第十九手 金無双

 三回戦。Aブロック会場で、歴史的失笑が起きていた。

 その理由は、数分前に遡る。


 「よし、トイレも済んだし‼残り三局、気合入れて行くぞ‼」


 三人が、足取り勇ましく、会場に入った。途端、見学者から「くすくす」とせせら笑いが聞こえたり、暑苦しそうな男子高校生が、こちらに燃える様な視線を送っていた。


 「ゆ、由紀ちゃん……なんかさっきと比べて……変じゃない?」

 長谷川の問いに、由紀も確かに周囲の様子に違和感を感じた。

 「ドン」と、急に前方に居た長谷川が止まった為、由紀は長谷川の背中に顔を思いっきりぶつけた。鼻を押さえ、長谷川に「ど、どうしたんですか?」と尋ねる。


 しかし長谷川から返事が無かったので、由紀は、長谷川の前に立ち、それを見た。

 「う………げぇええ」そこに書いてあった文字を見た由紀は、足元からまるで自分が石に変わっていくような感覚を味わった。



 『第三回戦、岡山元気将棋倶楽部 対 盤上の戦乙女【ワルキューレ】』





 そして、時間は現在に戻る。

 由紀と、長谷川は脳天に突き刺さるのではないかと言うほど、黒目が上方に傾いていた。しかし、達川は、どこか誇らしげだ。


 由紀と長谷川は、ここで自分たちの現状を理解した。一刻も早くこの状況を脱するには……これはもう、早急に勝負をつけるしかない。二人に異常なほどの闘志が灯った。


 鬼神の如き二人の活躍により、会場から歓声が沸くほどの完全勝利を収めた。


 ――さあ、一刻も早く、ここから脱出を――


 「では、勝者の『盤上の戦乙女【ワルキューレ】』チームは、別テーブルの勝者が決まるまで、暫しお待ちください。勝者が決まり次第、Aブロック決勝戦とさせて頂きますので、今暫く、お待ちください。」絶望の報告が、会場に響いた。


 ようやっと、準決勝の相手が決まったのは、それから30分後の事であった。


 「では、準決勝『盤上の戦乙女【ワルキューレ】対ISC(岩国将棋クラブ)となります。」二人は先ほどの死地から、既に悟りの境地に達していた。


 対戦相手が、二人の顔を見て、血の気の引いた驚嘆の表情を浮かべた。


 一縷の殺気もなくなった穏やかな表情を二人は浮かべていたのだ。

 「長谷川さん……」

 「ええ、由紀ちゃん。私たち乗り越えれたのね。」


 

――もう……何も怖くない‼ ――



 二人の対局は、荒々しい先ほどとは打って変わって、まるで別人のような冷静な指し筋を見せた。そんな二人の活躍もあり、再び三者三勝の完全勝利を収めた。



 「いやぁ、三人とも、素晴らしい対局だったねぇ。」


 会場の外で缶コーヒーを飲んで呑気にそう話す土生にズカズカズカっと、長谷川が詰め寄った。凄いその勢いに、土生は椅子からずり落ちそうになる。しかし、間髪入れず、長谷川は土生のスーツの袖を掴んだ。そして、達川から離れた所に土生を連れて行くと、小さな声でしかし、厳しい口調で言い放つ。


