第二十八手 開始!

 「やったーーーー‼ やったね‼ 愛ちゃん‼

 これで、愛ちゃん準決勝は不戦勝枠だから、決勝進出決定だね‼ 」


 心の底から、聞いている方が嬉しくなる様なトーンを混ぜて、長谷川が喜んでいる。

 「由紀。」

 長谷川の隣に居た由紀が、達川の目を見る。

 「敗けんなよ。」

 「はい。」

 掛ける言葉も。返す言葉も、それだけだった。

 それだけで充分だった。




 「さぁ、帰るわよ。佐竹。竜太郎‼ 」

 そう言うと、漆畑は、扇を広げて、出口へ向かうので、高月が思わず言った。


 「え⁉ 決勝戦を見ていかないんですか⁉ 」

 佐竹も、声を発さず、その真意を探る。


 「それよりも、やる事があるでしょう? 」

 そう言うと、彼女は薔薇の香りを放ちながら、二人に振り向いた。


 「今日の棋譜を三人で、反省して。

 また、強くならなくっちゃ! 」


 それは、普段のどこか浮世離れした。天真爛漫な彼女ではなく。

 年相応の。

 将棋が好きな。

 ただの、十二歳の少女の表情。


 ――ふ――

 佐竹は鼻を鳴らすと、高月を見た。



 「そうだな。帰ろう高月。

 次は、彼女達に勝って………僕達『棋王会』の面子で

 決勝戦が行えるように………! 」










 「ま、参りました。」

 僅か、七十手に満たぬ、早期決着で由紀は危なげなく決勝の席を手にする。

 その対局を観て、達川はいよいよ高鳴る心臓を抑えきれなくなる。


 ――何たる強さ。この大会中に………由紀はまた強くなっている――

 それは、決して大げさな表現ではない。

 

 由紀と達川の違いの一つに、将棋に携わった時間がある。それは、将棋と出逢ったのが遅い由紀の方が、圧倒的に少ない。

 しかし、それが少ないという事は。

 『一気に経験値を得る』つまり、伸びしろを秘めている事実に結び付く。

 今、由紀は成長している。

 いや、もうそれは『進化』と言っていいのかもしれない。

 

 由紀がどんな気持ちなのか。達川は手に取る様に理解る。

 今、彼女は楽しくて仕方が無いのだろう。

 将棋が。

 将棋が強くなっていく自分が。


 ――妬ましい――


 だからこそ、達川はなりたい。

 それが、由紀にとって嫌な事だとしても。

 プライドがある。

 意地がある。


 ――なりたい、この子の壁に……高い壁に……うちはなりたい――


 この、自分が認めた最強の相手に。

 目標にされたい。


 ――あれ? おかしいぞ? ――


 先程まで熱い程たぎっていた心臓が、止まっているかの様に静かに鳴る。

 手が、小刻みに震え続ける。

 ――なんだ? うちは………今……――



 その瞬間、その震える両手が、暖かい物に包まれた。

 「絵美菜………」

 「ほら、愛ちゃん。いよいよ、お目当ての由紀ちゃんとだよ。

 しかも、決勝戦‼ 頑張ってね‼ 」

 それは、最高のタイミングだった。

 最も、近くに居た長谷川だからこそ。気付け、そして導き出したその激励。

 「…………おう‼ ちょっくら、一等賞になってくるわ! 」

 「頑張れ! 二人とも応援するからね‼ 」


 由紀と、達川。

 勝負前の気力は。これで、互角。


 決勝戦の前に十五分の休憩。

 由紀は、達川の爺さんが用意してくれていた羊羹と、温かい緑茶を口に含む。

 甘味が、頭の疲れを若干和らげてくれる。

 

 将棋の対局は、常に脳を働かせる為、カロリーの消費が日常生活の比にならない。プロ棋士同士の対局では、個人差はあるだろうが、たった一局で体重を3~4キロ消費する例も確認されている。


 長期の頭脳戦は、体力との勝負ともなるのだ。

 由紀も、達川も。気力と精神力は高まっているが。

 そう言った意味では、二人とも限界を既に越えた勝負となる。


 もぐもぐもぐ。

 必死で口よりも大きな羊羹を頬張る、リスの様なその少女を達川の爺さんは思わず応援せずにはいられなかった。

 ――この二人の対局。出来るなら、別日に万全の体調で観たかった――



 「それでは、決勝戦を始めます。」

 由紀はそのアナウンスを聞いて「むぐぅ」と、口に入れていた羊羹を必死で飲み込んだ。


 「いってらっしゃい。由紀ちゃん。」

 「行ってきます! お祖父さん‼ 」


 「じゃっ! 頑張って。愛ちゃん。」

 「おう。」



 二人。盤面を挟み、座ったその景色。

 

 「あ………」

 「うん。」

 二人は、言葉で確認しなかった。

 あの、日。

 薄暗い夕方の教室の。

 あの対局が。



 「懐かしんでる、暇はなぁぞ。由紀‼

 今回は…………

 平手じゃけえの‼ 」


 由紀は、一度瞳を閉じ、鼓動を整え。

 「パカ」っとその真ん丸眼を見開いて、彼女を捉える。


 「はいっ! 」

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