第三十二手 火蓋は切って落とされた

 一回戦初日。四国代表と北海道代表、そして中国代表と関東代表の試合が行われる。

 由紀たち出場者は控室で先に行われている試合のモニターを見ていた。


 「あ~、すごい見て見て。別室の解説、阿南名人だよ。」

 モニターの向こうには確かに、テレビでもよく見る男が大きな将棋盤をまるでホワイトボードの様に使い対局の説明をしていた。


 「阿南名人、本当に寝癖、直さんのな。」達川もモニターに映る、そのだらしない青年に注目している。

 「由紀ちゃん。やったね?大将戦、阿南名人が解説してくれるらしいよ⁉ 」

 「……由紀……ちゃん? 」由紀は先ほどから、全く反応を見せない。長谷川は不審に思っていたが、達川の見解は違う。



 ――由紀、お前…本気で……――


 「やぁ、土生君じゃないですか。」寝癖を着けた男が廊下でそんな挨拶をしてきた。

 「おおおぅ? 」達川の爺さんが大げさに驚いてみせる。

 「今日、解説だそうですね。お疲れ様です。名人。」そう、その男は阿南名人その人だった。「やはり、君も『棋神門』の見学ですか? 」阿南は、表情を変えずそう尋ねる。


 「いえ、僕は同門の子の応援に来ているんです。」

 「同門?」阿南が疑問視するのも無理はない。プロの傘下に入っている者はアマチュアの大会に出られないからだ。


 「あ、地元の町道場の時の同門です。」その言葉に阿南が納得する。

 「阿南名人。そろそろお願いします。」そう大会職員から声がかかり「ではまた。」と阿南はのんびりと解説者控室に入って行った。


 「ううむ、明……本当に立派になったの……」達川の爺さんのそんな言葉に土生は、手を振って「よしてくださいよ、先生。」と言いつつ解説が行われる観客席の部屋へと入っていった。


 「お?おはよう、君たちも来ていたんだね? 」

 既に中央の席を陣取っていたのは『棋王会』の面々だった。


 「おはようございます。土生先生、達川先生。」佐竹が立ち上がってお辞儀をする。

 「やはり『棋神門』の研究かい?」その質問に答えたのは漆畑だった。


 「当然ですわ。個人戦最大の壁ですから。」そう言う漆畑に、土生が微笑む。

 「あ、漆畑さん、棋譜有難うね。皆お礼を言ってたよ。」それを聞くと、顔を真っ赤にして俯いて黙ってしまった。


 「と、ところで植村さんは?」土生が佐竹の耳元で尋ねる。「ああ、今日は来られませんよ。」という回答を得ると、二人も三人の近くに腰掛けた。



――――――


 確かに、将棋を始めた時からここに立つことが目的だった。大切なものを全て失って、唯一残ったのが、特に好きでもなかった将棋だった。でも、その好きでもなかった将棋が、今の自分の周りにいる全ての人を巡り会わせてくれた。だからこそ……頂点を目指すのが恩返しだと思った。彼女は必死で努力した。でも、去年はこの舞台にすら来れなかった。いや、去年同様、個人で出場していたら、今年もこの舞台には立てなかった事実。


 達川が、会場に向かうその時、心に宿っていた気持ちは、緊張でも不安でもなく初めて心から信じた友への感謝だった。





 『棋神門』の面々が姿を見せると、会場のボルテージが一気に上昇した。

 「すごい、歓声ですね阿南名人。」聞き手の女流棋士がそう言うほどであった。


 「ええ、ちょっと相手側の子たちが委縮してしまわないか心配ですね」と、阿南が苦言を呈すると、すぐに会場職員が観客を諌めた。

 「本日一回戦第二試合、中国地方代表『盤上の戦女神【ワルキューレ】』対関東地方代表『東京江戸川区棋神門』の対決を開始致します。」

 そう告げられると、両軍向かい合い、盤上を挟む。


 「さて、第一試合は熱戦の末、四国代表が勝ち上がりましたが、この第二試合はどう予想されますか?阿南名人。」


 「ええ、関東代表『棋神門』は、未だにこの大会で敗けた事が無いというとんでもない記録を持っていますからね。実力の高さは最早皆さんも知る由でしょう。」


 「では、やはり『棋神門』有利でしょうか?」


 「この本戦では、ルール上予選の成績がいい方が先手後手を選べますから、そう考えると、有利かもしれませんね。実際小早川さんと雑賀さんは居飛車の名手ですので先手を取れるのは大きいと思います。」


 「なるほどぉ、となると中国代表は、ちょっと厳しいですかね~」


 そのやり取りを面白くなさそうに聞いていたのは漆畑だ。

 「何ですの⁉あの女流棋士……まるで大衆を味方に付けようと……」



 「いえ、将棋は如何なる場面でも逆転があるものと僕は信じていますから、中国代表にも機会は平等にあると思いますよ。」にこやかに返すその言葉に言葉を失ったのは、女流棋士だけではなかった。漆畑もまた、その言葉に驚き、ぱくぱくと口を動かしていた。


 八月五日、正午、遂にその決戦は幕を開けた。


 一斉に解説会場も三つのモニターが点く。

 「さて、盤が一つしかないので大将戦しか、リアルタイムで解説できないのが申し訳ありませんが、動きがあり次第、モニターの方でも解説をしたいと思っていますので、どうかお許しください。」そう言うと阿南名人はモニターに向きなおる。



 開始直後、解説含め会場がざわつく。先鋒、長谷川対雑賀。副将、達川対小早川の動きは多くの予想通り『棋神門』二人の居飛車始まりだった。しかし大将戦にその異様な光景は在った。


 「これは……相中飛車ですね……この形は後手側が嫌がるのですが、『棋神門』の音さんは後手を選び、かつこれを選択したという事は……狙ってしたということですね…」




 真っ白い雪原の様な肌に二つの灼眼が開く。




 ――何の事も無し。数式を解くのと同じ。正解を写し出す――

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