恥物語 ~秋幡辰久編~

 あれは失敗だった。

 日本では春先の頃か。アルプス山脈のモンブラン山に居を構えるはぐれ魔術師を懲罰した時の話だ。

 簡単な任務で終わるはずだった。

 さっさと終わらせて、久々の連休を使って今年高校に進学した息子をおちょくり――もとい祝いに日本へ帰るつもりだった。

 それがまさかあんなことになるとは……。


 まったく、誰得だよという話である。


        ∞


「バティスト・カステレード?」

 えんやこらと雪山を登る三つの人影があった。そのうちの一人、分厚い防寒具の上からでも積極的に主張するバストを持った緑髪の女性が問いかける。

「誰それ? カステラ職人?」

「いやいや、ちょっぴりヤンチャが過ぎる魔科学者さ。ずばり今回の標的(ターゲット)だぁね」

 答えたのは真ん中を歩く無精髭を生やした中年男――秋幡辰久だった。冴えないおっさんにしか見えないが、これでも世界魔術師連盟が誇る大魔術師の一人である。

「……錬金術師ですか?」

 そう訊いてきたのは、燃えるような赤髪を後ろでツインテールに結った少女だった。辰久は否定の意味で首を振る。

「んにゃ、分類は似てるけどそうじゃねえのよ。錬金術はほら、アレだアレ。で、魔科学ってのはこれがそーでそうなわけよ。うん」

「ボスぅ~、それじゃ全然説明になってないんだけどぉ~?」

「……わかりました」

「わかったの!? え? ウェルシュさ、今の超絶テキトー説明でなにを理解したの!?」

「ヴィーヴルはわかっていないようですので、ウェルシュが教えてあげます」

「なんて上から目線!? くっそ悔しいんだけど」

「いいですか? 錬金術と魔科学は違うのです」

「あー、うん、そこはわかったよ流石に」

 無表情を器用にドヤ顔にして語る赤毛の少女に、緑髪の女性はげんなりと肩を落とした。

 ヴィーヴルとウェルシュ。

 彼女たちは人間ではない。

 幻獣と呼ばれる、隣接する世界からこの世界に召喚された存在だ。神話や昔話、または聖書や小説など、幻獣について様々な伝承が世界中に残されている。

 ヴィーヴルはフランスに住まう宝石の瞳を持つドラゴンとして、ウェルシュはウェールズ人が象徴とする赤き竜として伝わっている。

 そんな強力なドラゴン族の幻獣二体と契約している秋幡辰久は、グッと親指を立ててウェルシュにウィンクした。

「さっすが俺の懐刀。伝えたかったことを完璧に理解してくれておっさん嬉しいぞ」

「マスターに誉められました。えへへ」

「もーやだこのバカップル! ねえ、私帰っていい? この前発売した日本のRPGやりかけなんだけど? セーブポイントまで行けなくてつけっぱで出てきたんだけど?」

 やる気なさげに嘆き始めたヴィーヴルに、辰久はやれやれと溜息をついて先程の詳細を語る。

「まあ錬金術ってのは文字通り金を生成したり、不老不死を求めたり、最終的に帰結する明確な目的があるもんよ。んで、魔科学はその辺りが曖昧でね。進歩することが目的って感じで果てがないわけ。ていうか、普通の科学に魔術を組み合わせちゃった的なアレよ。燃料の代わりに魔力で走る車作っちゃったりとか。錬金術はエリクサーとかそういう――」

「なんとなくイメージできたからもういいよ、ボス」

 ぐだぐだした説明が長々と続きそうだったのでヴィーヴルは途中で打ち切らせた。

「魔科学者ってのはいいんだけどさ、そいつ、私らが出撃しないといけないくらいやばい奴なん? ボス一人で充分じゃないの? もしくは寒さに強いフェンリルの奴にでもやらせればよかったんじゃない? ぶっちゃけ、私ら火竜にとって寒さはちょっと苦手だってボスも知ってんでしょ?」

