第十五手 闇の巣窟へ
やがてミナミに到着すると、周囲の騒めきと共に機関車を降りる。
駅に降りた時から、それは感じた。
至る所から活気に溢れた声が聴こえる。
――これが、大阪の中心か――
思わず周囲を見渡した。
祭りでも起きているのか。それとも、ここは市場か何かなのか。
まるで、その光景は戦後。というには似つかわしくないものだった。
「よう、あんちゃん。たこ焼き、食っていかんかい?
うちのはタコが大きくて有名だよ。」
そう声を掛けて来た壮年の男に、手っ取り早く尋ねる事にした。
「一つくれ。それと、行きたい場所があんねけど。」少し、多めに金額を渡す。
「行きたいとこ? 」
「将棋で、賭けしようるとこ。教えてや。」
その言葉に、壮年の男は眉をしかめ「冗談じゃない。賭博なんてヤクザモンや外人とつるむ様なもんやで‼ 止めときなはれや‼ 兄さん‼ 」と、慌てる様に金を返してきた。
どうやら、こういった表舞台では情報は集められそうにない。彼がそう思っていた時だった。
「なんや、あんさん将棋指しかいな。」
声の方を見ると、汚らしい恰好の老人がこちらを笑いながら見ている。その後すぐに、便所の様な臭いも感じた。
「爺さん、知ってんのか? 」
その言葉に、その老人は「ききき」と気味の悪い笑い声を挙げ近づいてくる。口元から見えるそこには、所々、いやむしろ抜けてない歯の方が少ない事が判る。
「知っとるともよ。知っとるさ。」先程の便所の様な悪臭が、この老人からだと悟った敬治は、顔を背け、睨む様に目だけを向けてその老人を見る。
――こいつぁ、信用ならんな――
「悪いな、爺さん。他を当たるよ。」
そう言って、再度爺さんを見た時、敬治は肝を冷やした。
老人が、にたにたと、気持ち悪い笑みを浮かべて、巾着を手で弄んでいた。
それは
敬治の財布だ。
「抜き取ったんか……」敬治が、素早く右手を突き出すが、老人はぬるりとその手を避ける。
「心配なさんな。さっき出しとった銭よりは抜かんさかい。」そう言うと、圓札を二枚抜き取り、巾着を敬治に向かって放った。
慌てて、巾着を掴み取ると、中身を確認して敬治は老人を睨みつけた。
「にゅほほほ、そんなに怖い顔しなさんなや。約束や。付いてこい。」
そう言うと、ふらふらと、老人は歩き出した。
何の情報も無い街。確かに今は藁にでも縋りたいが。この老人は藁よりも心細く危険で怪しい。
敬治は今度は巾着を首に括り付けると、着物の中に見えない様隠した。
ふらふらとおぼけない足取りながら、老人はどんどんと狭く暗い路地へと進んでいく。
少しでも、目を離したら見失いそうだが、つい、周囲の様子を見てしまう。
まるで、自分の住んでいる地区の様だ。駅を降りた時は、別の国かと思う程だったが、やはり戦後の国内。少し入り込めば、どこも似た様なものなのだな。と敬治は思っていた。
暫く歩いた後、老人は立ち止まった。
「ここやで」にたりと、笑うとこちらを見る。
そこに在った建物は、恐らくは戦前に建てられていたのだろう。色々な汚れが目立つコンクリートのビル。入り口も一つしかない。
「ほんまにここか? 」
敬治の問い掛けに、老人はぐにゃあっと顔を歪めて尋ね返す。
「なして、そう思う? 」
「入り口と、出口が同じで、しかも一つだけや。
これやったら警察にガサ入れられたら、よう逃げれんやろ」
その解答に、老人は嬉しそうに「ひゃっひゃっひゃ」と両手を叩いた。
「やるなぁ、兄さん。なるほどなるほど………
どうやら甘い考えで来とる訳じゃあないようやなぁ………」
ぎらり。と光るその眼光に、背に寒気を覚える。
「ええで。ほな、案内したるわ」
そう言うと、老人は持っていた水筒をラッパ飲みでクピクピと飲み干した。げぷぅと吐いた息に酒の臭いが混じっていた。
そのビルの一階には、小さな豆電球に照らされ階段だけが見える。その薄暗さがまるで死刑台への十三階段を思い浮かばせる不気味さを醸し出している。
カツカツカツ。
老人が、足早にその階段を足音を鳴らして上がっていく。敬治も、周囲に警戒しながら後に続く。
「ここや」二階に着くと、老人がコンコンと壁を叩いた。
――壁? ――
「わいや。
「ゴリゴリゴリゴリ……」と鈍い音を立てて壁が開いたのだ。
「よう……池谷……なんや、おどれ、もう昨日の金、酒代に消えたんか……」呆れた様に、その汚い老人……池谷と同じくらいの年齢の男がそこに立っていた。
「いや、今日は案内役や。
まぁ、昨日の金が酒になったのは、間違うてへんけどな」
池谷は、また疎らの歯並びを見せて笑う。
壁の向こうに居た男が連れて笑うと、敬治の方を見る。
「なんや、若い奴やな……まぁ、ええわ……
いつまでもそこに居ると、サツに見つかるかも知れへんから、早う入りや」
壁の向こうに入ると、入り口のその男は、壁をまた閉める。随分暗い場所だ。
壁を動かした風で消えたロウソクに、再度火を灯したようで、辺りがぼんやりと見える。
「ここは、入り口や。奥の部屋が将棋、手前の部屋が麻雀の部屋や。入る時はいつも、この男。
そう言うと、梅津と紹介された、入り口の男が敬治に手を出してきた。
「将棋は二十圓、麻雀三十圓や」
敬治は、その手に札を置いた。
「よしゃ、じゃあ行こか兄さん」池谷が、嬉しそうに笑いながら、ふらふらと奥の部屋へと向かう。
その入り口に向かう時、敬治の勘が働いた。
痺れの様な、緊張感が筋肉を小刻みに揺らすその感覚。
――武者震いや――
敬治は、僅かに生まれそうなその感情を噛み殺した。
自分が殺される訳あらへん。
何度も何度も何度も、将棋を指す前に暗示の様に唱えるその
その暗示の途中。池谷の汚い右手がその扉を開けた。
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