第二十手 始まりは7六歩

 三人は、暫く棋譜と睨めっこを繰り返す。そんな時遠くから「バタバタ」と足音が聞こえた。


 「お。おーーーい、由紀ぃぃ。」聞き覚えのある声に、由紀は大げさに反応した。他の二人は、その反応に驚き、後に続いて振り向く。


 「ぱ……パパ!ママ!」由紀の声に二人が聞いた事もない甘ったるい感情が混じった。


 由紀は走って、父親と母親を出迎える。父親は、そんな由紀を思いっきり受け止めて抱き上げてやる「キャハハハハハ」と甲高い笑い声をあげるそんな由紀を見て、思わず二人は目を合わせた。


 「あの、大人しい由紀ちゃんが……」

 「ふん、甘ったれのガキンチョめ……」

 「さ、私たちもご挨拶に行きましょ。」「ち」舌打ちを打ちながら達川も立ち上がる。


 「ところで、由紀ぃ将棋はどうだった?勝てたか?」

 「うん、これから決勝だよ。」

 「え」父親、母親が同時に言葉を失う。


 「失礼します。こんにちはおじさま、おばさま。」

 「え?」「あら?」二人の目線が長谷川と達川に移る。


 「私、由紀ちゃんと一緒に大会に出てる長谷川と言います。いつも由紀ちゃんにはお世話になっています。」

 礼儀正しくお辞儀をする長谷川に、嬉しそうに父親と母親もそれに続き礼を返す。


 「達川です。よろしくお願いします。」

 素っ気なく達川も頭を下げた。


 「二人とも、うちの娘がお世話になってます。大人しい子でなかなか友達が出来なかったんだけど……二人みたいなしっかりした子が仲良くしてくれてたなんて、おばさんも安心したわぁ、これからも娘をよろしくお願いします。」

 そこで、父親が由紀を降ろして尋ねる。


 「ところで……さっき由紀が次は決勝と言ってたんだけど……」

 にっこりと長谷川が笑う。

 「はい!5時から地方予選決勝です。」

 両親は改めて驚く。


 「すごいね、二人は将棋がとても強いんだね。」父親が由紀の頭に手を当て二人を見た。


 「お言葉ですけどおじさん。」達川が由紀の父親に投げかける。

 「うちら二人だけではなくて、決勝までの貢献は、由紀にも充分ありますよ。」

 「そうそう、由紀ちゃんもまだ一回しか負けてないんですよ。」

 「つまり、うちらほぼ全勝で決勝に来てるんですよ。」


 二人の連携抜群の言葉に、由紀の両親は「ほぉぉ」とため息を漏らし、由紀に視線を落とす。


 「すごいじゃないか‼由紀。決勝も頑張るんだぞ?」

 「二人も頑張ってね。」長谷川と達川が改めて頭を軽く下げた。


 「お~~い、三人とも……?」そこで土生がよたよたと駆けてくる。

 由紀が、父親と母親に説明する。「引率の先生だよ。」

 「え?由紀、引率の先生はプロの方じゃなかったの?」母親が尋ね返す。

 その言葉を聞き「あはは」と土生は愛想笑いを浮かべ。


 「はい、一応プロの四段を持っております土生明と申します。」


 由紀の母親は、慌てて「失礼しました。とてもお若かったので、つい……」と頭を下げる。それに「いえいえ、こちらもお世話になってます」とお辞儀を返す。


 そこで、思い出したように、土生は三人の少女に伝える。

 「そうだ、皆‼もう、決勝の準備をしているみたいなんだ。そろそろ向かった方がいい。」


 達川が思いっきり腕を鳴らす。「よし行くぞ‼絵美菜、由紀。」


 「失礼いたします、おじさま、おばさま。」再度軽いお辞儀をいれ、二人は会場に向かう。

 「頑張っておいで、由紀。パパとママも応援するから。」

 「うん、パパ、ママ、見ててね。あたし……頑張るから!」由紀も二人に続いて急いで会場に向かう。

 「お父さん、お母さんもどうぞこちらへ。」少し後ろから土生達もその後についていく。


 ――そう言えば、クマちゃんに何か伝えたい事があったような……――


 「あっ‼」思わず土生の口から言葉が出た。

 驚いた由紀の両親が「どうしたんですか?先生?」と心配そうにこちらを伺ってきたので「何でもありません、すいません。」と謝りたおした。


 ――ごめん……クマちゃん……由紀ちゃん……――


 会場、将棋盤の乗った机の向こう側に、相手の三人は既に集まっていた。


 「私を待たせるとは、無礼極まりないですわね。」いつの間にか漆畑は真っピンクな浴衣に着替えていた。

 「お待たせお待たせぇ、いやぁ全国大会の予定を調べててさぁ。」

 売り言葉に買い言葉。「なんですってぇ」「なんだよ」と詰め寄る二人の間に佐竹が入って止める。


 「いい加減にしないか。」中指で眼鏡の位置を戻したときに「キラ」と眼鏡が光った。

 「出場チームは私語を慎んでください。」と会場司会から注意が告げられた。

 二人は、納得しない様子だが、そのまま自分たちの席へと赴く。


 「では、これより中国地方決勝戦、Aブロック代表。『盤上の戦乙女【ワルキューレ】』対、Bブロック代表、広島中央棋王会の試合を開始します。」


 会場が沈黙に包まれた。

 途端、会場にあおるような嘲笑や歓声が飛ぶ。


 高月が、相手の長谷川に、にやにやと嫌らしい目を向ける。

 佐竹は、中指でメガポジを直しながら「やれやれ」と呟く。

 「お……おのれーー達川ぁ、図りましたわねぇぇぇ‼」ただ一人漆畑だけ、明らかな反応を見せた。立ち上がって、達川に指差しながら怒鳴ったのだ。


 「そっちがその気なら、こちらにも考えがありますわ‼大会委員会‼私たちのチーム名を『紅色の風吹く放課後のティータイム』もしくは『真紅の妖精が囁くオリビアの宝石』に変更いたしなさい‼」

 途端、会場から「ドッ」と歓声が上がる。


 「おーほほほ、貴女達だけ目立とうなんて、許しませんことよ。」

 目立つは恥ずかしいが、恥ではない。というのが、彼女の信念だ。 


 「えー、お静かにお願い致します。お静かにお願い致します。」

 その後、大会委員会から漆畑に注意が出たが、当の本人は意にも介していない。


 「あ、あのー」由紀の父親が土生に声をかける。

 「将棋の大会って、いつもこんなに盛り上がるんですか?」

 その問いかけに、土生は苦笑いを浮かべる。


 「いえ……特例です……」


 しかし、土生はこの時気付いておくべきだったのだ。三人が周囲の嘲笑など、意に介さず、ただ目の前の盤上にのみ集中していたその気迫に。



 振り駒の結果、長谷川後手、達川先手、由紀先手となった。



 ――よし‼愛ちゃんと由紀ちゃんが、先手を取った‼いいぞ――


 「それでは、対局を開始してください。」


 二人の出会いは、最悪のものだったと言える。怒りと憎しみしかないぶつかり合いが、うんだ奇妙な縁。

 しかし、将棋と言う遊戯道具によって、その縁は、負の感情を徐々に消し去り、友情と互いの尊厳を帯びた絆へと変わった。そして、今二人は同時にお互いの夢の為、同じ駒を動かした。



 △7六歩。

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