第二十一手 漆畑の信念。新説金無双
――始まったか……とりあえず序盤の行く末が一番、気になるのは……――
土生は、こそこそと長谷川の盤が見えるところに動く。
――やはり、ここ。三回戦四回戦で、鬼殺しを連発しておいて、呆気なく敗れた高月 竜太郎……この子のデータが少なすぎる。まさかとは思うが……また鬼殺しに……!こ、これは……――
盤上の駒の配置に土生は目を見張る。
――居飛車穴熊!
クマちゃんも決勝は振り飛車穴熊でいくから……穴熊対決か‼――
二人の盤上に、着々と穴熊が完成していく。
――これは、暫く均衡が続きそうだな……と、なると次は由紀ちゃんだ――
――ふん、佐竹の野郎。
相変わらず、片美濃からの速攻か、ならばうちは……――
土生が、由紀の盤に移動する途中、どよめきが起こった。
――なんだ‼愛ちゃんの盤か?……ごめん!由紀ちゃん……!――
土生は、踵を返し、達川と佐竹の盤上を観察する。
――愛ちゃんの指し筋……これは‼四間飛車!こちらも相手と同じ囲いになるのか⁈愛ちゃん、大丈夫なのか⁉佐竹君の振り飛車は一級品だぞ!……く、ここも気になるが……――
土生は、素早く隣の席の盤上の見える位置に向かった。
達川は、横目でその土生の様子を見て静かに思う。
――由紀は、強くなったし、金無双への定石も伝えられた。でも……お嬢が相手では分が悪すぎる……だから……うちが……佐竹を倒すしかない‼――
由紀と漆畑の盤上は、予想通り相振り飛車、そして、金無双の囲いとなっていた。
厳しい眼光で、漆畑は由紀を捉える。その表情には先刻までの浮世離れした天真爛漫な様子は消え去り、勝負師のそれとなっていた。
――成程、私の棋譜の研究をされたご様子ですわね……しかし……付け焼刃が通用するほど……私の将棋は甘くはありませんことよ!――
「あのぉ、土生先生。」
「は、はい‼」盤上に集中していた為土生は、由紀の父親の呼びかけによって正気に戻る。
「あ……す、すいません驚かせてしまって……あのぉ…私たち、将棋の方が素人に毛の生えた程度の知識しかなくて……もしよろしければうちの子たちが、どのような状況なのか教えて頂けませんか?」
土生は、若干戸惑いつつも笑顔をつくった。
「あなた!こっちで皆のが見れるわよ。」由紀の母親が手招きする先に、いつの間にかモニターが三つ用意されていた。
――えぇ!早くそれを用意してよぉ――
とほほと由紀の父親と共に、そこへ向かう。
「まず、由紀ちゃんの盤面ですが……これは予定通りの相振り飛車という形になっています……今はまだどちらが有利とは言えませんが……計画通りに事を進行しているのは由紀ちゃんの方です……!」
その言葉を聞き、由紀の両親は驚いた表情を浮かべる。
「娘が……信じられません……相手の子は強い子なんですか?」
「勿論……地方大会とはいえ決勝ですから……その中でも相手の子は地方屈指の名手と呼ばれています……!」
その言葉を聞き、由紀の母親が、目を見開いて更に驚く。
「あの大人しくて臆病で勝負事なんて、口にもしたこともなかった由紀が……」
「ああ、そんな子を相手に序盤とはいえ有利に進めているなんて……」
その直後「おおお」と歓声が沸き起こる。土生は、食い入るようにモニターを見つめ、その原因を理解した。
――あ……愛ちゃん‼――
「あの……先生……この歓声は…?」
「はい……真ん中の子……
愛ちゃんが、相手に勝負手を掛け続けているんです……」
――愛ちゃん……佐竹君が悪手を誘えるほどの相手ではないという事は……君が一番知っている筈だろ?……!
そうか、これは‼――
その盤面を見つめ、佐竹は眉間に、一筋の冷や汗を流す。
――佐竹……あんたのその大きく頼りがいのある背を見て、兄貴のように想った時もあったよ……だがな……いつまでもうちが……後ろを追いかけていると思うなよ!――
「やった……相手の大駒を完全に封じた……愛ちゃん……。」
その時、部屋の隅、もう一つのモニターが置いてあるところで「がぁ‼」苦虫をかんだような声を出した男が居た。漆畑達の引率、植村七段だ。
「土生先生?」途中で説明が止まった事に業を煮やした父親が口を開く。
「あ?ああ、愛ちゃんが、先ほどの手で見事に相手の攻め駒の活路を封じたんです。」
由紀の父親が両眉を上げ「では⁉ 」と良い返答を期待しきった表情を浮かべる。
土生も、その期待に応えるように「えぇ。彼女の実力なら仕損じる事はないと思います。」と答えた。
そう、それほどまでに達川の指し筋は冴えていた。そして、ここまでの優勢でも達川以外なら……佐竹という相手を考えれば、決して安全とは言えない。この大一番で最も重要となる者が仕事を果たしたのである。
逆に一勝を計算していた相手の引率者、植村は奥歯が折れそうな程歯ぎしりをして、その戦況を見ている。正に明暗が分かれた時であった。
しかし………。
ここで盤面は、漆畑と由紀に移る。
漆畑紅の将棋には、決して曲げられないものがある。
それは、『金将こそが最強にして、最堅』という信念だ。
そもそも、彼女が駆使するこの金無双。かつては相振り飛車の盤面では、お手本と言われる程の囲いであったが、長年の棋士たちの研究により壁銀という最大の弱点を露呈し、現在では、使い手も少なく、盤面から消えていった型である。しかし、そこに彼女は異義がある。
一つの時代を築き、そして、時代によって消えていった型に……進化の道筋が無いわけがない!金将の力は、時代などと、そのような軽く重い言葉で片付けられるものではない!
――わたくしが証明致します!――
漆畑の信念が、駒に乗り移ったが如く、会場全体に空気が裂けたような強打音が響く。
その強打に、由紀がたじろく。同時にその手に戦慄を覚える。そして、それはモニター越しに見ていた土生にも衝撃を与えた。
――▲8四歩⁈壁銀を開いてきたのか‼
いや、しかしこれは……金無双なのか?――
その漆畑の指し手に観客が一斉にどよめいた。
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