 雪山に入る前から疑問に思っていたことを口にするヴィーヴル。

「うんまあ、おっさん一人でも事足りる相手だな」

「じゃあなんでさ?」

 口を尖らせるヴィーヴルに、辰久は答えようかどうか少し迷い、照れ臭そうに頭を掻きながら白状した。


「いやぁ、火竜の女の子に挟まれてたら温かいかなぁ、と」


 プチン。

 ヴィーヴルの額から変な音が聞こえた。

「よし、帰ろウェルシュ。こんなエロ親父なんて雪山に放り捨てて家でゲームしよ三週間ほど」

「ちょ、自分のボスをエロ親父扱い!?」

「帰るのでしたら、ヴィーヴル一人で帰るといいです。ウェルシュは任務を遂行します」

「ウェルシュに裏切られた!? 今の問題発言聞いてたよね!? そんなくっだらない理由で私らのHIKIKOMORIライフが奪われてるんだよ!?」

「……ウェルシュは引き籠りではありません」

 ヴィーヴルの主張を風に流し、ウェルシュはザクザクと一定速度で雪の登り坂を進んでいく。と、すてんと転んで見事な人型を雪の斜面に形成した。

「……冷たいです」

「ほらほら、ウェルシュ。おっさんみたいにちゃんと足下注意して歩かないからそんな風に転んで――おっ?」

 雪に埋もれたウェルシュを救出しようと向かった辰久だが、同じようにバンザイのポーズで転倒するのだった。

「……マスター、なんだか眠くなってきました」

「いんじゃない? おっさんも雪山登り疲れたし~」

「いいわけないでしょ死ぬよあんたら!?」

 倒れたまま動き出す気配のない二人をヴィーヴルは無理やり引っ張り起こした。辰久はぼけーっとした表情でヴィーヴルを指差す。

「お母さん?」

「誰がお母さんだ有給寄越せ!?」

 全力でツッコミを入れるヴィーヴルだった。

「くぅ、私はダメな子でいたいのに……なんでこの二人相手してるとしっかりしないといけない気分になるんだ……」

 頭を抱えるヴィーヴルは防寒具についた雪を叩き落としている二人を睨む。

「ほらさっさと仕事済ませるよ」

「は~い」

「……了解しました」

 三人は雪山のさらに奥へと登っていく。


        ∞


「実は既に先遣隊を送ってたりするんよ」

 標的のアジトらしい洞窟の前に到着した時、辰久の口からヴィーヴルたちにとって初耳の情報が伝えられた。

「そんな話、ひとっつも聞いてないんだけど?」

「そりゃあ当然だ。訳あって秘密にしていたんだからな。敵を騙すには味方からなんてよく言ったものだはっはっは」

「本当は?」

「言うの忘れてた。てへぺろ♪」

 明後日の方向に視線を向けてペロリと舌を出す今年四十一歳男性。

「ヴィーヴル落ち着いてください。炎が漏れています」

「止めるなウェルシュ! 私たちの安穏としたHIKIKOMORIライフのため、ボスには死んでもらう!」

「ですからウェルシュは引き籠りではありません」

 両手の先からボワボワと赤い炎を散らすヴィーヴルの腰に、ウェルシュががっしりとしがみついた格好だった。

「おっ? いたいた、先遣隊の一人発見! おーい!」

 がるるるるぅ、と猛獣のように唸るヴィーヴルを余所に、辰久は洞窟の中に立っていたフード付きローブの魔術師へと歩み寄った。

 洞窟の中はかまくらのような寒さ避けの結界が張られているようで、防寒着のままだと暑いくらいに外との気温差がある。辰久たちはとりあえず防寒着を脱ぎながら、先遣隊の魔術師から現状を聞くことにした。

