第8話 冬の雨、橇の上。

「ミカエル!どうしたの!」

 ラファエルが手綱を引きながら橇を近づける。

「この子たちを橇に乗せて!僕の膝掛けをこの子たちにかけて!」


 ミカベルは夢中だった。

 社内規定のことなどすでに頭から吹き飛んでいた。

 冷たく動かない二人を順番に抱き上げて橇に乗せる。


 空になった荷台に二人を横たえ、膝掛けをかける。

 けれども、冷えきった体に、もはや膝掛けの温もりが沁み込んでいく様子はまるでなかった。


「雨を避ける場所に移れないくらいに弱っていたのか…。

 クリスマスがあと数日早ければ…!」

 ミカベルはカクの手をとり、はあっと息をかけながら擦る。

 ラファエルも手袋を外して、つららのようなヨムの足を懸命にさする。

「せめて、温かいスープを口に入れてあげられたら…!」


 手をさするだけではもどかしくなり、ミカベルはカクを膝に乗せて抱きしめた。

 冬の雨に濡れたカクの体は、氷の塊を抱きかかえるように冷たかった。


「ミカエル…」

 ラファエルが震える声を絞り出す。

「だめだわ…。女の子の方は…もう…」

 ラファエルが見上げた空には、“お迎え”のエンジェルが近づいてくるのが見えていた。


「くっ…」

 ミカベルはカクを膝にのせたまま、腕を伸ばしてスープの入ったポットを手に取った。

 ラファエルにそれを手渡すと、ラファエルは慌てて蓋を開け、スプーンでスープをすくう。


 せめて一口。

 飲んでくれたら、“お迎え”は去ってくれるかもしれない──。


 頭ではわかっている。

“お迎え”が引き返すことなどありえないと。

 けれども、ミカベルとラファエルは必死だった。

 一口でいい、飲んでほしい。

 体に生気を取り戻してほしい──!


「飲んで! お願い…!!」

 ラファエルが少し開いたヨムの口にスープを流し込んだ。

 カクの体をさすりながら、すがるような思いでミカベルも見つめる。


 けれども――


 ヨムの口の端から、スープはたらたらとこぼれ落ちる。

 口も喉も動かない。


「ああっ…!」


 悲痛な声をあげたラファエルの頭上からやわらかい光が降り注いだ。

 エンジェルがヨムを迎えに来たのだった。


「お願い…!連れていかないで…!!」

 涙をこぼしながらラファエルが訴えると、幼いエンジェルは困ったように首をかしげた。


「おねえさん、社員さんなんでしょう?ボクが来たことの意味はわかるよね…?」

「わかってる…。でも、お願い。もう少しだけ、この子を抱きしめていてあげたいの」

 二人の身なりやプレゼントの内容から、親のいないこの兄妹がどれだけ必死に生きてきたのかをラファエルも悟っているようだった。


「いいよ。まだ大丈夫。そっちの子も、連れて行くから…」

 エンジェルがカクに視線を向けた瞬間、ミカベルは反射的にカクを隠すように自分の体で覆った。

「この子まで…? 主はそんなに非情なお方だったのか…?」


 知らない間に、ミカベルの頬を涙がつたった。

 その涙が顎をつたい、抱きかかえたカクの口元に落ちたとき、カクの口元がわずかに動いた。

「カク…!」

 ラファエルが慌てて手渡したポットから、ミカベルはスープをすくってカクの口元に運ぶ。

 少しずつスープを流し込むと、カクの喉元がかすかに動き、コクン、と弱い音が聞こえた。


「カク…!」

 ミカベルが呼びかけると、カクは閉じていた瞼をうっすらと開けた。

 口元がわずかに動く。


「…さ…」

 微かな光を宿した瞳がぼんやりとミカベルの顔をとらえている。

「…う、さ…」


「カク…!僕が見えるの…?」

 ミカベルの声に、ほんの少しだけ頭が動く。

 反応があることは嬉しかった。けれども天使のミカベルが見えるということは――。


「おと…う…さん…」


 カクの瞳に、最後に残った僅かな生気を集めたようなしずくが一粒浮かんだ。


 それから、カクの瞼が再び閉じられたとき、その雫がこぼれてミカベルの膝に落ちた。


 口元にほんの僅かな笑みをたたえたまま、カクの瞼が再び開くことはなかった。




「カク…っ!!」





 ミカベルの声は喉にはりついたようにかすれていた。


 ミカベルも、ラファエルも、幼い子どもを抱きかかえたまま、彼らを濡らすことのない雨にいつまでも打たれていた。

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