 「ちょ……ちょっと土生ちゃん‼あれはどういう事?愛ちゃんに内緒で適当な名前に変えといてくれるって約束だったじゃないの⁉ 」


 その言葉を聞いた土生は「あ~」と苦笑いを浮かべる。

 「いや、クマちゃん、受付に行った時には、もう団体名が決まってたんだよ。どうやら、事前に愛ちゃんが郵送で、バッチリ手続してたみたいなんだ。」


 長谷川は、鼻が当たりそうなくらい土生に近づく。


 「今から、何とか、ならないの……」声が震え、その深刻さが伺える。

 「わ……わかった。クマちゃん……そこは……僕が何とかしとくから……君たちは……決勝戦の事だけ……考えておくんだ。あ、これ、愛ちゃんに渡しといて。」



 土生は、そう言うと、棋譜を数枚手渡して、急いで大会受付の方へ向かった。


 「おい、絵美菜。決勝は、一時間後らしいから、あいつらの棋譜研究しようぜ。」

 長谷川は、後ろを振り向くと「すぐ行くぅ」と笑顔で駆けて行った。

 三人は、ホールの休憩所にて土生が記してくれた棋譜を広げる。


 「由紀、これがお嬢のだ。絵美菜、あのデブッチョのがこれだな……なんだ?この棋譜? 」

 達川は、棋譜を手渡す前に、思わず手を引っ込めてその棋譜を眺める。


 「どうしたの?愛ちゃん。」長谷川も立ち上がり、後ろからその棋譜を見る。


 「7六歩の後、すぐに桂馬が7七に高跳びしてる。変わった手だね。」


 「挙句の果てに、惨敗してるぞ。こりゃ、絵美菜……お前もらったな。」


 暫く、後ろから眺めていたが、長谷川の表情は険しい。



 「でもこれって、後手が受けを間違えると、一気に大駒を持っていかれるわ。」

 「あ、その型、達川さんのお祖父さんに、聞いた事があります。」

 漆畑の棋譜を持ちながら、由紀がそれを見て話す。二人が由紀に注目する。


 「確か、昔流行った奇襲手で『鬼殺おにごろし』というそうです。でも、6四と6三の筋を歩と金で押さえておけば、完封できるとお祖父さんからお聞きしました。」


 「なるほど、棋譜を取られたのがこいつの運の尽きだったな。」しかしそんな達川の言葉にも長谷川の表情は変わらない。


 「でも、決勝だと変えてくるかもしれないし……」

 それを聞いて達川は思いっきり、長谷川の背中を叩く。


 「心配すんな‼あんたも、ここまで穴熊を隠してたじゃないか⁉あんたの『穴熊』はそう簡単に破れるもんじゃないって、信じな‼ 」


 そこで、ようやっと長谷川の表情が和らぐ。「うん、ありがと、頑張る。」


 「あの……達川さん……」今度は由紀が達川に尋ねる。

 「ああ、そうだった。そのお嬢も本気の時に珍しい型を使うんだよ。」


 達川が棋譜を見えやすいように広げ、由紀の隣に座り説明を始める。


 「振り飛車戦法の囲いなんだがな、これを『金無双きんむそう』と呼ぶ。」

 「き……きんむそう……すごく……強そうです。」


 その言葉に達川が、キラキラした目で由紀を見る。

 「おうっ、なんかアジア系ヒーローの必殺拳みたいだよな‼」

 「愛ちゃん、それいいから、由紀ちゃんに説明を……」


 達川は「ハッ」とし、咳払いを一回すると説明に戻った。


 「見て分かるように、最大の特徴は、金を玉の左横に二枚、さらに向かいに銀を置く事だ。見ての通り、上部からの攻めに効果を発揮するし、相手の出かた次第では……7四歩、7三銀と動かしていくと……」


 「あっ、『矢倉やぐら』‼ 」

 達川は、大きく頷く。


 「いいぞ、由紀。いい大局観だ。そう、金無双最大のメリットは、この相手によって攻めにも守りにも転じる事の出来るその柔軟性だ。」


 由紀は、棋譜を眺めながら考える。その直後。片眉が「ビク」と跳ねる。その様子をみて、達川が話を続ける。


 「おう、見えてるな。そう、この囲い。実は弱点も多い。まずは、玉の横にいる銀。これが非常に自分の首を絞めている。玉の逃げ道を塞ぐ壁銀という形になっているんだ。つまり。」



 「横からの攻めに極端に弱い……」由紀が先に答えたが、達川には喜びしかなかった。


 「あのお嬢の事だから、プライドに賭けて必ずこの金無双を出してくるだろうよ。だからあんたも、それに乗っかってやればいい。つまり……」


 「相振り飛車の形をつくる。」

 由紀の返事に、達川はしっかりと頷いた。


 「あとは、あんたとお嬢の構想力の勝負だ。」

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