「私以外、全滅してしまいました」

 さっそく最も聞きたくなかった情報が先遣隊の魔術師から伝えられた。

「……殺されたのか?」

 辰久は先程までのおちゃらけた空気を撥ね飛ばし、深刻な口調で訊ねる。先遣隊の魔術師は少し言いにくそうに、

「いえ、殺されてはいませんが……」

「まさか閉じ込められてるとか?」

 ヴィーヴルが訊き返す。だが、先遣隊の魔術師は首を横に振ってそれを否定し、真相を告げる。


「馬鹿になってしまいました」


「「「は?」」」

 三人のマヌケな声がハモったことは言うまでもない。

「今、彼らと無線が繋がっているのですが……聞けばわかります」

 そう言って先遣隊の魔術師はローブの懐から黒いトランシーバーを取り出し、辰久に手渡した。三人はそのトランシーバーに聞き耳を立てる。


『小さいおっぱいは至高だぁーっ!!』

『貧乳はステータスだぁーっ!!』

『ブラの存在ない時代だと巨乳は垂れるから美しくないとされた。俺はその時代で生まれ変わりたいッッッ!!』

『B以上は乳とは認めん!!』

『幼女がいいのではない。ちっぱいがいいのだ!!』

『ちっぱいイェーイイェーイ!!』

『ちっぱいイェーイイェーイ!!』

『ちっぱいイェーイイェーイ!!』


 そこからは男たちの痛々しい叫び声が延々と繰り返されていた。

「……」

「……」

「……」

「なんなのよ、彼ら? ちっぱいちっぱいって」

 思わず無線を切った辰久は、嫌な汗を垂らしながら言う。

「おっぱいに大きさは関係ないだろうがぁあっ!!」

「お前も馬鹿かっ!?」

 バシン!! と辰久はヴィーヴルに後頭部を思いっ切り引っ叩かれて地面と熱烈なキスを交わした。

「それで、えーと、どうしてこうなった?」

 困ったような顔をしてヴィーヴルはこめかみをつつく。たとえ内に秘めた人には言いにくい趣向が暴走しているとしても、彼らは連盟の魔術師だ。ここまでトチ狂ってしまうのはなにかしら魔術的な影響が「うえ~ん、ウェルシュ~、ヴィーヴルがぶったぁ~」「いい子いい子です、マスター」「黙れよそこ!?」

