第二手 その扉を開けた時、
「高木君、由紀ちゃん、今日から二人は高学年さんなんだから、下の子たちが悪さしてたら、注意したりして先生を助けてね。」
『ヒメリンゴ』は5年生から特例を除き、利用できない。4年生は高木と由紀の二人だけだから、事実上二人は最年長となるのだ。
「はい、先生。」利用して一年経ち、由紀も『ヒメリンゴ』の利用学童たちに慣れていた。
「ほいほぉい。」高木は相変わらずだ。担当教師は、ため息をつくと。
「高木君、もうお兄さんなんだから、しっかりしてね。」と捨て台詞を吐き低学年の方へ行ってしまう。
「ちぇ。」と言いながらも、高木はもういつもの面子の所へ行き、ポケットサイズの将棋盤を出して準備を始めている。由紀は「やれやれ」と思いながらも、入り口付近の台所に行って、学童たちのおやつ準備を始める。
全部のコップに麦茶を容れ終ると同時くらいだろうか? 目の前に見覚えのある女子がやってきた。
「
「苫米地さん、高木君居る? 」
「え?う、うんいるよ。」
「なんか、六年生の人がね、高木君、教室に呼んでるよ。背の高い怖い感じの女の人。高木君、またなんかしたの? 」
「え、え? 知らない……」
高橋は「ふぅ」と息をつき「大変だね。」と同情したような目を向ける。
「じゃあ、伝えたから。高木君に言っておいてね。なんか待ってるみたいだから早い方がいいよ。」
「え、あ、高橋さん。ちょっと待っ……行っちゃった……」
由紀の胸に渦巻く不安は、どんよりと大きくなる。「背の高い怖い感じの女子」「六年生」そのフレーズが何度もその小さな心の中に反響する。
先生に伝えようか……いや、ただ話があるだけかもしれない、何度も由紀は自問自答を繰り返していた。
「どしたぁ? 」急な高木の声に、身体を大きく揺らす。その姿に高木の方が驚いた。
「お、おぅ。チビどもが、おやつおやつ煩いからよ、これ? もってったらいいんか?」
そう言って、麦茶の盆を掴む高木に、由紀は意を決して言った。
「今ね、隣のクラスの高橋さんが来て、なんか六年生の女の人が高木君を教室に呼んでるって……どうしよう、高木君……」
心配そうに見つめる由紀と打って変わって、高木に不安の色はなかった。
「わかった、これチビたちに出したら、ちょっと俺行ってくるわ。」
「ええ⁉ 大丈夫なの? なんか大きな人らしいし……先生に言った方が……」
「あはは、何でだよ⁉ 俺悪い事なんかしてねぇから、大したことじゃないって。お前が心配すんなよ。じゃ、悪いけどチビたちの面倒頼むわ。」
そう言って、麦茶をテーブルに運ぶと高木は、教室から去って行った。
一時間経った。高木は戻ってこない。
教室の子供たちは、既に下校していた。残った洗い物を教師と片付けながら、由紀は不安を感じていた。
「全く、高木君には困ったもんね、全部由紀ちゃんに押し付けてどこに行ったのかしら?あら、あの子鞄、置いてったまんまだわ。困ったわね、もうすぐ下校時間でここも鍵を閉めるのに……由紀ちゃん。洗い物、残り先生がしておくから、高木君探して鞄届けてもらえる? 」
「え? あっ‼ はいっ‼ 」
渡りに船とはこの事であった。正直もう心配で、洗い物どころではなかった。
高木が、ボコボコにされてたらどうしよう?
