩餐を堪能していた。

「旅行、三人で行ってきなよ」

 そう言った清一に、三人は同時に驚いた様な表情を浮かべた。

「はぁ~~? 何言ってんの? 家族皆で行けばいいじゃん」

 すぐに姉が不機嫌そうにそう返した。

「そうよ、清ちゃん。皆で、楽しみましょうよ」母も姉と同意見の様子だ。


「理由はなんだ? 清一」

 一人、清澄だけが清一に訳を尋ねた。

「実は、友達と予定があるんだ。それに、家族皆が家を三日も離れてると、飼ってるランチュウのタケシとハヤトが死んじゃうよ」

 その返事に、清澄が頷いた。

「そうだな。確かに、留守番は必要だ。色々宅配物とかも受け取ってもらわないといけないし」

「そんな、清一だけ置いてくの? じゃあ、あたしも行かないよ」


 清一は微笑んだ。

「お姉ちゃん、折角一流の銀行に内定が決まったんだから、羽根を伸ばす時間が必要だよ。億の事は本当、気にしないでよ。高校2年生だよ。三日位一人で大丈夫。むしろ、丁度そのくらい一人になりたい感じだったんだ」

 四人は、そこで沈黙した。それを解いたのは清澄だった。

「そうだな。じゃあ、留守番頼めるか? 清一」


「お父さん? 」

 姉は納得いかない様子だが、やがて、母親も主人である清澄の意見に同意する。

「じゃあ、お金とご飯を、冷凍しておくわね? 何かあったら、すぐにお母さんか、お父さんの携帯に連絡してね? 」

 姉は、まだ膨れている。それを覆すのは、彼の言葉しかなかったろう。

「お姉ちゃん。次、僕が高校卒業の時は、四人で行こうよ。そうだなぁ。どこがいいだろう? 」

 姉は、残っていたおかずに箸をつけて、清一を睨む。

「ハワイ」

「うん、いいね」

 姉と弟は、同時に笑った。



 家族が旅立った翌日の午後、清一は制服姿のまま、およそ高校生が立ち入るにはあまりにも場違いな場所に居た。


「これで、終わり。悪いけど、即詰みだね」

 そう言うと、向かいの男は、舌打ちを払い、何も言わず清一に一万円札を二枚投げ渡すと、その場をすぐに立ち去った。


「つええな、坊主」そう言うと、店主は茶を清一に持ってきた。

「解ってるよ。暫くここには顔を出さない」

 それを受け取って口を付けると清一はそう言った。驚いた店主に、清一は続ける。

「今の人。元奨励会員だろ? 最近僕がここで勝ち続けてるから、呼んだんだろ? 」

 それを聞くと、店主はバツが悪そうに、そこに座った。


「そうだ。まさか、元三段にまで、勝っちまうとはな。お前さん、ただのガキじゃないだろ? 奨励会員か? いや……それ以上じゃねぇと、さっきの対局は説明つかねぇな……お前さん、そんじょそこらのプロ棋士より、つええだろ? 」

 茶を飲み干すと、コップを戻し、そのまま清一は鞄を持ち、場を後にした。


 外に出ると、すっかりと陽は落ち、街灯が道を照らしている。

 ――思ったより、時間が掛かっていたんだな

 仕方ないので、裏路地だが、近道という事で、清一はその細暗い道を進んでいった。


「お願いします‼ 100‼ いや、50万でいい‼ 」

 ふと、そんな何かに縋る様な声を聴いたのは、その時だった。

 普段なら、そんな面倒事には絶対に首を突っ込まない清一だが、何故かその声に心を掴まれたような気がした彼は、その声の先へ向かう。

 そこでは、まるで虫の様に地べたに這い蹲る、油まみれの作業着の男と、それを見下している背広姿の男だった。

 二人の背後には、小さな町工場の看板が見える。


 ――銀行の融資か。


「そんな事されても困りますよ、大下さぁん、先月の利息もまだ貰ってない。うちの上司も、もう大下さんの工場には金を貸すな。ときつく言ってるんです。申し訳ないですが、もう其方には一銭も貸すお金はありません」

 しかし、直ぐに這い蹲っていた男は、近くにあった紙を男に差し出しながら、その足に縋りついた。

「こ、これっ‼ この新製品の、超小型液晶が完成すれば‼ 工場は持ち直します‼ 完成までもう、僅かなんです‼ これが世に出れば、この国の医療や、電化製遺品は、何十年も前に進み。そして10年の開発成果を、余りあるモノとして、私達に返してくれるんです‼ 」


 その様子に、業を煮やした背広の男は、乱暴に男を振り払った。

「しっつこいなぁ‼ そんな夢物語の部品が、こんなさびれた町工場から誕生する訳無いでしょ。映画や、小説じゃないんだ‼ 解ったら、来月には、利息と元金の分割分、宜しくお願いしますよ‼ 全く……ズボンが汚れたよ……」

 そう毒吐くと、清一の横を、その男は、すれ違い去っていった。


「う……ううう……」

 起き上がれない程、その男は哀しみと絶望に打ちひしがれていた。

「ちょっと、借りるよ」

 そう言うと、男の手から、その製品の詳細書を抜き取り、清一は読み始めた。

 流石に、何事かと、男は、いい大人なのに、みっともない程ぐしゃぐしゃの顔を上げ、そして、汚れていた眼鏡を袖で拭き取って、その声の先を見た。

 そこに居たのは、学生服に身を包んだ子どもだ。それが、教科書でも読んでいる様にペラペラと頁をめくっている。

「か、返しなさい……子どもが興味半分で関わる物じゃない」そう言って、それを取り返そうとした時。

「バサッ」足元に、不自然な音――そして、その音の先に在るのは。

 大量の札束。それは、銀行で受け取る様な帯ではなく、恐らく、50くらいの数で輪ゴムに留められている、不格好な物だ。

「こんだけ、ちゃんとした計算まで出来ているなら、完成は間違いないだろうね。とりあえず、今手元に在るのは、100くらい。必要なら、明日銀行でまた卸してくるけど? 」

 男は、その言葉が全く理解出来なかった。狼狽えるように、ただその子どもと、札束を何度も見返すだけだ。

 だから、敢えて清一は理解させる為に言い放った。


「だから。俺があんたの工場と、この製品に投資するっつってんだって」

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