 とりあえず辰久はヴィーヴルにあと十回ほど殴られるのだった。

「ほ、ほえで? どうひてこうなっへるの?」

「え、えっと、スズメバチの巣に顔を突っ込んだみたいになってますけど大丈夫ですか?」

「らいじょーぶらいじょーぶ」

 先遣隊の魔術師はこう思っているだろう。『この人本当に大魔術師?』と。

「敵の罠にはまり、魔改造されてしまったようです。そ、その、ひ、貧乳のこと以外の思考パターンを持たないような改造を」

 言葉を詰まらせながら告げる先遣隊の魔術師。彼女は女性であるため詳細を口にするのに抵抗があるのだろう。

「くっ、おのれパティシエ・カステラードめ、俺の部下になんて恐ろしい改造を……」

「マスター、『バティスト・カステレード』です」

「自分で私らに伝えた敵の名前くらいちゃんと覚えようよボスぅ~」

 先遣隊の魔術師はこう思っているだろう。『本当にこの人に任せて大丈夫なのだろうか?』と。

「とにかく、標的をただ叩き潰して引っ捕らえるだけの単純な話じゃなくなったわけだ」

 部下たちを元に戻してもらわなければならない。叩き潰すにしても手と頭が正常に動く程度には加減もしなくてはいけないようだ。

「あんたはここで待ってな。あとは私たちがどうにかするから」

「あ、はい。承知しました。罠にはくれぐれもお気をつけください」

 先遣隊の魔術師は整った礼をヴィーヴルに対して行う。

「あれ? ちょっちヴィーヴルさん、命令下すのっておっさんの役割なんだけど」

「いや、ボスだと『パンツ見せろ』とか言い出しそうだったから」

「やめておっさんの評価をこれ以上ヘンタイにしないで!?」

「……お腹減りました。カステラが食べたいです」

 そんなぐっだぐだな調子で洞窟の奥へと進んでいく彼らを、先遣隊の魔術師はとても不安そうな顔で見送るのだった。


        ∞


 そして見事に罠にハマるのだった。

「穴は落ちるためにあると思うんだ」

「だからってなんで私らがボスの道連れになんなきゃいけないの!?」

 洞窟の奥にはメカメカしい巨大な扉があった。押しても引いてもビクともしなかったので破壊しようと試みたところ、突然辰久の足下が抜けたのである。咄嗟に辰久はウェルシュとヴィーヴルの足を掴んでしまったのだが……反射的だったので許されるべき。

 そしてスライダーのような斜面を数十秒間滑ると、そこは堅牢な檻の中へと繋がっていた。

「ちっぱいイェーイイェーイ!!」

「ちっぱいイェーイイェーイ!!」

「ちっぱいイェーイイェーイ!!」

 対面の牢屋の中ではローブ姿の魔術師たちが大変愉快な叫び声を上げてフィーバーしている。一応、捕まった状態だったらしい。

「実際目の前で見ると、すんごい異様な光景だよね、アレ」

「なんだか段々と苛立ってきたんだけど、私」

 片眉をピクつかせながらヴィーヴルは豊満な胸を強調するように腕を組んだ。

「どうしよう、あいつら喰い殺してもいいかな?」

「いやいやヴィーヴルさん、あんなんでも俺の部下だからさ」

「ごめんボス、妙に納得した」

「どゆこと!?」

「……カステラ食べたいです」

 牢獄の中に閉じ込められたというのに、緊張感の欠片もない三人だった。

 と――

「大変であります隊長!! 巨乳が現れました!!」

「なんだと!? 人類の敵ではないか!? ただちに消滅せよ!!」

「大変であります隊長!! 出られません!!」

「なんだと!? このまま敵を見過ごすしかないというのか!?」

「大変であります隊長!! 巨乳と同時に我らが神も現れたようです!!」

「なんだと!? ふおおっ!? あの赤毛ツインテールの娘か!! 確かに素晴らしいステータスの持ち主だ!! ただちに崇めよ!!」

「おっさんはどうします?」

「おっさんは知らん」

 対面の牢屋が形容しがたい禍々しいオーラに包まれた。全員が悪魔を見るような目でヴィーヴルを、天使を見るような目でウェルシュを見ている。辰久はアウト・オブ・ガンチュー。

