第4話 いよいよ配達へ

 毎年、配達課社員が配達に出る際には課内で出発式が行われる。

 下界の時差の関係で、3万人ほどいる配達課員は数グループに分かれて出発するのだが、それでも出発する社員全員を収容できるほど大きなホールはないし、訓示をするお偉いさんも何度も式に出なくてはいけなくなる。

 そのため、出発式は地域ごとに分かれた課のフロアで、モニターを観ながらビデオで式が放送される。

 アジア第十二配達課のモニターの前、ミカベルの隣では、飼育課員ラファエルが初めての出発式にそわそわとした様子で臨んでいた。


『えー…。下界の子供たちに君たちの姿は見えておりません。しかしながら、配達員一人一人が自分こそサンタクロースであるという自覚をもって…』


 モニターの中で、局長の聖ニコラウスが毎年お決まりの訓示をのたまっている。

 続いて、給付統括部長ならびに配達統括課長より、配達時の注意事項や無事故への注意喚起などが述べられた。

 毎年のことながら長く続く退屈な話に、配達課員は立ったまま表情もなくモニターを見つめている。

 時おり欠伸をかみ殺しながらも、モニターの中のお偉いさんに向かってふむふむと相槌を打つラファエルを横目に見て、ミカベルはいつになく退屈しない出発式だな、と苦笑した。


 ビデオの再生が終わると、全員で社長であるに祈りを捧げ、いよいよ出発となる。

「アゴト、キルステン、今日は長い一日になるけど頼んだよ」

「私もいるわ。ふたりとも安心してお仕事に励んでちょうだい!」

 ミカベルとラファエルは二頭のトナカイの首元を抱きしめて言葉をかけると、橇に乗り込む。

 ミカベルが「はいやっ」と手綱を引くと、アゴトとキルステンはゆっくりと、そして徐々にスピードを上げながら、天界の空へ向かって走り出した。


 *****


「よかった。アゴトの赤鼻、ちゃんと光っているわ」

「橇同士の衝突事故があったらたまったもんじゃない。ラファエル、時々光量をチェックして、必要に応じてケアしてやってくれ」

「うん。わかってる。アゴトのために同行しているんですものね」


 天上界の空を高く高く、無数の橇が下界との境界に向かってひしめくように走っている。

 やがて青空が茜色になり、薄墨色を経て、暗い夜空となった。

 下界に突入したのである。


「わぁ。私、下界に来たの、エンジェルの時以来だわ。懐かしい空気ね!」

 下界特有の草いきれのような空気に撫でられ、ラファエルの亜麻色の髪が滑らかに流れる。

「まだ28年しか経っていないのに、もう懐かしむの?」

 ミカベルがからかうように笑う。

「だって、天界はいつも穏やかでほとんど変化がないでしょ?下界の目まぐるしさが新鮮に見えるんですもの」

「たしかに、下界では28年も経てば街並みも人間の暮らしぶりもだいぶ変わる。

 僕が担当するこの地域も、配達を始めた30年前よりもずっと豊かになった」


 ミカベルは、配達課に配属されて初めての年の配達を思い出した。

 30年前、この国はまだ土埃のたつ道が多く、狭い道に沿った建物も木造の粗末なものが多かった。

 人々の暮らしも一部を除いてはつつましやかで、子供たちの希望するプレゼントと言えば絵本やぬいぐるみ、ブリキのロボットなどが多かった。

 それが今では多くの道路がアスファルトで舗装され、ひしめきあっていた粗末な家々は再開発によって姿を消し、代わりに立派なビルディングがそびえるようになった。

 人々の暮らしぶりは豊かになった反面、ミカベルの目にはとてもせわしなく映る。

 子供たちへのプレゼントも、ゲームソフトやピカピカの自転車、豪華な洋服を着せられる人形などに変化した。


 社会が豊かになったことで、ここに住む人皆が豊かになれればいいのだけれど――。

 ミカベルは毎年最後に配達している、この国のとある区域を思い出した。

 そこに住む、小さな兄妹のことも。


 今年も彼らのプレゼントは用意されている。

 給付対象者リストに彼らの名前を見つけてほっとしたミカベルだったが、彼らに会うと毎年自分の心に小さな爪痕が残る。

 小さくて鋭い爪を心にぐっと押し込まれたような、じんじんと疼いてなかなか消えない傷の痕──。

 今年もまたその爪痕がつくのではないかと思い、ミカベルはラファエルが気づかないくらいの小さなため息を一つついた。


 ミカベルの橇は国境の小さな村に到着した。

 空にトナカイの橇とラファエルを残し、ミカベルは家々の壁を通り抜けて子供たちへプレゼントを配り歩く。


「へえぇ。そうやって、寝ている子供の枕元にプレゼントを置いていくのね」


 両親に挟まれて眠る二人の幼い兄弟の枕元にプレゼントを置いたとき、突然背後から聞こえたラファエルの声にミカベルはびくっと肩をすくめた。


「ラファエル!橇を降りたのか。アゴトは大丈夫なの?」

「まだ走り始めたばかりだし、調子は悪くなさそうよ。橇で待つのもヒマだから、何か手伝えないかなって思って」

 そう言いながら、ラファエルは固いベッドを二つくっつけて寝ている4人の親子に視線を落とす。


「人間て不思議…。

 私たちにとって父である主はただ一人なのに、人間はたくさんの家族に分かれている。

 人間は恋をするだけじゃなくて、結婚して子どもを産む。

 その子どもたちも、成長すればまた恋をして、父親や母親になって、新しい生命を育む。

 短い人生なのに、随分めまぐるしく生きるのね」

 ラファエルは久しぶりに見た下界の人間たちに、哀れみのような、慈しみのような言葉を向けた。


「そんな感傷にいちいち浸っていては仕事が捗らないよ。行こう」


 人間に必要以上に関心を持たない方がいい。


 それに、せっかく今晩はラファエルと一緒に仕事ができるのだ。

 できるだけ配達を早く済ませて、のんびりと二人の時間を楽しみたい。

 ミカベルは人間をじっと見つめるラファエルの背中をぽんぽんと叩いて家の外へ出た。

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