最終回 俺、死ぬ!(二回目)

 徳河家康となった俺に待っていたのは、飛躍ではなく忍従の日々であった。

 遠江を獲得したのはいいが、信長の手伝い戦もせねばならず、対等の連合も信長の力が強くなればなるほど、従属に近い形になりつつあった。金ヶ崎の退き口では、信長の為に殿軍を務めたほどである。

 三方ヶ原では、あの武田信玄とも戦った。

 素通りさせる。その選択肢もあったが、史実ルート順守という俺の方針が、攻撃という選択肢を取らせた。

 おりしも、開戦当日は下痢だった。体調不良ぐらいなんぼのもんじゃい! と、思ったが、気が付けば糞をまき散らしながら、俺は逃げていた。そして俺は、史実に従い自画像を描かせた。

 武田信玄、恐るべし。現世ではその能力を疑問視する声もあるが、そうした奴は逆行転生して手合わせするといい。



 暫くして、俺の前に目障りな存在が現れる。

 瀬名の憎しみを一身に受けて育った、嫡男・信康である。

 俺は、ずっと信康を疎んじてた。それは、この精悍な青年に対し、我が子という感情は無かったからだ。家康に転生した時には生まれていて、秀忠や秀康などの実子とは違って、他人のガキにしか思えないのだ。

 その信康が、何かにつけ俺に進言した。

 信長を殺せ。秀吉を殺せ。武田や上杉と同盟しろ云々。全て、史実から逸脱するものである。

 俺は、適当にあしらっていた。どうせ信康は武田に内通し、信長の命令で腹を切るのである。しかし信康は、自らの派閥を構築し始めた。しかも、築山に幽閉状態の瀬名が協力しているのである。

 それでも、俺は耐えた。出来るならば、子殺しの汚名を被りたくない。それに史実ルートは順守だ。

 だが待てど暮らせど、信長からの切腹命令は来ない。仕方なく俺は、信長にそれとなく情報を流した。信康と瀬名に、武田への内通の疑いがあると。

 発案者は、帰参した本多正信。この謀略が初仕事だった。

 すぐに、切腹命令は届いた。そら来たと、俺は膝を打った。瀬名は野中重政のなか しげまさに命じて小藪村で殺害し、信康は二俣城に幽閉した。

 切腹前夜、俺は忍んで信康に会った。陽も入らぬ座敷牢である。精悍な信康はやつれ、家康の目を見ようともしなかった。

 そこで、信康はこう言った。

「結局、史実通りにしかならないのか。面白くないな……」

「何だと?」

「ふふ」

「お前、まさか」

 俺は発言の真意を訊いたが、顔を上げた信康は冷笑を浮かべただけで何も応えず、翌日腹を切った。




 幾多の月日が流れた。

 本能寺で信長が殺され、後を継いだ秀吉も死に、俺は関ケ原の戦いを迎えた。

 史実ルートに沿えば、勝てると信じて準備を進めた。秀忠に上田城に構わずに来いとも命じれたが、本戦に間に合わせた場合、どう歴史が変わるのか判らないので何も言わなかった。

 主力抜きの本戦。石田勢の猛攻。中々行動しない小早川勢。中央突破した島津勢。史実通りに事は進み、俺は勝利した。

 この頃、俺は〔ある想い〕が強くなっていた。

 それは、

「徳河家、そして江戸幕府を永遠のものにしたい」

 というものだ。

 長年共に暮らし、家族や家臣への愛着は、史実ルート順守よりも強くなったのだ。

(どうせ、現世へは帰れまい……)

 それに、もう俺は老いた。そして、現世では得られなかった、絆と愛情が戦国ここにはある。

 俺は史実を変える決断をした。

 捕らえた、石田三成は斬首。

 三成は某ドラマの影響で好きになった男で、是非とも幕閣の列に加えたかったが、ここで殺さねば大坂の陣でえらい事になりそうだと心を鬼にした。また、後に大坂方へ加わる武将を少なくする為、長宗我部盛親や毛利勝永などを救済したが、真田昌幸と信繁親子の帰順だけはどうにもならず、仕方なく九度山へ幽閉した。

 次に、いずれ江戸幕府を倒す存在になる、薩長土肥の解体に着手した。

 下手をすると豊臣へ押しやる事にもなるが、このタイミングを逃しては、後の禍根へメスを入れる事は出来ないのだ。

 まず毛利輝元は改易。吉川家は岩国、小早川家は筑前に残し、毛利秀就もうり ひでなりは旗本へ加えた。毛利秀元もうり ひでもとは、大内家の支流である山口重政を大内姓を名乗らた上に長門で再興させ、その家臣とした。大内を再興させたのは、単なる俺の趣味だ。なお、陶の家門も復活させた。

 山内一豊は東北に転封。鍋島直茂は、龍造寺高房を村中藩主として肥前に戻し、その家臣に戻した。龍造寺が大名に戻りたいというので、その望みを叶えたのだ。直茂は驚いたようだが、俺の前では何も言わなかった。

 そして、一番の問題の島津。正信とも話し合ったが、島津は攻め滅ぼし地上から消すしかなかった。

 加藤清正・福島正則・立花宗茂・黒田長政らに命じて、島津討伐を実行。ゲリラ戦術と焦土作戦に苦戦し、まるでベトナム戦争のような泥沼の戦いであったが、幕府軍は何とか島津に勝利。その残党は国外に逃亡したが、さしあたり薩摩から消えてくれればそれでいい。

 薩摩・大隅を加藤清正に任せ、薩長土肥の解体は終了した。




 残るは豊臣。

 だが、人生の黄昏は近付いていた。

 俺は、秀忠に向け幕府は今後どうするべきか書き残していた。

 いわば、未来への指南書。予言の書。

 まず、朝廷の力を弱める事。その手始めに、令制国の改定。そして、江戸への遷都。田沼時代を迎える一六〇年後には、前倒して開国。幕藩体制を廃止し、幕府主導の近代化を図る事。最後に、何があっても朝廷に政治介入させるなとも書いた。

 どこまで理解できるか判らないが、俺は今後の指針を命の限りに書いた。

 そして、元和二年。病に倒れた俺の枕元に、ある男が訪ねて来た。

「お前は……」

 松平忠輝である。この六男は、あの信康に瓜二つで、嫌でも思い出すので冷遇していたのだ。

「父上」

「お前の顔など見とうない」

 すると、忠輝は冷笑を浮かべた。あの時の信康の顔が、脳裏に浮かんだ。

「一言、父上にお伝えしたく」

「なんじゃ」

「私も父上や信康兄上同様、未来からの転生者でございます。ただ私は信康兄上と違い、歴史を変える事に興味はございませぬ。しかし父上も信康兄上と同じで、歴史を変える誘惑には勝てませんでしたな。まるで、アダムとイヴが禁断の果実を齧ったように……。しかし、それが父上が転生した理由だったかもしれませぬ。誰かが先に転生し、徳河を徳川へと変えた史実を変える為に」

 そう言うと、忠輝は平伏し辞去した。

 残された俺は呆然とした。

「信康だけでなく、あやつもだったか……」

 それから暫くして、世良田として生まれた俺は、徳河家康として死んだ。

 それは、本当の死であった。


<了>

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転生者徳河家康~人生詰んだ俺が、神君に転生したようです~(オリジナル全長版) 筑前助広 @chikuzen

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