第26話 監査官の悲劇

(むぅ、困ったのぉ……我のために泣いてくれるのは嬉しいのじゃが……)


 冥府から戻ったアルテの魂は何事もなかったかのように体へと戻り、復活していた。鼓動と呼吸も始まり、感覚が現実世界にゆっくりと馴染んでいく。だが、死神を退けるために光の殲滅魔法を放ち、冥府の王を爆散させるために炎の殲滅魔法を放った。それだけでもかなりの魔力消費だが、冥府からこの世界へとつなげる門を創り出したのだ。消耗が激しい。目を開いて体をベッドから起こし、歩き回ることくらいはできるが、今すぐに全力で動ける状態ではなかった。


 加えてレモネードとパイクの悲しみようである。目をパチリと開けて「じ、実は生きておるぞ」などと言い出せる雰囲気ではなかった。


 ひとまずアルテはなるべく呼吸を抑え、悲しむ二人にばれないようジッとしていることにした。


「アルテ、また来るからね……」

「おう、盛大な葬式をして送り出してやるからな」


 レモネードとパイクは、アルテとの別れの言葉を言い残すと部屋を出て行った。部屋にはレイモンドとアルテの二人がベッドに横たわっている。


「ふぅ……体はちゃんと動くようじゃな」


 フラフラとベッドから起き上がると、アルテは自分の体に問題がないことを確かめた。さすがに魔王時代でもこれほど長く肉体と魂が切り離された経験はなかった。冥府の王と対面して、生きて戻ってこられた人間エルフはアルテが歴史上初めてだった。


「体は動かせるが魔法はちと厳しいかもしれぬのぉ」


 常人なら精神が壊れて廃人になるほどの魔力を使っている。がそこは元魔王である。あと数時間もすれば魔力が回復してくるだろう。


「ん? 何やら股のあたりがチクチクして気持ち悪いのぉ」


 そう言ってアルテは自分のドレススカートをたくしあげる。


「むぅ……無用な布を穿いておったのか。どおりで何やら違和感があると思った」


 すかさずパンツを脱ぐアルテ。レモネードが死に装束として穿かせた一枚だ。が、長い間穿いていなかったアルテにとっては、もはや異物レベルの代物でしかなかった。


「しかし、まずいのぉ……レモネード達にどんな顔をして会えばよいのかのぉ」


 死んだと思われているのに、突然起き上がって歩き回ったらビックリされてしまう。下手をすればアンデッド扱いされ、退治されかねない。アンデッド系の魔物は、不吉だということで普通の魔物よりも毛嫌いされている。レモネード達にギルドの冒険者達を消しかけられでもしたら、たまったものではない。


 その時だった。ノックもなく部屋のドアが開くと、そこにはアルテとまったく同じ顔が立っていた。イレーナである。ホムンクルスとして順調に知識と経験を身に着け、今や受付嬢として貴重な戦力の一端を担っている。未だに無表情で不愛想ではあるが、アルテの双子という設定のおかげで、冒険者達にも結構人気があったりする。中には”クール・アルテ”などとあだ名する得意客もできている。


「ご主人様、レモネードから死んだと聞いてきたのですが、ご無事だったのですか?」

「うむ、問題ない……ところでお主、ちょっといいかの」

「はい、何でしょうか?」


 アルテは思いついた。とりあえずイレーナのフリをして受付カウンターに戻ろうと。しかし、イレーナはギルドのミニスカ制服で自分はお出かけ用の白いカジュアルドレスだ。着替える必要がある。


「とりあえず我と服を交換するのじゃ」

「はい、かしこまりました」


 イレーナは命令通り直ぐに服を脱いで全裸になる。アルテもドレスを脱ぎ捨てると素っ裸になった。


「さて、服を交換したら、お主は我の代わりにこのベッドに横たわって大人しくしておれ」

「……はい」


「あれぇ? ……ここはどこ? 俺、どうなったの? なんで美人のおねえちゃんが二人もいるの?」


 タイミング悪くレイモンドが目を覚ましてしまった。


「レイモンド、体の方は大丈夫かの?」

「う、うん……平気だよ」


 そう言いながら、レイモンドは顔を真っ赤にしてアルテの方から目線を逸らした。全裸のアルテとイレーナが立っているのである。さすがの子供でも自分が見てはいけないものだと悟った。


