第十三手 戦孤児 敬治

 「どわぁあああ! 」遂に、彼は追いかけて来た子ども達に、足を掴まれ、その場に転がり倒れた。


 「ずるいぞ! いっつも兄ちゃんばっかり‼

  稼ぎは皆で折半ってのがわいらの決まりやないか! 」

 足を掴んだ少年が力を籠め、そう叫ぶ。


 「わ。わかったさかい。離せぇや。」観念した様に、荒げた息をあげながら、敬治はその少年の肩を叩いた。


 「こ、今度、ええ稼ぎとったら、お前らにも銀シャリ食わしたるから、

 それで勘弁してくれや。」


 そうこう言って居る間に、追い付いた子ども達が「どどどどどどどど」っと二人の身体に飛び込んで来た。

 「うぐぇええ! 」敬治の嗚咽を含めた叫びが辺りに響いた。


 「とほぉ、参ったわぁ。」

 更に汚れたタンクトップは、最早元の色が見当たらない程に泥まみれになっていた。

 「敬治兄ちゃん。ど、どしたんそれぇ‼ 」

 廃バスを改造して作った住居から、敬治と近い年齢の少女が駆け寄ってくる。


 「おう、チビどもにやられたわぁ。

 ひまわり、悪いやけど。洗濯しといてもらえる? 」

 その言葉に、ひまわりと呼ばれた少女は、眉をしかめる。


 「いいけどさ、敬治兄ちゃんその間は、どうするの?

 仕替えなんてないでしょ? 」

 敬治は、その辺の布切れを羽織る。


 「これでええやろ? 」その行動に、ひまわりはもっと眉をしかめた。


 「だ、だめよぉ。それダニとか虫が一杯付いてるわよ? きっと。

 日本脳炎とか病気になっちゃったら、どうするの? 」

 そして、敬治から布切れを奪い取る。

 「…………そうだな、すまんかった。」

 ひまわりには、兄が居たが、先日ダニか、蚊の伝染病で死んでいる。敬治も稼ぎの殆どを医者への診察料に企てたがなにも出来る事もなく、その貴重な金は水泡と帰していた。


 「米兵駐在所にでも行けば、洋服が手に入るだろ。

 ちょっと三吉さんきち兄さんに頼んでくらぁ。」

 そう言うと、汚れたタンクトップをまた受け取り、着る。


 「き、気を付けてね。敬治兄ちゃん。」心配そうに駆け寄るひまわりの手に敬治は幾らかの壱圓札を握らせる。


 「これで、暫くはチビ達にも芋とか草以外の物を食わせてやれ。

 それと、ひまわり。お前も、たまには何かいいモン食え。」そう言うと、振り返り、手を振りながら敬治は市場の方へ歩を進めていった。



――――――


 「兄さん、例のガキが用があると言って、来ていますが如何致しますか? 」とても堅気には見えない風貌の男が、テーブルで獣の様に粥を食らう男に声を掛けた。


 「ガフガフ」「カチャカチャ」と汚い音を撒き散らしながら、その男は振り向いた。

 「例のガキ………? ………敬治の事か? 」

 男は口に米粒を付けながら、立ち上がると報告に来た者に、近付いた。

 「通せ。それと、なんか菓子……せやな………トコでも用意せぇ。」

 「はい! 」男は焦った様に駆け出す。



 敬治が通された部屋は、丁度異文化が入った時である。和室と洋室の中間の様なその部屋は、彼にとってとても居心地の悪い清潔さを醸し出していた。

 「汚い格好だな。こないだ金は渡したばかりだろう。」そう言うと、男は部下を呼び、古びた着物を持ってこさせた。


 「湯浴みもしてこい。臭うて敵わん。」

 「話を聞いてくれたら、すぐに帰ります。」その言葉に男は口調に怒りを灯した。

 「一秒たりとも、その臭いを嗅ぎとうないんや。

 ええから、とっとと行かんかい。」

 ちっと、舌打ちをすると、親指を横にグイグイ動かし、威圧的な態度を取る。


 「す、すいやせん。三吉兄さん。」それに委縮し、敬治は取り巻きに、深々と頭を下げ、浴場に向かった。


 「おい、サブ。あの小僧はとにかく丁寧に扱えよ。金の生る木だ。」

 そう言うと、三吉と呼ばれたその男は甲高い音を立てて、板チョコを齧った。




 「あ、ありがとうございやした。三吉兄さん。」

 少しした後、濡らした髪に、骨が目立つ胸元を見せながら着替えた敬治が三吉に駆け寄った。

 「それで、昨日の今日で何で金が要るんだ?

