第二十九手 由紀の実力

 振り駒。

 その転がる駒を見て、達川は願った。

 ――先手…………来いっ――

 しかし、思惑は外れ。先手は由紀のものとなる。

 ――くっそ、相変わらず欲しい時に、うちはツイとらん……――


 そして、観客全員が固唾を呑み見守る。

 ここまで、夏の覇者のチーム、その大将に恥じぬ将棋を指した由紀の。その締めの対局の初手を。

 「ゥパチィイイン‼ 」


 その手を見て、聞いて。目の前の達川は思わず感動を覚える。

 

 ――駒の指し方まで……音まで……立派になりやがって………――

 思い出す。親指と人差し指で、危なっかしく指していたあの少女を。


 その初手は5六歩。

 ――中飛車……! ――


 この対局で……由紀が、選択したその手は。

 彼女が最も自信を持ったあの。


 達川は、笑った。

 自分が認めたあの優しい、小さな友人は。

 本気で、自分に挑んできてくれている!


 ――祖父ちゃん……二人目の爺ちゃん‼ 見ててね。うち……勝つよ……! ――


 「パンッ」躍る様な指使いで、達川は3四歩と指す。

 

 ――角道を開いた……! ――

 由紀は、その思慮を読みつつ、5八飛と返した。

 

 「カチッ」

 「パチン」

 「パチィイイッ」

 観客の誰も、喋らない。それどころか。呼吸の音すらも聴こえない程。

 二人の盤上の目まぐるしい動きから。目が離せない。


 ――すごい! ――

 由紀の父親は、感覚で悟った。

 将棋の事が解らずとも。

 その二人の動きと。それを見つめる人々の様子で。

 今、二人は、この大会の誰よりも。

 成しているのだと。

非凡なる、その才能の開花を。


 

 ――普段、攻撃的な将棋を好む愛子が、由紀ちゃんの初手の段階から、居飛車を選択した。読んでいたのか。愛子。由紀ちゃんが中飛車で来る事を………

 じゃが……由紀ちゃんの中飛車に……

 慣れていない居飛車で、対応しきれるのか? ――


 すっと、一歩。長谷川は前に進み………鳴り響き続く盤面で指を躍らせる二人を見つめる。

 ――すごい……二人とも………これが

 ……これが『本気』で将棋のプロを目指す人の将棋なんだね…………

 ………? あれ?

 なんで?

 なんで………私

 …………寂しいんだろう………――


 手を伸ばせば二人に触れられるその距離が。

 長谷川には、遠く、太陽を見上げるその距離の様で。

 


 ――これがっっ‼

 由紀のッッ!

 本気‼ ――

 

 一瞬も気を緩めれない。その一手一手。まるで、指される度に、崖へ向かい背を押される様な重圧を達川は感じていた。

 ――だけどっ、うちにも‼ 意地がある! ――

 ――角打‼ 愛子ちゃんが動いた‼ ――

 それまでノータイムで指していた、由紀がその手を止める。

 

 今の彼女は『ゾーン』に入れていない。

 いや、正確には『今は、もう入れない』のだ。

 佐竹、佐々岡という猛者との連戦。慣れていない大会という舞台でのそれは、彼女の武器を奪う程の疲労を残した。

 しかし。

 それでも。


 ――由紀は強い――


 達川もまた、由紀の状態を理解していた。

 何故なら、自分も満身創痍の状態での対局だ。

 体力面で劣る由紀が。自分よりも楽な状態という事は無い。

 かといって、手は抜けない。

 手を抜けば。


 ――うちが負ける――

 

 中盤まで行ったその対局。まだ、その結末は見えない。


 ――金本さん………貴方の孫娘は………立派になりましたよ。

 甘えん坊と言われてたあの子が、誰に頼るでもなく。

 自分の足で。こんな、将棋が指せる程に‼

 貴方に……

 貴方に、この対局を見せてあげたかった……

 いや………

 きっと、見ていますよね? ――


 ――強い!………強すぎるだろ⁉ 由紀‼ ――

 一手進む度、達川は持ち時間を犠牲にして必死で王を護る。


 いよいよ………

 いよいよその時が近づいていた。

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