第十九手 まるでドブネズミの悲劇

 嵐が去った後の静けさ。

 そんなもの、教室に居た誰しもが体験した事等無かったが、恐らくは今の様な状況なのだろうなとほとんどの者が思っていた。


 非常に気まずい空気だったが、話題の中心人物がこの場を去ったのだから、これで一先ず今日は話が終るだろうと、何人かの生徒は同時に安堵の気持ちを抱いていた。


 だが。


 「話はまだ、終わっていません。」

 目の前にいる若く、見慣れた担任の女性は、その空気を裂く様にそう言い放った。


 その様子に、周囲にだけ聞こえる舌打ちを放ち、再度、派手な出で立ちの少女は立ち上がる。


 「だから~高橋さんも言ってたじゃないですか~…………」


 「あなた達‼ 」

 教室内の生徒がその叫びに驚き肩を竦め、そして俯いていた顔を挙げた。


 「本当に………

 本当に、これでいいの?

 それでいいの⁉

 女の子を………クラスの子を‼ 一人を‼

 皆でそうやって傷つけて…………

 それを…………そうやって黙ってるなんて………

 卑劣だわ!

 卑怯だわ!

 ………………

 あなた達は、それで本当に平気なの…………?

 共に過ごしたクラスメートを…………」

 語り掛ける様な。しかしどこか悲痛な響きが混じったその言葉は。


 「だから…………紀藤ちゃん。熱くなりすぎだって…………」


 「ごめんなさい…………」


 特定の生徒には鼻で笑われながらも。

 確かに………『そこ』に届いた。



 「ごめんなさい…………苫米地さんが…………クラスでいじめられてるのを知っていて…………黙っていました…………」


 「⁉ 」

 驚き、遠藤はその声の聴こえる先を見る。


 その先に居たのは、高橋だ。

 彼女は肩を震わせて、そう言った後「ごめんなさいごめんなさい」と許しを乞う様に、嗚咽を混じらせ、呟き続けている。


 「すいません…………実は私も………」

 「私も…………」

 「…………俺も…………」


 それを皮切りに、遠藤の前後左右から、次々に紀藤の叫びによって、己の過ちを懺悔する言葉が沸き起こる。それは集団効果と言えなくも無いだろう。

 だけどて………皆、心のどこかに残っていたのだと傍から見ていた者には信じたい。

 人を傷つけていた事に対する罪悪感が。

 彼らに残っていたのだと……!



 ――こいつら、バカじゃないの? ――

 遠藤は、その様子に呆れた様に着席する。


 「皆、ありがとう。

 ……………

 遠藤さん。貴女が否定した事は。

 この教室内で起きていた。という事が判明したわ………」


 「そーですね。」

 まるで興味のなさそうな返事だった。


 「遠藤さん。本当の事を話して。

 貴女なんでしょう?