そんな不安を感じながら、何も入ってないのでは、と思うほど軽い高木の鞄を持って、由紀は六年生の教室へと急いだ。
六年生の教室は三つあって、見つけられるか不安だったが、下校時刻がいい方向に働いた。一部屋以外、電気がついていなかったのだ。灯りのともったその教室を由紀は恐る恐る開けた。
その光景は、全く予想していなかった。
高木と、もう一人、茶色の髪が肩まで伸びた女子が、机を間に挟み向かい合っている。そして、二人の間の机に置いてある物は……
「将棋盤……? 」
その声に目を向けたのは女子の方だ。
「なんだ? あんたのツレか? ほらっ、じゃあもういいでしょ。この局もあんたの負けで。これでうちの6連勝ね。」
そう言うと、その女子は、机を離れて鞄の掛けてあった別の机に向かった。
よく状況が理解できなかった由紀だったが、想像したような怖い状況でなかった事に胸を撫で下ろしながら、高木の傍へと寄った。
「帰ろ。高木く――」
その時、由紀は見てしまった。
今まで笑顔しか見たことのなかった高木の泣く姿を。
それにはっきりと、彼女は狼狽した。
「ど、どうしたの? 高木君? ん? ん? 」由紀の目にも熱いものが宿る。
「あーーー、泣いてんの? なっさけないねぇ、あんたもさ、そんな情けないホラ吹きな彼氏とは、別れた方がいいんじゃない? 」
鞄を肩にかけ、出口の方へ向かう足を止め、先ほどの女子がそう言った。座っている時は解らなかったが、身長が高い。六年生でも男女合わせて恐らく一番くらいであろう。大きさは勿論、そのきつそうな鋭い目に、由紀は恐怖を覚えた。
「プロ棋士目指してるなんか言ってっからさぁ、相当期待して打ってみりゃ、これだよ⁉ 最後なんか6枚落としてやったのに、100手も持たんって、クソもいいとこだね⁉ よかったじゃん、早めに才能の無さに気付いてさ。」
「あううぅっ‼ 」
「高木くっ! 」由紀の言葉も空しく、高木はすごい勢いで教室を飛び出していってしまった。
「ははっ男のくせに女々しいわぁ、うわーんって飛び出すなんか。
あ、それそのままでいいから。あんたももうすぐセンコー来るから、早く帰りんさい。」
そういって、彼女は再び歩を進める。
「待って! 」
しばし、空気に間が空く。その少女はまさか自分が言われたとは思わなかったのだ。
「は? 何? 」鋭い目が若干開き、離れている由紀を捉える。
「なんで、あんなひどいこと言ったの? 」どもることもなく、はっきりとその声は伝わる。
「はぁ? 」威圧するように彼女は大きな足音をたてながら由紀に近づく。
しかし、由紀も怯まない。まるで自分の中でマグマが吹きあがってくるような熱さを感じていた。
「高木君は、夢に向かって一生懸命だった。毎日将棋を教えてもらってたあたしが、それを知ってる。高木君は、才能が無くなんかない。将棋のプロにもきっとなれる! 」
「だ、っっはっっはっはははは」
目を抑え、狂ったように彼女は笑った。
その姿に、更に由紀の熱さが増す。
「高木君はっ、優しいから! だから女の子には本気が出せなかったんだ! 」
その言葉に、ぴたりと彼女の笑いが止まった。
手をゆっくりと離すと、その先の眼光が見下すように由紀に突き刺さる。
「あんた……さっきの話聞いてなかった? 手加減したのはうちなんだけど? 」
由紀は恐怖を感じた。しかしそれよりも強い不思議な感情が。由紀を動かす…!
「高木君はっ、あたしよりも強いっ! だからっ! あたしが勝ったら……本気じゃなかったって証拠になる、そしたらっ高木君に謝ってください! 」
上目の強い瞳が、今度はその少女に突き刺さった。
「く、そ、ガキ! 年上に向かって……何てことをっ! 」
その言葉を言うよりも先に「ガタン! 」と大きな音をたてて椅子に座る。
「あいつの最後の対局と同じ! 私の6枚落ち! あんたからの先手! ホラ! 嘗めたこと言ったんだから、さっさと座りな! 」
「………」対称に由紀は静かに着席する。
恐怖は、さっきよりも大きくなっていた。しかし、不思議なことに逃げ出したいとは思わなかった。それよりも強く思っていたのは。
――この人にだけは……絶対に負けたくない! ――
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