「どうしたのじゃ? 熱でもあるのかのぉ?」


 アルテは心配してレイモンドの額に手を当てた。だが、レイモンドの顔の赤さは病気ではない。恥ずかしがっているだけだ。一方アルテは、レイモンドは乳離れすらできていない子供だと思っている。


「だ、大丈夫だよ!」

「ふむ、そうか……」


 アルテ達が話をしている間、イレーナは着替えを終えていた。


「ご主人様、あとはベッドに横になっていればよろしいのでしょうか?」

「うむ、そうじゃ。我がよいというまでそのままじゃぞ」

「かしこまりました」


 アルテは命令しながら、イレーナの着ていたギルドの制服に素早く着替えた。


「相変わらず股がスース―する制服じゃの。まぁ、蹴りは出しやすいのでダンジョンではこの方がよいかもしれぬな」


 アルテとイレーナのやり取りを呆然と見つめるレイモンド。


「あ、あのー美人のねえちゃんが何で二人いるの?」

「ふむ、我らは双子なのじゃよ」

「双子……そ、そうなんだ」

「レイモンド、お主もまだ本調子ではあるまい。しばらくここで寝ているがいい」

「う、うん……でも俺、確か馬車にぶつかって……」

「そうじゃ、お主は馬車に轢かれて一度死んだ。じゃが運よく生き返ることができたのじゃ。これからは人に優しく生きるのじゃぞ」

「う、うん……よくわかんないけど、俺、馬車にぶつかった後、おねえちゃん達の声、聞こえてたよ。あと死神みたいなのも見えた」

「ほう、死んだ時の記憶が残っておるのか?」


 不安そうな顔でコクリと頷いた。


「その記憶、大切にするがよい。死ぬ怖さがわかっておれば、他人の痛みもよくわかろう」


 レイモンドはいわゆるいじめっ子だ。生れ育った環境もあるが、本人の性格によるところが大きい。が、人間最大の恐怖、死ぬことを体験していれば、いかに命が大切なものであるかを心で理解することができる。もうレイモンドがいたずらに人を傷つけることはないだろう。


 アルテはレイモンドをベッドに寝かせ、毛布を掛けてやると部屋を抜け出し、ギルドの受付カウンターへ向かった。


 そこには冒険者達を相手に事務作業をするレモネードの姿があった。眼尻にはまだ涙の痕がある。アルテの心が痛む。


 カステルはダークナイトの討伐のため、ソリティア達とダンジョンの奥深くへ潜っている。つまり今、受付嬢はレモネードだけだ。とはいえ、祭の真っ最中。冒険者の数もまばらだ。主に盛り上がっているのは酒場の方だ。


「あら、イレーナ……どこ行ってたの?」

「わ、我……ご、ゴホン。大丈夫です、何でもないです」

「あたし、ちょっと調子が悪いから控室で休ませてもらうわね」

「わかっ……ゴホン。かしこまりました」

「あんたなんかちょっと変ね。大丈夫?」

「問題ありません」


 必死で言葉遣いを誤魔化すアルテ。イレーナとアルテは、外見上での区別はほとんどできない。金髪のロングポニーテルの髪型すらも一緒だ。見分け方は制服のスカートの短さと言葉遣いだけである。当然、レモネードもその二つでしかパッと見は区別ができない。


「おい、アイツはいないのか?」


 気が付くと受付カウンターの前に、灰色のフードを目深に被った男が立っていた。ショートソードを腰から下げ、小さなザックを背負っている。小奇麗に整えられた髭には気品を感じる。恰好こそ冒険者だが明らかに住んでいる世界が違う。