「うっは、やばい本気で喰い殺したい」

「……むー、ウェルシュ小っちゃくないです」

「どうせおっさんなんて……おっさんなんて……」

 ヴィーヴルは牙を剥き出しにして檻を掴み揺らし、ウェルシュは心なしムスっとした顔で自分の胸を寄せ、辰久は隅っこで蹲ってひたすら『の』の字を書いていた。


「はっはっはっは! 随分と滑稽な姿じゃないか、秋幡辰久」


 コツコツと上階へと続く階段から何者かが下りてきた。そいつは耳うるさく高笑いしながら辰久たちの牢の前で立ち止まる。

「これが連盟の大魔術師だなんて、君は僕の腹筋を崩壊させにきたのかい?」

 バタークリームのような髪色をした青年だった。薄汚れた白い研究衣に縁なしメガネ、端正な顔の青い瞳は辰久を馬鹿にしたような愉悦で歪んでいた。

「お前さんは……パティシエ・カステラード!」

「バティスト・カステレードだ! わざとらしく間違えないでもらおうか!」

 取り乱して叫んだバティストは、コホン、と咳払いをして再びその表情に不適な笑みを貼りつける。

「捕らわれの気分はどうだ? 君さえ排除できれば、僕の計画はよりスムーズに進行する。そのまま大人しくしていてもらおうか」

「計画? こんな山奥に引き籠って、修行でもしてるわけ?」

 と、自称引き籠り・ヴィーヴルが問いかける。するとバティストは下品な物でも見るような目でヴィーヴルを睨んだ。

「黙れ化けおっぱい!」

「ば、化けお……なんだって?」

 自分がなんと罵られたのか理解したくなくて、ヴィーヴルは訊き返した。だがバティストは無視して計画を語る。

「僕の計画が成就すれば、たとえそこのどうしようもない化けおっぱいだろうと縮む。縮む縮む縮む! 世界は貧乳で溢れる! なんてパラダイス!」

「ダメだこいつヘンタイだ!?」

「……ヘンタイです」

「おっさんのヘンタイ度なんてまだまだ可愛いもんだとわかったね」

 唖然と口を開ける三人を見下し、バティストは狂気に顔を歪ませる。

「だから邪魔はさせないぞ秋幡辰久。そして喜べ、貴様にもあいつらと同じ魔改造を施してやる。そこの化けおっぱいは我が魔科学実験のモルモットとしては丁度いいサンプルだ。崇高なる世界の生贄となることを誇るがいい。はっはっはっは!」

「……ウェルシュは?」

「一緒に食事でもどうかね?」

 貧乳ウェルシュには紳士然と頭を下げるバティストだった。

「最高級のカステラを用意しよう」

「じゅるり……」

「じゅるり、じゃないからウェルシュ!? 誘惑に負ける時はゲームする時だけだよ!?」

 それもどうかと思いながら辰久は隅っこから立ち上がった。表情を仕事モードに切り替え、バティストと対峙するように前に出る。

「悪いけどそんな世界にされるわけにはいかんのよ。いろんな大きさがあるから素晴らしい! 大きいのはいいことだ。小さいのもいいことだ。大きくもなく小さくもないのだって当然いいことだ。お前の偏った趣向しかない世界には決して変えさせやしない!!」

「いやボス真面目な顔でカッコイイこと言ってるみたいだけど内容カオスだよ!? 最初の一文だけでよかったよ!? ていうか誰かツッコミ役代わってめっちゃ疲れる!!」

 横で息を切らせるヴィーヴルに辰久はサムズアップする。その目が言っていた。「お前は最高だ」と。

「止められるものなら止めてみるがいい。そこに閉じ込められた時点で君の負けだ。その檻がただの檻ではないことは既に悟っているだろう? 我が魔科学の粋を結集させた完全衝撃拡散型の檻だ。耐熱耐水耐風耐地も当然完備。核ミサイルをぶち込まれても破壊は不可能だ。はっはっは!」

「ふぅ~ん、へぇ~、そう、よかったね」

「あぁ?」

 白けた返事をした辰久は、バティストが眉を寄せるのを尻目にウェルシュの肩へポンと両手を置いた。

「んじゃウェルシュ、頼むぞ」

「……了解しました」

 コクリと頷いたウェルシュは檻の前に立ち――ボワッ。その両手に真紅の炎を宿した。そして「馬鹿が。耐熱仕様は完璧だと先程――」となんか言いかけていたバティストの目の前で手刀を振るう。

 まるで伸び切った麺を包丁で裂くように檻は焼き切られた。

「ホワッツ!?」

 目玉が飛び出そうなほど驚愕するバティスト。崩れた檻から辰久たちは悠々と外に出た。

「悪いねぇ。ウェルシュの〝拒絶〟は防御力無視なんよ。で? 俺をここに閉じ込めたから、なんだっけ?」

「くっ」

 バティストは研究衣の懐から二丁の拳銃を取り出し、

「ならばこの対幻獣用の魔導銃で――あっつ!?」

 構える直前に、取り出した拳銃は炎となって消え去った。

 燃やされたのではない。

 拳銃そのものが炎に変換されて鎮火した。そうとしか思えない現象だった。

「ヴィーヴルの特性は〝炎体〟」

 辰久はヴィーヴルの肩に片手を置いて自慢げに口を開く。

「自分自身をに変えてしまう能力だ。そいつを周囲にも影響を与えてしまう個種結界に付与したらどうなると思う? 簡単だ。対象の物体を炎化させられるのさ。非生物に限るけどね」

