第十二手 何も無き時代

 先手は、振り駒にて由紀となる。

 ――よし‼ ――

 由紀は、心中で拳を握った。

 佐竹を相手に後の先を受けるには、はっきり難しいと考えていたからだ。


 ――是非もない――

 逆に佐竹は、この結果を望んでいた。


 ――君の将棋、直接は一度だけ……

 あの音桃子戦しか見ていない……

 漆畑さんとの対局は棋譜で見ただけだ……その二回。

 飛車の位置が違ったのは、偶然か?

 それとも故意か。

 それを見るだけでも、先手を渡す価値は…………ある! ――


 「パチ、パチ、パチィン‼」

 迷いのない凄まじい速さで、二人の盤面が動いていく。

 先程まで騒々しかった周囲の様子に、由紀の父親は生唾を呑んで、状況を見守る。将棋の盤面など、読めないので、必死で周囲の人の様子を窺って状況を把握しようとしている。


 ――本当に、子どもは親の知らない間に、成長するんだな――


 自分には全く理解出来ない事を、つい7年程までトイレの手伝いまでしていた娘がこなしているのだ。彼は、喜びで叫びたい気持ちを必死で押し殺していた。


 ――やっぱり…………この人……強い! ――

 幾つか、佐竹が牽制してきた駒に被弾しながらも由紀は、互角の場面を演じている。


 ――今回は、居飛車矢倉か………

 こちらも、囲いを変えるべきか……? ――


 達川の爺さんは、それを見て思わず頬を緩ませた。

 ――すごい――

 ――すごいぞ。二人とも…………! ――

 ――見てくれていますか? 金本さん………――

 ――貴方の言ってくれたあの言葉の意味が――

 ――ようやく、わしにも理解りました――







―――――――――



 それは、この時より数十年程昔の話。

 場所は、神戸。

 神戸大空襲、敗戦、原爆といった戦争の爪痕から国全体が『復興』いや『復国』に向かい歩んでいた時代。生命力と地下熱の様な血潮が、溢れていた時代。


 戦後。


 「おい、親父ぃ!銀シャリくれぇ! 」中学生くらいだろうか?

 痩せた少年は学帽を被り、汚れて色の変わったタンクトップに、ぼろぼろの短パンと言った風貌であった。

 その少年の身なりをじろり。と屋台の店主は値踏みする様に睨むと。


 「ガキが。銀シャリの相場を知っとんのか? 悪い事は言わへん。帰って父ちゃんと母ちゃんと芋でも食うとれ。」そう言うと、味噌汁の鍋に向きを変える。


 「おっさん、ちょいこれ見ろや。」

 その少年がまだ、店先で囀っていたので、主人は苛立ちを溜息に混じらせながら振り向く。

 「! 」その鼻先に、インクの臭いが突き刺さる。


 「ほれぇ。圓札やぞ。文句ないやろ?

 それに、それもどうせ闇米やろうが。ええけ、早う食わせぇや。」

 少年が数枚の札を主人に差し出していた。


 「ま、まままま、毎度‼ 」

 それを受け取ると、主人は大慌てで釜から飯をかき集める。


 「ど、どどうぞ。銀シャリです。」茶碗に白米、漬物を付けて、その少年に渡す。

 少年はそれを急いで受け取ると、獣の様に一気に掻き込み、味噌汁で流し込む。

 「ぼ、坊主、そ、そんなに急がなくても、おかわりもあるぞ? 」主人はにこにこと先の札を数えながら店じまいを始める。


 「いいよ。こんなもん食ってるのが、見つかったら、俺も色々と不味いんだよ。」

 口をクチャクチャと鳴らしながら、その少年がそう言った間もなくの事であった。

 「あーーーーー敬治兄ちゃんが、銀シャラ食うとるーーーーー! 」

 キーンと、頭に響く様な金切声が、少し離れた場所から聴こえた。


 「な、なんだぁ? 」慌てて、札を金庫に入れると、主人が屋台から顔を出して、その声の先を見た。

 「うおぉぉ」と、思わず声が出る。


 「ずどどどどどど」と音が文字で出る様な勢いで、汚い恰好の、浮浪児と一目で確認出来る子ども達が、こちらに向かって来ている。


 「くっそ、もう来やがった。」少年も困った様に残りの飯を、立ち上がりながら掻き込むと、その場を逃げる様に走り去った。


 「待てやあ! 敬治にいちゃーーーん‼ わいらにも、食いもん食わせてーーやーー! 」その後を砂煙をあげて、子ども達が猿の大群の様に、飛び跳ねて追っていく。

 

 「な、何事や。こりゃあ。」

呆然と、その様子を見ていた主人がそう呟くと。


 「なんや、あんさん。あの子ら知らんのか。モグリやねぇ。」と、隣で一升瓶をラッパ飲みしていた老人が、真っ赤な鼻と歯の抜けた口を見せて説明を始めた。


 「奴ら、戦争で親を亡くした浮浪児の集まりやねん。ガキどもで、生きていけんのか? って? それが、奴ら、そこらの大人共よりも、生きる事に必死でな。よう働くんよ。靴磨きに、荷物運び。」

 その怪しい老人の説明に、主人は「は、はあぁ。」と相槌を打つと、老人が顔を近づけて来たので、一歩後ろに後ずさる。


 「んでな、奴らの大将の稼ぎ頭が、さっき銀シャリを食い散らかしょうた、敬治。っちゅーガキやねん。こいつがまた。どっこで、習うたんか、将棋が強うてな? ヤクザモンと、米兵の間に入って代打ちで稼ぎょーるんや。まだ、毛も生えたてくらぁの齢でのぉ? 」


 「しょ、将棋の代打ち? 麻雀やなくてですか? 」


 主人の説明に、老人は「ぷはぁ」と一升瓶を景気よく飲み干す。

 「麻雀やと、倍の使い手を揃えにゃあかんやろ?

 それにサマも、絡んできたら結局戦争の種になるわけや。

 その分、将棋はサマがほぼ出来んからなぁ……

 負けても、一人ぶっ殺せばケジメも取れて、やりやすいんや。」


 「は、はぁ………成程………」

 


 プロ棋士とは、違う。しかし『将棋』を生業とした闇……裏の棋士。

 彼らは後に『真剣師しんけんし』と呼ばれる、アウトサイドの舞台で将棋を生業としていく者であった。


 敬治、この時、十六歳の時。

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