盤上の戦乙女【ワルキューレ】

ジョセフ武園

第一部 アマチュア棋士編

由紀 10歳 夏

初手 苫米地 由紀

 現代より5世紀もの昔、その盤上遊戯、漢の国より、伝え渡る。

 その盤上遊戯、程無くして日の国に普及し、様々な立場、身分、職者の者に愛され間もなく大衆遊戯へと登り詰める。

 やがて、時代は変わりその遊戯、日の国にて盤上の戦と喩えられし。

 これより語られる物語は、その盤上にて

 21世紀の現在でも、未だ存在しない『女性プロ棋士』を目指し、戦い抜いた戦乙女たちの軌跡である。





 199X年、春、広島県のとある市村。

 4月というのに、半袖の者が居るほどに今年の春は暖かい。

 『地球温暖化』という言葉と、「日射病に注意しましょう」というフレーズを小学生でも覚えてしまえるほどに、最近はテレビでもしつこく流れていた。


 桜通りの景色の中を潜りながら、彼女、苫米地とまべち 由紀ゆきは、額に汗をかきそんな事を思い出していた。

 桜通りを抜けた先に、彼女よりやや背の高い男の子が立っていた。


 「遅いぞ、苫米地ぃ、先に行っちまうぞ。」

 彼女に気付いたその少年は、眉間に皺を寄せて彼女を威圧するように怒鳴る。


 「ご、ごめんなさい高木たかぎ君、本読んでたら時間忘れちゃってた。」

 小さな体を目いっぱい動かしながら、切れた息を整える間もなく、二人は学校の方角へと駆けだす。



 「な、何とか間に合ったなぁ。」ぜぇぜぇと息を切らしながら二人は教室へと向かう。

 「あ、おはよう。高木君、由紀ちゃん。」

 担任の教師だろう、30過ぎほどの女性が教室の廊下で二人に声をかける。

 「先生、おはようございます。」二人は慌てながら挨拶をした。

 

 そして、教室に駆け込むと、高木は室内を見渡し。

 「あ~~~、よかった~セ~フ。」と、自分の机にランドセルを叩き落とした。


 「あ~~、苫米地ぃ、お前いい加減、その遅刻癖なおせよな。

 女子のくせによ。」


 朝の会後、間もなく高木が由紀に話しかける。


 二人は机も前後で並んでいた。椅子に横向きになって、由紀の目を睨む様にしている。

 「うう、ごめんなさい。

 いつも本に夢中になると、ついつい時間を忘れちゃうの。」

 「もう、待ってやんないからな。」笑っている顔を見られないよう、高木は前を向く。

 

 「そ、そんなぁ、ごめん。ごめん、高木君。」

 困った様な声を挙げて、許しを乞う由紀。高木は、いつもこの瞬間がたまらなく快感であった。



 「あーーー、高木ぃ、あんたまた由紀ちゃんイジメてるなぁ‼ 」

 そう言って、恰幅のいい女子が2人ほどお供をひき連れて二人の机に向かってきた。

 「うげぇ、来んなよ、山内やまうちぃ。」

 そう言うと、罰の悪そうな表情を浮かべ男子の集まっている所へ高木は逃げた。

 「何か、やられたらすぐに言ってね‼ 先生に言いつけてやるんだから。」

 「う、うん。ありがとう。でも、今日はあたしが悪いから……」

 鼻息荒い山内を諌める様に由紀は、諭した。


 二人の出会いは、3年前だが初めて会話をしたのは去年である。

 由紀が小学3年生に上がった事をきっかけに、両親が共働きになったため校内にある、預かり教室に通うことになった。そこに、高木が居た。1、2年の時も同じクラスであったが、正直自分と違うタイプで活発な高木に由紀は苦手意識を持っていた。



 ――どうしよう、とりあえず宿題の算数ドリルでもしておこ……――


 そう、思ったとき「うわああ、やられたぁ」と高木のいる方から声が聞こえたので由紀はその方向を見た。

 そこには楽しそうに笑う数名の男子が見えた。

 その時、正面の高木と目が合う。

 「あれぇ? 苫米地じゃん。お前も『ヒメリンゴ教室』来ることになったん? 」

 予想もしなかった相手からの接触コンタクトに、由紀は身体を「びくり」と動かし不格好な愛想笑いを浮かべる。

 「おーい、ちょっとこっち来ぃ。」

 「えっ⁈」突然の誘いに明らかに動揺する。


 しかし、呼ばれて行かぬのは、後々もっと面倒な事になる予感がした。

 やがて覚悟を決めると、彼女はその方向へと歩き出した。

 近くに行った時、そこに置いてあった物に思わず目が向かった。


 「将棋しょうぎ? 」


 何となく見覚えがある物だったので、その物の名前もわかった。

 「おっ⁉ 分かる? お前本ばっか読んでたから、なんかできそうな気がしたんよ、ほら駒並べぇや。ちょっと、やろうや。」


 高木は、思いっきり嬉しそうな笑顔を由紀に向ける。

 慌てて由紀は、両手をバタつかせて「えぇ、ごめんルールとかはわかんないよ。」と断る。

 「なんでぇ……」明らかにつまらなさそうな高木の表情に由紀は胸を痛める。

 「あ、だったらよ! 俺が教えてやるよ! 」しかし、そう言うと間髪入れずその表情が華やかに咲き誇った。


 「えぇ⁉ 」突然の提案に今度は胸が破裂しそうなくらい驚いた。

 「ほれ、いいから座れって。悪ぃ森保もりやす、そこどいたって。」


 「あ、あああ。」狼狽している間に座っていた男子が動いてしまった。こうなると断ることもできない。やむなくそこに小さな少女の体は更に小さくなり座った。

 「いいか、これがって言ってな。」



 10分後には、もう説明に飽きた高木の提案で、実戦練習という事になり、由紀にとっては訳も分からず産まれて初めての将棋となった。

 「あぁ、ダメダメ、そんなじゃあ、ほおぉれ、見てみぃ。飛車が取られたで?ほれほれ、

 どうにかせんと内陣なかにまで竜が食い込むでぇ! 」

 「え? え? え? わ、わかんないよぉ……手加減してよぉ……」

 余りにも切ない情けない少女の声に、高木は何とも言えない優越感を感じていた。


 結局、後に伝説の女性棋士となる苫米地由紀の初めての棋譜は、あまりにお粗末な惨敗となった。


 「すごいねぇ、高木君、よくこんな難しいゲームできるね? 」

 屈託のない純粋な瞳に、尊敬という色が混じって高木を捉える。

 その瞳に、少し照れ笑いを浮かべて、高木は返答した。



 「おう、俺さ、将棋のプロになりたいんよ‼ 」


 思わぬ回答に由紀は驚く、自分は将来の事など一つも考えていない。ただ、毎日本を読み、意味もなく文章を覚えてみたりする日々を過ごしているだけだ。だからこそ、同じ年齢の高木が夢をもってそれに向かっている事が想像も出来なかったのだ。

 「苫米地ぃ、これから『ヒメリンゴ』通うようになるんなら、俺が将棋教えてやるよ。

 弟子にしちゃるわ。俺がプロになったら自慢できるど。」



 それから、境遇も似た同学年の二人が仲良くなるのに時間はかからなかった。

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