最終手 明日への一手

 「おい、会社戻るぞ‼急いで、記事の修正だ。」

 その言葉を聞いてカメラマンの男は、驚く

 「えええ?い、いいい今からですか⁉」

 「ばっかやろう!こんな対局観ちまったら……しょうがねぇだろうが……」


 ――見出しまで一気に閃いちまった……

 『帝都の白雪姫、盤上の戦女神に心奪われる』

 昨日ついでに彼女たちのインタビューもとっててよかったぜ――


 由紀達は会場を後にすると、そのまま控室に荷物を取りに戻った。途中達川と長谷川が「このままじゃ、みっともないから」とトイレに入った。由紀も、出来れば目の赤みが引くまでは、顔を洗いたかったが、二人は、きっとその姿を自分にも見せたくないのだろうと察し、外で待つことにした。


 「やぁ、苫米地由紀さん………だね?」

 声の主の顔に由紀は見覚えが無かったが、黒スーツの胸に刻まれていた紋章には見覚えがあった。ついさっきまでの対局相手に全く同じものが付いていたからだ。


 「あの………どちらの方でしょうか?」言い終わってから、どちら様でしょうかの方が綺麗な言い回しで、よかったななんて、考えていた。


 「これは、失礼。私は君が先程対局した『棋神門』で講師みたいな事をしている古葉清澄という者だ。早速で、申し訳ないんだが、先ほどの対局で君の実力の高さを思い知ってね……どうだろう?君さえよければ…是非うちで将棋を学んでみないかい?勿論、生活の面倒などは、私が責任をとる。」


 由紀は、驚きよりも突然見知らぬ大人が声を掛けてきた事に恐怖を感じていた。

 「あ、あのう………ひ、人違いじゃあないでしょうか……?あ、あたし…」


 古葉は、その少女の怯えた様子に、思考を変えた。

 ――この反応……小娘

 将棋の大会に出ておきながら、俺を知らないのか……――


 「おや、これは失礼。突然すぎたようで驚かせてしまった様だね?

 もし宜しければ、この名刺をお父さんかお母さんに、渡してもらえないかな? 」

 そう言って、古葉はスーツの内ポケットに手を入れた……その時。


 「あれぇ?古葉先生じゃないですかぁ? 」

 その声の主に古葉は、はっきりと仏頂面を浮かべてその方向を睨む。

 「阿南か……」「名人戦以来ですね。」にこやかに寝癖のひどい男は、そのまま二人に近づいた。そして、由紀に向きなおる。


 「あ~~さっきの。良い対局だった、チームは残念だったね

 また来年君の対局を期待してるよ。」

 そう言うと、その男は右手を由紀に差し出す。


 「へ、ええ?あ、あたし……ですか?」慌てて由紀はその手を握った。

 その様子を横目に、古葉は右手を内ポケットに入れたまま、その場を後にした。しかし、にこやかに由紀に接しつつ、彼もまた横目で相手をうかがっていた。


 ――古葉清澄

 未来明快な少年少女棋士を集めて一体何をしようというんだ?――


 「あ、あの……」困ったような少女の声に、阿南は目の前の状態を思い出す。

 「ああ、これは失敬。苫米地さん。将棋は楽しいかい?」阿南は手を放すとにっこりとそう語り掛ける。由紀は、暫くそのどこか頼りなさげな青年を眺め、はっきりとした抑揚ある声で返した。

 「はい」それに満足したように頷くと、阿南はゆっくりと去っていった。由紀は、ほんの少しその青年に見覚えがあったが、すぐに達川達がトイレから出てきたので、今の記憶を深く奥へと押し込んだ。


 ――くそ、阿南め!将棋のみならず俺の邪魔ばかりしやがる――


 そう、忌々しく思いながらも、古葉は無表情で会場の近くへと戻る。

 ――まぁ、いい。中国地方、広島、苫米地由紀。これだけ情報があれば、後に幾らでもどうにでもなる……――


 「先生」その聞き覚えのある声に、古葉は顔を向ける。

 「お前たちか」そう言うと、周囲に人が居ない事を古葉は確認する。

 「どうした?いつもは人目のない所でも、私に気を使って話しかけてこんのに、何か用か、小早川。」その言葉に小早川は首を横に振る。

 「? 」「先生、ご用事があるのは、私ではなく、桃子です」「桃子が? 」そう聞くと桃子に古葉は顔を向ける。

 「どうした?負けた事ならいつまでも、気にするな。勝負は時の運にも大きく作用する。」その言葉に今度は桃子が首を振る。

 「先生……ボク……お母さんに会いたいんだ……話したい事が……あるんだ。」





―――――――


 「さぁ、今日のご飯は、僕の奢りだ。新幹線の中でじっくり味わってね。」土生が両手に駅弁を持って、なるだけ明るくそう言った。

 新幹線で、寝息をつく少女達を見て、爺さんは、ただただ感心していた。


 ――愛子やクマちゃんは勿論……由紀ちゃんの成長の幅には正直驚いたもんじゃ、今日の対局は、もうアマチュアに留まってよい者のそれではなかった。彼女には進むべき道があるのかもしれん…しかし、それは決して他者が無理やり導いてはならんのじゃ。願わくば、彼女が自ら望んでその道を歩む事を――


 