 魔科学者が相手となれば、当然のように魔化学兵器が出てくるだろう。それを完全に無力化できるヴィーヴルを連れてきた辰久の選択は間違っていなかった。

「くっそ! 卑怯な幻獣ばっかり連れてきやがって!」

 バティストは踵を返して逃走した。すぐに追おうとした辰久たちだったが、その進路を塞ぐように天井の一部が崩れ、なにかが降ってきた。

 それはメカニカルな十本の触手をうねらせるイカに似た機械人形だった。

「機械仕掛けのクラーケンときたか」

「……おいしくなさそうです」

 全く驚きもしなかった幻獣二体に、歯車が噛み合うような駆動音を響かせるメカクラーケンはそれぞれの触手から魔力による光線を射出する。

「はいはいおっさんが通りますよっと」

 その魔力光線を結界でなんの苦もなく弾きながら、辰久はバティストが逃げた階段に向けて前進する。無論、そこへ到達するにはメカクラーケンを倒さなければならないが――

「ウェルシュ、ヴィーヴル、どっちでもいいや。よろしく」

 軽い調子で頼んだ直後、地下牢全体に凄まじい爆発音が轟いた。


        ∞


 バティストの魔科学研究所最上階――貧乳変調派拡散ルーム。

 壁一面に埋め込まれた魔科学コンピュータを前にして設置された操作椅子に、バティストは腰を下ろした。

「よし、ここまで来れば――」

「どうだって言うんよ?」

「――ッ!?」

 なにもする暇もなく入口から姿を現した辰久たちにバティストは仰天した。

「ば、ばばばば馬鹿な! なぜもうここにいる! 途中に配置していた魔導ロボットたちはどうした!?」

「どうしたもこうしたも、あんなんでおっさんたちを足止めできると本気で思ってたわけ?」

 バティストとほぼ同時に最上階に到達したということは、彼の妨害など辰久たちにとっては妨害にすらならなかったということだ。せいぜい長くて十秒といったところだろう。

「だ、だが一歩遅かったな。ここに座ってしまえば、このように――」

 バティストは椅子に取りつけられたパネルを操作する。すると部屋の各所から様々な重火器が出現し、一斉に辰久たちにその銃口を向けた。

「この施設に仕掛けたあらゆる魔科学兵器が燃え落ちただと!?」

 もはや辰久たちにバティストの口上を聞く気は皆無である。重火器群が火を吹く前にヴィーヴルの特性が発動し、全てを炎へと変えて吹き消した。

「な、ならばせめてそこの巨乳を貧乳に!」

 と自棄になった様子でまたパネルを操作しようとしたバティストだったが、突然床から光の檻が出現して封じ込まれてしまった。光の檻はただバティストを閉じ込めただけではなく、両手両足に枷を施して動きまでも封じたのだ。

「今度はそっちが捕らわれの身になってもらうよん」

 秋幡辰久の魔術だ。前もってなにも仕掛けなどしていないはずなのに、これほどの魔術をノーモーションで発動させた。

 大魔術師。

 その称号は伊達じゃない。

 バティストの完全な詰みである。

 彼は辰久を甘く見てはいなかった。だがそれでもまだ甘過ぎたのだ。先遣隊を捕えて秋幡辰久が来ることを聞き出したため準備期間が少なかった、というのは言い訳にならない。完全に準備を整えていたとしても、バティストがこうなるタイミングが少しずれるだけだろう。