 苫米地さんの………

 今回の件の中心で動いていたのは………」


 その言葉に、遠藤は大きな反応を見せた。


 「はぁ⁉

 なんですか? それ? 意味わかんないんですケド? 」

 これは、とても流暢に発せられた。


 「とぼけんなよ。」

 それに厳しい口調で返したのは、ホストを思わせる長身の男子生徒だった。


 「遠藤。お前が俺達全員に『苫米地とは、仲良くすんな』って言ってたろうが。」


 「…………! 」

 遠藤が周囲を見渡すと、全員の視線が自分に集まっている事に気付いた。

 皆、何かを言いたそうな。口ほどに物を言う瞳達。


 「…………」

 遠藤は、静かに肩を揺らす。


 「遠藤さん………」

 紀藤はその様子を見て、僅かに同情心を心に生む。しかし、それは大きな間違いである。

 彼女のその震えは、決して後悔や懺悔の様な、そんなものではない。

 「あ~~~~バカバカしい…………」


 「? 遠藤さん? 」

 その言葉に、紀藤は一瞬驚いた。

 ――これで、終わる――そう、彼女の胸には安堵の気持ちが木霊していたに違いない。


 「そーですよ。私がおねーちゃんに苫米地さんの事聞いて、そんで、色々と皆にお願いしてました。」

 その言葉は、全くもって罪悪感に囚われた欠片も無い、屈託のないトーンであった。


 「何故………? そんな事を………? 」

 思わず、紀藤は本音を溢してしまう。


 この光景を目の当たりにしても。

 彼女は、まだ出来ればこれが現実ではなくて、何かの間違いであればいい。そう願った言葉でもあった。


 「だって。許せないじゃないですか。」


 遠藤は、目を細めて、紀藤を真直ぐと見据える。


 「許せない? 苫米地さんの? 何が? 」

 まるで、問いただす様な返事だった。紀藤は思わず我が眉を下げる。


 「違いますよ。

 許せないのは、苫米地さんのお母さんです。」


 「―――…………え? 」

 遠藤が何を言ったのか、紀藤は一瞬理解が出来なかった。


 「苫米地さんの………お母さん? 」

 それは、まるでもう一度自分に確認する様に繰り返して尋ねられた。



 「そうですよ。」


 「なっ」と、吐息と共に思わず口から漏れた。

 周囲の生徒達も、予想だにしないその遠藤の言葉に、言葉を失い、ただ耳を傾ける。


 「そんな…………だったら、苫米地さんには関係ないじゃない………! 」


 紀藤の言葉に余裕が消える。必死で頭の中で遠藤の心境を読み取ろうとするが、そうすればするほど、混乱と困惑が心中を満たす。


 「関係ありますよ。

 だって、苫米地さんは、苫米地さんのお母さんの娘じゃないですか。

 彼女のお母さん、旦那さんと、娘が居るのに若い男の人と出ていったんでしょ?

 最低じゃないですか。

 少なくとも私はその事が、許せませんでした。

 だから、その罰を。

 家族である苫米地さんに与えたんです。」


 「おかしい! それは、あまりにもおかしいわ! 遠藤さん! 」


 「おかしくありませんよ。

 例えば、犯罪者の家族が社会にどんな扱いを受けるかを先生は御存知ですか?

 どれほど地域と交流が在ろうとも。

 犯罪を起こした前と後では、家族すらも社会的罰を受けているのが現実です。

 それこそ死刑囚の両親なんかは、9割くらいで自殺に追い込まれるくらいにね。

 家族だからこそ。責任と罪は共に背負わなければいけないんですよ。」


 教室全体がより一層深い沈黙に包まれたのは想像に容易いだろう。

 ストーブが、給油のアラームを鳴らすが、暫くは誰もそれを消そうともしなかった。


 「違う………違う………遠藤さん。

 だからといって、あなたが苫米地さんにひどい事をするのは………」


 遠藤は「ふぅっ」と息を吐くと、再びあの明るい笑顔を見せた。


 「そもそも、集団で一人が浮く事なんて、ありきたりな事じゃないですか。」


 ふふふと、笑っている遠藤を、紀藤は冷や汗を額にかきながら見つめる。


 「知ってますよ。

 紀藤ちゃん………紀藤先生達も…………

 足立先生を………孤立させてるんでしょ? 」


 その言葉はまるで、心臓を掴まれた様な衝撃だったに違いない。

 紀藤の瞳が左右に泳いだのを遠藤は、笑みを浮かべたまま見逃さなかった。


 「足立先生。昼休みに、理科準備室で泣いてたんですよ。」


 「え…………」

 教室中がざわめきをたてる。

 異様な状態だ。と、誰もが思っていたからだ。この特別授業はいわば、クラスの中の問題定義。それを担任教師である紀藤が解決しようと、自分達への………説教であったに違いない。間違いなくさっきまで、それは『それ』であった。

 のに。


 「聞きましたよ~

 飲み会とかあっても、敢えて誘わないんでしょ~? そんで、そん時の話を、足立先生の近くでするんでしょ~? 」


 「そ…………れっ………はっっ! 」

 紀藤に向かって遠藤は掌を向ける。

 「喋らずともよい」そう言った意味合いにとれる行動だ。


 「解ってますよ。足立先生に話を聞きましたもん。

 足立先生、先生達の役員決めとか、クラブの顧問決めとかの会議、全部すっぽかしてるんでしょ? だから、それで皆からシカトくらってるんですよね? しょうがないですよね。自業自得ですよね? でも………その制裁って…………苫米地さんのと私………同じ事だと思うんですよ。」そこまで言うと、彼女は笑顔のまま、ゆっくりと紀藤の立つ教壇に近付いていった。


 「ねぇ? センセ? 結局学校も、小さな社会であって。同じ事が起きるんですよ。苫米地さんも、苫米地さんのお母さんが、不倫なんて非社会的な事しなければ。足立先生も、もっと同期の皆さんとのコミュニケーションを努力したり、時に損をとっていれば。

 こんな事、きっと起きなかったですよね?

 でも、時間を遡る事なんて、漫画やアニメだけであって、起きた事は覆らないんです。だから、人は法律を作って、罰則を生んだんですよね? 」


 その化粧の濃い、少女は、若い女教師の眼前に迫る程顔を寄せた。


 「おかしい、とか。言われた私の行為も。

 結局似た様な事………センセもやってるじゃないですか。

 しかも、足立先生は助けてあげないのに………どうして、苫米地さんの事だけは解決したいんですか? 」

 ふふふ。と、語尾に笑い声がつく。その笑い声に紀藤は戦慄した。


 ここから先に起きた出来事は、なんと表現すればいいのか。

 間違いなく言える事は、それは、紀藤という教師の未熟さが、自制と冷静さを失って起きてしまった事。

 端的に言って――それは『悲劇』と言っても良いのかもしれない………

 ドブネズミが………人間の少女に恋をするような……そんな悲劇………


 「パシィイイイイイインッッ‼ 」

 教室に乾いたその破裂音の様な音が響いたのはその、間もなくの事であった。

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