第2話 トナカイ飼育場にて
ミカベルとサキクルはエレベーターで1階に降り、N棟を出てトナカイ飼育場へ向かう。
12月とはいえ、常春の天界は年末の慌ただしさを感じさせないのどかな陽気である。
常に新緑の木々は、枝いっぱいに広げた葉の隙間から木漏れ日と共にそよ風を通し、色とりどりに咲き誇る花はほのかな芳香を漂わせて歩く者の鼻腔をくすぐる。
「N棟から一歩出ると随分のどかなもんですね」
「煮詰まったらこうして外を歩くのもいいい気分転換になるだろう」
外の空気を吸って伸びをしたミカベルが、白い雲がゆっくりと流れる青空に視線を向ける。
「入社時にエンジェルの羽を返納しなくてすめば、今でも空を飛べてもっと気持ちよかったんでしょうけどね」
「僕たち社員の業務に羽は必要ないからね。
なぁに、大天使に昇格すればもっと大きな羽が支給されるさ」
こともなげにさらりと言ってのけるサキクルに、ミカベルは苦笑まじりに答える。
「サキクルさんみたいな有能な社員ならその可能性もあるんでしょうけどね。
僕はどうせ定年まで勤めあげたら、またエンジェルに転生ですよ」
会社勤めが嫌いなわけじゃない。
配達課の仕事もそれなりにやりがいは感じている。
けれども、ミカベルにはこの仕事が自分の天命であるという確信が今ひとつ持てないのだ。
だから、この時期に業務が忙しくなればなるほど、自分の中の違和感が大きくなってくる。
けれどもエンジェルを卒業した天使は、皆こうやって社長である
与えられた仕事には誠意を持って取り組まなければ──。
天界の民の窓口がある本館の裏を通り、雑木林を抜けると、グレーの平屋根をのせた第三トナカイ飼育場が見えてきた。
「お疲れさまでーす」
ミカベルとサキクルが飼育場に入ると、放牧場につながる小屋を箒で掃いていた若い女性社員が顔を上げた。
「ミカエル!」
亜麻色のくせっ毛をふんわりと揺らし、ミカベルを見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ラファエル。お疲れさん」
ミカベルは柔らかい微笑みを返しながら、ラファエルの頭にぽんと手をのせる。
ミカベルを見上げてはにかむ彼女の表情は恋する乙女そのものだ。
「あ、サキクルさんもお疲れさまです」
取ってつけたようなラファエルの挨拶に、サキクルがくすりと笑いをもらす。
「さっそく彼女のお出迎えか。お邪魔な僕は先にトナカイ達のところへ行っているよ」
サキクルは二人にウインクをすると、放牧場の方へ出て行った。
ミカベルとラファエルは照れくさそうに顔を見合わせ、ふふっと笑う。
「ミカエル、最近残業続きで忙しいでしょう? 会えてうれしい」
素直なラファエルは頬を桃色に染めながらミカベルの腕に絡みつく。
「ごめん。クリスマスが終わるまではなかなか時間取れなくて。
クリスマス終わったらゆっくりデートしよう?」
ミカベルは周りの社員に見られることを気にして、そっとラファエルの腕をほどく。
ファーストネームで呼び合うのは、恋人同士の特権だ。
天使のファーストネームはバリエーションが限られているので、混乱を避けるために社内ではフルネームの略称で呼ばれるのが通例である。
彼女、ラファエル・ポワティエは、ミカベル以外の社員には”ラファポワ”と呼ばれている。
「ラファエル、アゴトとキルステンの調子はどう?」
二人はミカベルの橇引きを担当するトナカイの様子を見るために、放牧場へ向かって歩き出した。
「それが…。キルステンは調子いいんだけど、アゴトの食欲が落ちてるの。
赤鼻の光り具合も良くないし」
「そうか…。アゴトはもう歳だから、そろそろ引退を考えた方がいいかもしれないな。
赤鼻が光らないとなると、飛行安全上問題にもなるし」
「そうね。とにかくミカエルがアゴトを見た上で、若いトナカイと交代させるかは課長に相談した方がいいと思うわ」
見渡す限りの草原となっている広い放牧場には、数百頭のトナカイがのんびりと寝そべっている。
この中で自分のパートナーであるトナカイを見つけるのは一見至難の業のように思えるが、そこは天界。
配達員と信頼関係を結んだトナカイは、配達員の姿を認めると自ら歩み寄ってくるのだ。
サキクルの元にはすでに彼のパートナーである二頭のトナカイが寄り添って、サキクルとスキンシップをとっている。
ミカベルが「アゴト!キルステン!」と呼ぶと、遠くで寝そべっていた二頭のトナカイが首をもたげ、ゆっくりと立ち上がり歩み寄ってきた。
「お前たち、元気にしていたか?」
ミカベルが手を伸ばすと、二頭のトナカイは頭を下げて焦げ茶色の大きな角を差し出す。
両手でそれぞれの角の付け根を撫でてやると、二頭とも気もち良さげに目を細めた。
ミカベルはトナカイの全身の状態を確認しながらスキンシップをとった後、アゴトの鼻先を両手でそっと包み込み、手のひらで影を作った中をのぞきこんだ。
「確かに、アゴトの鼻の光り方が弱くなっている気がするな」
「でしょう?体力が少し落ちてるんじゃないかと思うの。
一晩じゅう橇を引くのはきついんじゃないかと思うんだけど…」
ミカベルとラファエルは膝をかがめてアゴトの目を見つめた。
「アゴト…。残念だけど、今年はお前、橇を引かない方がいいんじゃないか?」
ミカベルの問いかけに、アゴトは悲しげにグウッと鼻を鳴らして、顔をそむける。
「ミカエルと仕事したい気持ちはわかるけど…。あなた、ケガでもしたら歳も歳だし歩けなくなるかもしれないのよ?」
ラファエルの言葉にも、アゴトは視線を反らしたまま、抗議するかのように前足で土をかく。
ミカベルはやれやれといった苦笑いを浮かべた。
「どうやらアゴトは今年はまだ頑張るつもりらしいね。
僕としても30年連れ添ったパートナーだから、彼女の心意気を無碍にするのは心苦しいよ」
「そうね。アゴトの体調は心配だけれど、ミカエルの気持ちもわかるわ。じゃ、うちの課長に相談してみましょうか」
「そうしよう。アゴト、キルステン、また来るよ」
ミカベルは二頭の首元の豊かな毛の間に掌をうずめて撫でると、二頭に手を振って飼育課の事務所へ向かった。
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