第6話 家族になれたら――?
「えっ!?」
突然飛び出したラファエルの言葉に、ミカベルは驚いて振り向いた。
「人間の家族がうらやましい…って、どういうこと?」
ラファエルはミカベルと目が合うと、顔を赤らめて下を向いた。
「…私とミカエルは恋人同士じゃない?
でも、天使は数百年経ってもずっと恋人同士のままだわ。
それはそれで幸せなことだと思っているけれど…。
人間みたいに、好きな人と家族になって、子供が生まれて家族が増えて…。
たとえ短くても、そんな暮らしも幸せで素敵だなって思ったの」
ラファエルは言葉を続ける。
「その…。ミカエルと、そんなふうに家族になれたら、どんな感じなのかな…って思って」
ミカベルは戸惑った。
これまでエンジェル時代も含めて人間の世界をずっと見てきたけれど、人間の家族がうらやましいなんて思ったことは一度もなかった。
人間の幸せを願うのが天使のつとめではあるけれど、自分が人間のように生きたいだなんて考えたこともなかったのだ。
それなのに、
「家族になれたら──」
恋人であるラファエルの口から出た意外な言葉に、ミカベルの心は激しく揺さぶられ、体中の血が猛スピードでめぐりだしたように息苦しさを覚えた。
「ラファエル…。僕たちは天使だよ?家族になんてなれるわけ――」
「わかってる!…言ってみただけ。ごめんね。ちゃんと仕事する」
ラファエルにもっと優しい言葉をかけてあげたかったのに、わかりきったことしか言えなかった。
心にこみ上げてくるものをぐっとこらえるように真一文字に結んだラファエルの口元を見つめて、ミカベルは少し申し訳ないような気持ちになった。
その一方で、ラファエルは知らないからそんな風に思うのだ、とも考える。
親がいて、子供が生まれる――。
人間に与えられたその形が、幸せばかりをもたらすものではないということを。
*****
ラファエルの細やかなケアのおかけで、アゴトは足を傷めることも、赤鼻の光量が安全基準値以下に落ちることもなく橇を引き続けることができた。
ラファエルは時々橇から離れてミカベルの配達の様子を伺いにきたけれど、ミカベルに人間の家族のことを再び話題に振ることはなかった。
ミカベルも、そんなラファエルの胸の内が気になりつつも、あえてそれ以上聞き出すことはしなかった。
人間の幸せは儚い。
そして、そんな儚い幸せすら知らずに生きる人間だっているのだ。
そう、あの兄妹のように──。
「ラファエル。これから配達する区域に入ったら、君は橇から離れないでくれ。
君のおかげで予定より早く終わりそうだし、後は僕一人で大丈夫だから」
「えっ?どうして?後もう少しで終わるんだから、私が手伝えばそれだけ早く終わるでしょう?
アゴトもキルステンも元気だし、私も配達に同行したいわ」
恋人を傷つけたくないというミカベルの気遣いは、好奇心旺盛なラファエルには通じないようだ。
ミカベルはため息を一つつくと、思い切ってラファエルに告げた。
「これから配達する区域は、貧しい人々ばかりが暮らすところなんだ。
君が憧れる家族の形を得られない子供もいっぱいいる」
ミカベルの言葉に、ラファエルは首を傾げる。
「家族がいない子供たちがいるってこと…?」
「そうだよ。人間は幸せな家族ばかりじゃない。
胸を塞がれるような辛い状況の子供たちを見て、君は黙ってプレゼントだけを置いてくることができるかい?」
特定の人間に思慕憐憫の情はかけられない――。
天界の社員として遵守しなければならない規則をラファエルは思い出す。
「わかった。…じゃあ、ここで待ってるわ」
「なるべく早く終わらせて戻ってくるから」
ミカベルは悲し気に瞳を伏せるラファエルの額に口づけると、幾つかのプレゼントを袋に詰め、粗末な家々に向かって降りて行った。
このスラム街だけは30年前とほとんど変わらない、とミカベルは思った。
掘っ立て小屋と言う表現がしっくりくるような、粗末な家がひしめきあっている。
すえた臭いが鼻をつき、軒先にはごみか荷物か区別できないような物が散乱している。その中を、食べ物を探してうろつく野良犬や野良猫たち。
ミカベルはプレゼントを抱えて薄っぺらい木の板を寄せ集めた壁を通り抜けた。
部屋の間仕切りすらない家の真ん中で、薄い布団や粗末な洋服を体にかけて縮こまって寄り添う家族。
けれどもこの家族はまだいい方だ。
狭くて粗末な家でも、ちゃんと家族で寄り添って眠れる場所がある。
ミカベルは枕もなく薄汚れたラグマットの上で眠る子供のそばに、そっとプレゼントの包みを置く。
この子へのプレゼントは通学用のバッグだ。
毎年この区域では、おもちゃではなく生活に必要なものをサンタクロースにお願いする子が多い。
隣の家の子は、ペンケース。
その隣の家の子は、穴の開いた靴の代わりとなる新しい運動靴。
子どもでも、ろくに学校に行かずにガラクタ拾いや新聞を売ったりなどして僅かな金を稼いでいる。
日々の暮らしに精一杯で、おもちゃで遊ぶ余裕などどこにもないのだ。
つい先ほどまで、ゲーム機や大きなぬいぐるみ、複雑な変形ロボットなどを枕元に置いてきたミカベルは、毎年この区域に来るたびに心に針を刺されたようになる。
けれどもこれが人間の世界というものだ、感情的になってはいけない。
いつもそう自分を戒めて、リストに書かれたとおりのプレゼントをそっと配達してきた。
なのに今年はどうしてだろう。
この区域に足を踏み入れた途端、いつも以上にこの町の空気を息苦しく感じたのだ。
小さくて軽い包みを貧しい子ども達の傍に置くたびに胸がざわざわと波打つ。
こんな心の状態で、あの兄妹の元へプレゼントを届けられるだろうか?
今まで見ないようにしてきた心の奥底の感情が、新しくつけられるであろう爪痕から滲んで溢れ出してきてしまいそうな気がする。
今年に限ってこんなに心がざわつくのは、ラファエルと一緒に配達しているからなのだろうか。
「家族になれたら──」
配達を続けながらも、ラファエルのこの言葉が、ミカベルの頭の中で何度も何度も再生された。
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