女神の櫛

一視信乃

女神の櫛

 1月3日。

 二宮に住む由比ゆ いちゃんと箱根駅伝を観たわたしは、その足で大磯にある六所神社へと向かった。

 そこの縁結びのお守りが、どうしても欲しかったからだ。

 国道沿いに立つ赤い鳥居を潜り、道を横切る東海道線の架道橋を抜けた先にある神社は、大きな木が多い割に明るくて、とても賑わっている。

 入ってすぐ、参道の両側は池で中にほこらがあり、右の池の隣には手水ちょうず、その横に破魔矢などを売るテントが見える。

 お守りもあそこで買えるんだろうけど、まずは神様へご挨拶あいさつしないとね。

 おお注連し めなわが掛かった拝殿にしっかり手を合わせてから、わたしたちはテントを覗いた。


「あ、あったよ。ひかり


 由比ちゃんの目線の先には、鈴と紐が付いた小さな月形の櫛が並んでいる。

 それが、欲しかったお守り――湯津ゆ つ爪櫛御守つまぐしおまもりだ。

 実はこれ、ただの縁結びのお守りではない。

 なんでも、祭神であるくし稲田な だひめが、怪物八岐大蛇やまたのおろち生贄いけにえになるところを須佐す さ之男命のうのみことに救われ、その妻になるという日本神話に由来するものだそうで、このとき命は姫を櫛に変えて髪にし、その櫛が命に力を与え、見事大蛇を退治することが出来たとか。

 だから、女性が身に付けると、良縁の道が開かれる他、様々な災厄から守ってもらえたりするらしい。

 そして、女性が男性に真心こめて贈れば男性に困難打開の道が開かれ、男性が女性に贈る場合は『かけがえのない大切な女性』の証となるなんて、なんか素敵。

 いろんな色の紐があって迷ったけど、おめでたそうな紅白のものにした。


        *


「買えてよかった。付き合ってくれてありがとね」


 二宮まで戻り、由比ちゃんと別れたわたしは、神社でいただいた福を落とさないよう、真直ぐ家へと帰る。

 電車とバスを乗り継ぎ、家の近くまで来たとき、前から走ってくる人影が目に入った。

 黒いジャージを着た背の高い男子。

 嘘っ! あれって、ながくんじゃない?

 同じクラスの長門秋芳あきよしくん。

 中学のときから、ずっと好きな人。

 冬休みの間、一度も会えなかったのに、こうして会えるなんて夢みたい。

 もしかして、もうお守りの効果が?

 ドキドキしつつ見つめていると、向こうもこちらに気付いたようだ。


「よう、おう。明けましておめでとう。散歩か?」

「ううん。箱根駅伝観てきた帰り」

「わざわざ行くなんてよっぽど好きなんだな。そういやうちの練習もよく観てたっけ」


 お目当ては、陸上部じゃなく長門くんだけどね。


「そっちは何してるの? ランニング?」

「ああ。実は再来週の日曜にある市の駅伝に、急に出ることになってさ。チームの足引っ張んないよう、特訓してるってわけ」

「そっか、大変だね」


 わたしに何か出来ることないかな。

 そう思ったとき、チリンと微かに鈴の音が聞こえた気がした。

 ひょっとしてお守りの鈴だろうか。

 そういえば、あれには確か――。


「あげる」


 わたしは、神社の袋に入った湯津爪櫛御守を、彼に差し出した。

 何の迷いもなかった。


「何? お守り?」


 彼は受け取り、袋を覗く。


「『女性災禍除』って、書いてあるけど?」

「そうだけど、それには櫛稲田姫の霊力がこもってて、困ってる男性に贈ると、困難打開の道が開かれるんだって」

「へー」


 お守りをしげしげと眺める彼を見ているうちに、なんだか無性に気恥ずかしくなってきた。

 だって、今まで何かをプレゼントしたことなんてなかったし。

 ああ、ダメ。

 意識し出したら、顔がほてってしまうわ。


「そういうわけだから、頑張ってねっ」


 なんとかそれだけいって、その場を逃げ出した。


        *


 それから一度も彼に会わないまま冬休みは終わり、その後も接点のない状態がずっと続いている。

 お守りを手放したから、開きかけた良縁の道も閉じてしまったのかな。

 駅伝も応援に行きたいけど、他に知り合いが出るわけでもないから行きづらいし。

 そうこうするうちに当日となり、わたしは散々迷った挙句、観に行かなかった。

 行けなかった。

 そして翌日、もやもやしたまま登校したわたしは、昇降口でばったり出くわしてしまった。

 学ラン姿の長門くんに。


「周防、昨日来なかったな」

「あ、うん」

「オレたち3位だったぜ。優勝は無理だったけど、チーム最高順位だって」

「すごい。おめでとう」


 しかし、彼はあまり嬉しそうではなかった。

 むしろ、どこかぶっきらぼうで不機嫌そうだ。

 もしかして、怒ってる?

 続く沈黙に戸惑っていたら、突然何かを突き付けられた。

 これって、わたしがあげた神社の袋?

 受け取って中を覗くと、湯津爪櫛御守が入っている。

 えっ、何?

 もういらないから返すってこと?

 本当は迷惑だったってこと?

 意図が掴めず、お守りを凝視していると、何か違和感を覚えた。

 あれ、紐の色が違う?

 紅白のを買ったはずが、この紐は赤い。

 まるで、運命を繋ぐ糸のように。


「これ?」

「お礼だよ、お守りの。あれ、駿するに見られてさ。そしたら、周防がすごく欲しくて買いに行ったのだっていうから、同じの買ってきて貰ったんだ」


 そっか、お礼か。

 しかも由比ちゃんが買ったのだなんて。

 ふたりが、そんなやりとりするほど親しいとは知らなかった。


「ありがと。でも、これを女のコに贈ると大切な人の証になるそうだから、誰彼構わず贈ると誤解されちゃうよ」


 ちょっと嫌味っぽくいってやると、彼はねたようにそっぽを向く。


「知ってるよ。つか、誤解じゃないし」

「えっ?」

「本当は昨日来てくれたら、そのお礼に渡そうと思ってたんだけど、来ないし」

「ゴメン」


 素直に謝ると、彼は真直ぐこちらを見た。


「いいよ、謝んなくて。約束もしてなかったし、ただオレが、勝手に期待してたというか、来て欲しいと思ってただけなんだから。それで、その、もしまた何か出るときは……」

「行くっ! 絶対応援行くからっ!」

「おう。約束な」


 相好を崩した彼に釣られたかのように、わたしも笑いが止まらなくなる。

 これも、湯津爪櫛御守の、櫛稲田姫のご神徳のお陰だろうか。

 とりあえず、もう少し暖かくなったら、お礼参りに行こうと思う。

 今度は、長門くんとふたりで。

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女神の櫛 一視信乃 @prunelle

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