「いやねぇ、ホントはちょっとくらい苦戦してあげた方が展開的に燃えるんだけどねぇ。ウチの可愛い幻獣たちが早く帰りたいってうるさくてさぁ」

「こうしてる間にも家じゃ無駄に電気代食ってんの! だからさっさと帰りたいんだよ私は!」

「……任務は速やかに遂行します」

 両腕を炎に変えたヴィーヴルと、両手に真紅の炎を宿すウェルシュ。二体のドラゴンに睨まれ、檻の中のバティストはカエルのように縮こまった。

 辰久が光の檻に歩み寄る。

「んじゃあアレだな。連盟にしょっ引く前に俺の部下を元に戻してくんない?」

 飄々とした態度で頼みごとをする辰久だが、それが『命令』であることをバティストは直観的に悟った。

 従うしかない。

 断れば、辰久はともかく彼の背後にいる幻獣たちが徹底的に暴れるだろう。それでせっかく組み上げた貧乳化システムの核まで破壊されてはもう生きる希望もない。

「わかった。だがそのためには魔改造前に取った人格のバックアップデータが必要だ。その辺にCDが置いてあると思う」

「ていうかさあ、その壁に埋め込まれてるでっかいコンピュータ。もしかしてこいつが作ろうとしてた奴じゃない?」

 ヴィーヴルが余計なことに感づいた。

「消しとく?」

 そしてバティストの魂が抜けそうなことを言った。

「ま、待て! もしかしたらさっきのお前たちの攻撃でCDが壊れたかもしれない。そうなったらバックアップデータはそのコンピュータの中にしかなくなる!」

「ありゃま、そりゃ困るな。まずはそのCDを見つけて、ぶっ壊すのは中身チェックしてからだぁね」

「チッ」

 忌々しげに舌打ちして両腕の炎化を解くヴィーヴル。辰久は「てか、人格データってどうやって採取してCDなんぞに入れるん? おっさん魔科学はさっぱりよ」とかぶつぶつ呟きながらウェルシュと共にCDを探し始めた。

