第9話 天界の入口にて

「この子たちは、僕たちが天界へ連れて行く。それでもいいだろう?」


 苦しみから解放され、安らかな顔をしたカクとヨムを見つめたままミカベルが言う。


「いいけど…。ボクがこの子たちの手を取らないと、魂が体から離れないままだよ?」

 エンジェルは橇の上で羽をぱたぱたと動かしながら言った。


「わかってる。天界の入口まででいいんだ。この子たちと一緒にいてやりたいんだ」


 ミカベルとラファエルは、カク、ヨムを寄り添うようにそっと橇の荷台に横たえ、ひざ掛けをのせた。

 ミカベルがトナカイの手綱をもち、ラファエルは子どもたちの横に添い寝して、二人の濡れそぼった頭を優しく撫でる。


 まるで家族みたいだ――。


 子どもたちの表情は寝顔のようで、隣で二人を慈しむラファエルは母親のようで。

 そしてそんな母子を愛おしみ、守るように橇を走らせる僕は父親のようで。


 毎年この兄妹に会うたびに、ミカベルの心についていた爪痕。

 今年は心が刃物で抉られたような痛みが襲ったのに、その抉られた傷から、温かい何かがじわじわと浸みだしてくる。

 ミカベルはその温かいものに心が満たされ、悲しみすら覆っていくその感覚を不思議に思っていた。


 いつの間にか冷たい雨は止み、薄紫色の空から茜色へ、そして青空へと変わっていく。

 天界との境界まで来たのだった。


「さ、この辺でバトンタッチかな」

 橇の上を飛んでいたエンジェルが、カクとヨムのすぐ上まで降りてきた。

 添い寝をしていたラファエルが、観念したようにゆるゆると体を起こした。


「待って」


 ミカベルの声に、エンジェルとラファエルが視線を向ける。




「僕は…


 家族になりたいんだ。


 この子たちと」




「「えっ?」」

 エンジェルとラファエルが同時に声をあげた。


「ちょっと、社員のおにいさん?何言ってるの…?」

「ミカエル…」


「主にお願いしようと思う。だから彼らを天界の窓口に連れて行くのはちょっと待っていてほしいんだ」

 ミカベルの瞳にこれまで見たこともない強い光を感じて、ラファエルははっとした。


「ミカエル…。私も同じ気持ちでいて、いい…?」


 瞳いっぱいに涙をたたえたラファエルの手を、ミカベルがそっと取って口づける。

「もちろん。僕の妻、この子たちの母親は君でなくっちゃ」


「で、でも…!主にお願いするなんて、いったいどうやって…?」

 うろたえるエンジェルのさらに上から、明るい光が差してきた。


「その願い、確かに聞き届けたよ」


 はっとして、ミカベルとラファエルが上を見上げる。


「サキクルさん…!?」


 社内で会うときよりも後光の輝きが一層強く、慈愛に満ちた笑みをたたえたサキクルがそこにいた。


「ミカエル・ベルティーニ、ラファエル・ポワティエ。

 君たちが人間に生まれ変わり、カク、ヨムを二人の子どもとして新しい家族をつくる。

 その願いを叶えることはできる。

 ただし、心して聞いてほしいことがある。

 君たち二人はもう天使に戻ることはできない。

 そして、人間の生命は儚い。

 死による伴侶との別れ、親子の別れは避けることはできない。

 ただ、死して天界へ戻り、次に生まれ変わるときにも君たちが一つの家族として生まれ変わることを約束しよう。

 それを肝に銘じた上で、君たちは人間の家族として生まれ変わることを望むかい?」


「サキクルさん…あなたは一体…?」

 彼の後光のまぶしさに目を細めたままミカベルが問うと、サキクルはゆっくりと言葉を続けた。


「我は主の分身なり。

 ミカベル、君に言っただろう? 主、つまり社長は社員を適材適所に配置すると。

 社内には僕のような主の分身が何人かいてね、社員をより良き方向へ導くよう力を添えているんだ」


 驚きを隠せないまま、ミカベルはラファエルの方を見た。

 ラファエルはミカベルの瞳をまっすぐに見据えて、ゆっくりと頷く。

 こういう状況では、女性の方が目の前の現実を受け入れる能力が高いようだ。

 ラファエルの微笑みに、ミカベルの戸惑いが弾かれたようになくなった。


「サキクルさん…いえ、主よ。

 私たちは人間としての儚い生を受け入れ、家族となることを望みます。

 この子たちを生涯をかけて愛し、守ることを誓います」


「汝らを祝福しよう。

 このエンジェルと一緒に天界の窓口へ行きなさい。

 ミカベルとラファポワが先に生まれ変わって下界に行くことになるが、カクとヨムは君たちが結婚して彼らを生むまでの25年間、天界で預かろう」


 エンジェルに導かれ橇を引くミカベルが、見送るサキクルの方を振り向いた。


「サキクルさん…。本当にいろいろありがとうございました。

 お世話になったついでに、最後に一つお願いをしてもいいですか?」


「ん?なにかな?」


「僕の担当配達エリアにいたスラム街の子供たち…。いえ、世界中の貧しい子供たちに、プレゼント以外にパンとスープ、毛布を支給可能とすることを、課内会議の議題に上げてもらえませんか?」


 サキクルは微笑んでうなずくと、ミカベルに向かってサムズアップした。


「了解。君のその提案、絶対に社長決裁をもらうまで上にあげてみせるよ」



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