 そんなに、困ってんなら前にも言ったろう? 組員になれや。」


 敬治はじっと足元に目を落し、首を横に振った。

 「ああ⁉ おら、ガキが! 兄さんの誘いを何断っとんじゃあ‼ 」

 その反応に、一人の組員が怒号をあげ、敬治を威圧する。


 「おい。ギンジ。」その男に、先程三吉に、サブと呼ばれた男が近づいた。

 「何、兄さんの前でいきがっとんじゃ‼ われこら‼ 」


 次の瞬間、その大声と共に、ギンジはサブの拳に吹き飛ばされる。


 「⁉ 」その予想だにしていなかった光景に、敬治とギンジは同時に困惑していた。

 「おうこら、ギンジ、てめぇどの分際で兄さんの客人に、吠えようるんや? おうこら? 」サブは、一切動きを緩める事無く、ギンジに近付くと、下駄で腹や頭を蹴り上げる。

 「グアッ、ごふっ、に、兄さん‼ 三郎サブロウ兄さん‼ 勘弁してつかあさい‼ 」涙を声に混じらわせながら、蹴り上げられる度、ギンジが悲鳴を挙げる。


 「……………」思わず、肩を震わせながら敬治はその光景を見ていた。

 「おう、敬治。」びくっと、身体を三吉の方へ素早く動かす。


 「とりあえず。こんだけ、俺から小遣いや。」着物の袖から壱圓札を数枚出すと、それを敬治に向かって差し出した。

 しかし、敬治は黙ってそれを受け取らない。


 「どうした? 何で受け取らん? 」

 二人がそのやりとりをしている間にも、離れた所ではギンジの悲鳴と、サブの怒号が響いている。

 「し、仕事をしてへんのに…………金は貰えまへん………」敬治は搾り出す様にそう言った。

 すると、それを聴いた三吉は少し、理解に時間を掛けた後「ははは」と笑う。


 「成程、じゃあどないすんねん。お前のもやしみたいな身体じゃあ、肉体労働は出来へんしなぁ……………しゃあないな。じゃあ、お前ちょっと出稼ぎに行けや。」


 その言葉の意味が解らず、敬治は尋ねた。

 「出稼ぎ? 」

 三吉は、マッチを派手な動きで灯すと、キセルにくべて一息吸いこむ。


 「おう。ミナミの方で賭け将棋をして生計を立てようる奴らが居る。そいつら相手に、修業がてら、ちょっと稼いでこいや。機関車代は前貸したる。その稼ぎの半分がお前の取り分や。どや? 」

 ここを離れるのに、一瞬ためらったが、将棋で稼げるのなら、断る理由はない。

 「宜しゅう頼んます。」手を膝に当て、頭を下げた。


 「よし、おらぁ‼ サブ‼ いつまでどつきまわしょーるんな‼ 敬治に旅賃渡さんかい‼」



 「お、そうじゃ。」怒鳴った後、思い出した様に敬治の方を向く。

 「あくまで、やるのは機関車代だけやけ、敗けたらお前の手持ちで何とかせえ。まぁ敬治、お前なら解ると思うが、将棋で敗けるとなると、お前の価値は無くなるからな。言っている意味は………解るよな? 」

 つまり、敗けて文無しでこの地に戻る事は許されない。最悪、自分の飯代は稼げなくても、組に収める金は稼がなければいけない。という事だ。


 「はい。」迷いのない返事だ。敬治自身それは、はっきりと理解していた。生きていく為に将棋を利用する。それが彼が幼いまま、戦争によって社会に放り出された上で見つけた正解生き方であった。


 義務教育も、法律も朧気な時代。

 将棋に見放された時が自分の死ぬ時というのが彼の現実なのだ。


 「行ってきやす。三吉兄さん。」運賃と元金を手に取ると、そのまま駆け足で出口へ向かう。

 「待てや、敬治。」その声に振り向くと、胸元に何かを投げられた。

 「何でっか? これ。」

 「トコチョコレイト言う菓子じゃそうや。飴よりも溶けるさかい、早う食えよ。」

 「は、はぁ……ありがとうございます。」頭を一度下げると、再び駆けて行く。





 「奴、運賃持って逃げませんかね? 」

 サブの言葉に、後ろの窓に視線を向け、三吉は笑った。まるで飛ぶ様に駅に向かう敬治の姿が見える。


 「将棋指しってのは、賢いやろ。わいらヤクザに歯向かうのが、どれ程得にならんかを教えんでも理解っとるさかいな。せやから、わいは好きなんや。」

 そう言うと、口角を上げる。


 その表情を見て、サブは背筋に寒気を覚えた。

 この男は、情を持ってあの少年に接しているのではない。あくまで組の『資金』の為の道具として扱っているのだ。

 その残酷な、しかし今の日本では当然の厳しさの結論が、サブの心中に刻み込まれたのだった。

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