 しかし、実はCDなんて物は存在しない。

 バックアップデータもありはしない。

 そんなものなくてもバティストは魔改造を元に戻せるのだ。

 辰久に従うことにしたのは嘘ではない。時間を少しでも稼いで、どうにかシステムの核だけでも保護しなければならないのだ。

 ただしヴィーヴルがバティストを見張っている。どうやってあの巨乳の目を逸らすかが最初の課題だ、とバティストが思考を加速し始めたその時――

「マスター、発見しました」

 ウェルシュの口からありえない言葉が聞こえた。

「へ?」

 もちろん、バティストは素っ頓狂な声を漏らした。ないはずのものが見つかった? どういうことだ? と彼の思考は混乱する。

「ドクロマークがついた赤いスイッチを発見しました。『絶対押すな』と書いてあります」

 瞬間、バティストの背筋が凍りついた。

「やめろそれは施設の自爆スイッチだ絶対に押すんじゃないぞ!?」

「ええぇ!? なんでこの世で最もいらないスイッチつけちゃってんの!? おっさんビックリよ!?」

「証拠隠滅!? 道連れ!? なんにしてもそれだけは絶対押さない方がいいよウェルシュ!」

 ――ポチッ。

「「「あっ……」」」

 辰久、ヴィーヴル、バティストの声が見事に重なった。ウェルシュが申し訳なさそうに振り返る。

「……誘惑に勝てませんでした」

「「「そこは我慢しろよぉおおおおおおおおおおおおっ!?」」」


 その日、アルプス山脈の奥地で大規模な爆発が記録された。


        ∞


「一体なにがあったんですかっ!?」

 瓦礫の山から這い出た辰久たちは、入口で待っていた先遣隊の魔術師に事情を問い詰められた。

「見ての通り、最近は寧ろ新鮮なくらいベッタベタな爆発オチ?」

「これほどの規模の爆発に身を晒してなんで生きてるんですかっ!?」

「それはほら、おっさんジョーブだから?」

 たはは、と苦笑しながら頭を掻き、大魔術師・秋幡辰久は立ち上がった。と、先遣隊の魔術師はなぜか顔を赤くしてそっぽを向く。

「もうなんでもいいですけど前隠してくださいよ!?」

 言われ、辰久はようやく気づく。

 着ていた服が下着まで爆発で吹っ飛び、全裸になっていたことを。

「どわぁっ!? どうりでなんか寒いと思ったら!?」

「なんか寒いで済ませないでくださいよ氷点下いくつだと思ってるんですか!?」

「きゃー、のび香ちゃんのエッチ!」

「すみませんこの人殺していいですか!?」

 先遣隊の魔術師は怒りの視線を辰久の契約幻獣たちに向ける。ヴィーヴルとウェルシュは基本的に無傷で瓦礫の上に立っていた。

「ちょっ!? なんでおっさんだけ脱げてんの!? ずーるーいー」

「炎化してれば割と大丈夫だった」

 とヴィーヴル。彼女は目を回したバティストを抱えていた。ちなみに彼は研究衣だけが吹き飛んでいた。

「爆発を〝拒絶〟しました」

 とウェルシュ。彼女のもう一つの特性である〝守護〟は、自分自身を守る場合『敵意』ある攻撃しか防げないため〝拒絶〟で爆発を凌いだのだろう。

「……ふう。ところで、他の先遣隊の人たちは大丈夫なんですか?」

 深呼吸をしてある程度落ち着いた先遣隊の魔術師が、視線を瓦礫の山に向けてそう訊いてきた。辰久はとりあえず両手で大事なところを隠し、

「施設の地下までは爆発してないっぽいし、彼らが閉じ込められてる牢屋はとんでもなく頑丈らしいから大丈夫じゃね?」

 とテキトーに、しかし確信を持って答えた。

「でも問題なのは魔改造の方だぁね。バティストは確保したし、人格のバックアップがなくても上手くいけば元通りに――」

 その時、辰久は聞いた。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ!! という地鳴りのような恐ろしい音を。

「この音って、まさか……」

 ヴィーヴルが引き攣った笑みを浮かべて山頂の方に目をやった。辰久たちもそれに倣う。

 白い景色が動いていた。

 正確には、山の斜面に積もった雪が滑り落ちていた。

「雪崩起こってるじゃないですかっ!?」

 落ち着いたばっかりの先遣隊の魔術師がパニックを起こす。辰久は苦笑しつつ、特に恐慌した様子もなく言う。

「先遣隊を救助する前におっさんたちがまず避難しないといかんねコレ。まあ、地下で頑丈だから雪崩程度で潰れることはないかな。ウェルシュ、ヴィーヴル、俺とこの人をお空へ運んでちょーだいな!」


                しーん


 辰久が振り返った時、そこには誰もいなかった。

「全裸のおっさんなんて抱えたくないよまったく。自分でなんとかできるだろう?」

「……既に定員オーバーです、マスター」

 見上げれば、バティストを抱えるヴィーヴルと先遣隊の魔術師をお姫様だっこするウェルシュが竜翼を生やして飛んでいた。

 ……。

 …………。

 ……………………。

 雪崩、スグソコ。

「ちょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!?」

 辰久は走った。

 全裸で。

 雪山の斜面を転がり落ちるように走る。走る。走る。

 全裸で。

 枯れ木を蹴散らし、谷を飛び越え、ひたすらに前へ前へと逃げ走る。

 全裸で。

「そりゃねぇえええええええよぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」


        ∞


 翌日。日本。

『昨日、アルプス山脈のモンブラン山にて原因不明の爆発が発生しました。その爆発により雪崩も発生しており、幸い人的被害はありませんでしたが――』

 朝のニュースを流しながら、少年は朝食を取っていた。

『雪崩の後から全裸の男が這い出てきたという証言があり、伝説のスノーマンではないかと現在調査が進められています。これがその時偶然撮影された映像です』

 テレビの画面では全裸の男らしき影がどこかへと逃げ去っていく姿が映し出されていた。

「ブッ!」

 そのニュースを見ていた少年は、啜っていた味噌汁を思いっ切り吹き出した。


「なにやってんだ、親父……?」

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【短編集】天井裏のウロボロス 夙多史 @884

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