 由紀は、柔らかく優しい夢を見ていた。振り返れば、たった三ヵ月少しの出来事なのに永遠の様に感じたこの時間を、由紀はきっと一生忘れる事は無いであろう。

 少女達のかけがえのない一夏が、ゆっくりと、ふけていった。








 秋、瑞々しい蒼が樹木から、失せていった頃。しかしながら雨水将棋教室は相変わらず、若々しい明るい声で溢れていた。

 「よっしゃあ、これで絵美菜に四連勝だな‼」

 達川と長谷川が盤を向い合せていた。

 盤上の駒を戻しながら、長谷川が口を開く「愛ちゃん、中学でも将棋するの?」その言葉に、達川は「ぴた」と手を止める。

 「実はな……絵美……」その時、入り口からこちらに向かって来た少女を見て、長谷川が驚く「あれ?あなたは……確か……」その言葉に達川が振り向く。

 その姿には見覚えがあった。ポニーテールの髪に、凛とした輪郭。


 「小早川理絵子?何であんたがここに?」その言葉に小早川は軽く会釈した。

 「お久しぶりだ。ここに来れば君たちに会えると思ってな。」そこで長谷川が椅子を持って来て、三人は向き合って座った。

 「全国、優勝おめでとう!今日はわざわざ、東京から私たちに会いに?」そう長谷川が言った所で達川の爺さんが、温かいほうじ茶と菓子を持って来る。小早川は、会釈を返し話を続けようとする。その前に達川が口を挟んだ「結局、あんたらのチームに土を付けたのは由紀だけだったな。」

 「ありがとう……ここに寄ったのは、実家に戻るついででね。」「あちち」とほうじ茶に口をつけ長谷川が聞き返す「へぇ、小早川さん都会育ちぽいから、意外だなあ、どこ?」

 「山口……下関だよ。そんなに意外かな?」同い年という事もあり、三人は暫し談笑に至る。


 「いやあ、女の子三人なんて、ここも華やかだね。

 おっと由紀ちゃんも居るから四人か

 ……本当に賑やかになって良い事だね」


 教室に通う老人のその言葉に、笑顔で達川の爺さんは答える「女三人寄ればかしましいじゃよ」しかし表情は穏やかだ。

 「今日は……苫米地さんは来ないのか?」やがて小早川がそう言った。

 「ん?由紀?いやもう少しで来るんじゃないか?」達川が最中を口に入れたまま言う。

 「由紀ちゃん、今日来ないよ。ほら音楽集会の練習って言ってたじゃん。」長谷川が呆れた様子で達川に返す。

 「そうか……直接渡してほしいと頼まれたんだが……致し方ない。」そう言うと小早川は封筒を二人に差し出した。

 「桃子……あ、音桃子から彼女にと手紙を預かっていたんだ。渡しておいてもらえないかな?」二人は受け取った封筒をまじまじと見た。

 「わかった。とりあえず渡しとくよ。にしても、あいつの事だから来年も全国行けると思うから、その時に渡せばいいのにな。」その言葉に小早川はやや寂しげな表情を浮かべた。


 「私と、智美…雑賀は、来年から女流棋士を目指す為に『棋神門』を去ったんだが……桃子は勉学で海外留学の為、辞めてしまったんだ。だからもう出ない。」


 その言葉に長谷川は口を開けたまま「すごぉい……年下の子なのに、そんな将来の事をもう考えてるなんて」と感心するばかりだ。

 熱いほうじ茶をすすりながら、小早川は達川と長谷川をみやる。

 「そうかな?桃子も自分の道を見つけただけだ。私達も……それがはっきりとしているから、進むだけ。それに早すぎるも、無いだろう?」その言葉から、言葉以外の何かを受け取る様に、達川が頷く。




 「由紀ぃ?晩ご飯できたわよぉ?」リビングから母親の声が聞こえた。

 由紀は、先ほど達川が届けてくれた音からの手紙を封筒に戻し、大事に勉強机の引き出しに入れた。

 「今行くぅ。」そう言いながら、部屋を出る。

 


 翌日、家まで戻る通学路はすっかりと紅葉に色を変え、暑さもその猛威を失くし、少しもの寂しい木枯しを吹かせていた。長袖に変わった衣服をパタパタとはためかせ、帰路へ急ぐのは由紀の姿だ。

 「ただいまぁ。」そう言うと同時にバタバタと由紀は部屋へ戻る。その様子に、部屋の掃除をしていた母親が、様子を伺うように声を掛けた。

 「由紀ぃ?今日ママ、お仕事お休みだから、この後買い物にでも行かなぁい? 」

 ドタバタとしていた音が少しの間止んで、また動きだす。

 「ごめん、ママ、今日無理。昨日出来なかったから、すぐにでもしたいの。」

 母親はその返事が予想外で、更に深く問う。

 「そんなに、急いで何処行くの? 」すると、由紀は思いっきり溜めて答えた。

 

 「将棋しに行くの‼ 」とても明るいしなやかな抑揚で、由紀の声が流れた。

 

 




 今より五世紀程昔、その盤上遊戯、漢の国より伝え渡る。

 その盤上遊戯、盤上の戦と呼ばれ、瞬く間に日の国にも受け入れられる。

 やがて老若男女へだたりなく愛され、その国にて『将棋』と名付けられる。

 この物語は、未だ存在しないその生業『女性プロ棋士』を目指す。盤上の戦乙女達の軌跡である。

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