「誰よあんた? 何か用?」


 控室へ行こうとしたレモネードがイライラしながら反応した。


「儂だ……」


 男はフードを取ると、レモネードを真っ直ぐに見つめた。見知った顔だった。そう、税金徴収役の監査官である。


「何で今あんたがここにいるのよ」


 レモネードは、アルテの死で心が不安定になっていた。本来なら監査官に対しては、丁寧に対応しなければならない。が、今はタイミングが悪すぎる。ましてや監査官がここに来たということは、目的はアルテだ。フードを目深に被って冒険者に変装しているのも、お忍びで来ていることを示している。監査官も役を離れれば一介の貴族。上級貴族ともなれば、クォーツのような変わり種を除いては、おいそれと私用で街を出歩くことが難しい時代だ。


「アイツに用がある」

「だからアイツって誰よ?」


 レモネードは“アイツ”が誰なのかわかってはいたが、苛立ちから、わざと答えをはぐらかしていた。


「ほ、ほら、あの金髪ポニーテールで胸の大きいエルフ……って、そこにいるではないか!」


 イレーナに扮したアルテを見て、監査官は思わず大声を上げた。監査官は完全に勘違いをしているとレモネードは思った。イレーナはアルテの髪から作られた瓜二つのホムンクルスだ。だが、レモネードは怒る気力も説明する気力も失せていた。


「……あんた、適当にあしらっておいて。あたしはちょっと休むから……はぁ」


 疲れたため息を吐き出し、レモネードはおぼつかない足元で控室へ消えて行った。


 残された監査官とイレーナに扮したアルテ。受付ホールには他に誰もいない。


「お、おい、ノーパンおっぱい!」

「何じゃ変態監査官。我にはアルテという名前がある。ノーパンおっぱいではない」

「儂にもハミルトンという名前がある」

「ふん、それで……今日は何の用じゃ。税金ならもう納めたぞ」

「頼みがあって来た」

「何じゃ?! 袖の下がまた欲しいのか? この欲張りの悪徳監査官が」


 前回の訪問では横柄で上から目線だった監査官。おまけに露骨な賄賂の要求である。アルテも不愉快な思いしかしていない。印象は最悪だった。


「ち、違う! アレはお前たちのためにやったことなのだ。誤解しないでくれ。儂は王家により多くの金を上納して、この地区を守りたいと思っているだけなんだ!」

「ふん、ものは言いようじゃな。まぁよい……それで頼みとは何なのじゃ? 我はこれでも忙しいのじゃ、早く言うがよい」


 アルテはアルテでイレーナとの入れ替わりを早く何とか解消したいと思っていた。きちんとレモネードとパイクに自分が生きていることを見せたい。二人を騙したままなのは、さすがに気まずい。


「ノーパンおっぱ……いや、アルテとやら、儂の家で奉公してくれぬか?」

「ことわる」

「報酬も待遇もここよりもずっとよくするぞ」

「嫌じゃ」

「……ぐっ、やけにハッキリ言うではないか」


 監査官の顔は真っ赤だ。壮年を迎えた彼にあるのは、アルテへの一途な恋心と独占欲。


 金と権力に任せて好き放題やってきた監査官。生まれながらにして、裕福な上級貴族という恵まれた環境で育ってきた彼は、自分の思い通りにならない事はないと思っていた。どんなに力のある冒険者も政治家も、高飛車な商人も権力者も自分にへりくだらない者はいない。監査官という役職も絶大な権力を発揮した。この城塞都市スピネルで唯一自由にならないのは王家くらいのものである。


 しかし、アルテに出会ってそれが変わった。上級貴族から見ればたかがエルフ、一介のギルドの受付嬢である。見た目が際立って美しいことはわかる。が、それも所詮は一皮剥けば自分に媚びへつらうだけの弱い立場の者だ。簡単に言いなりになる。そう信じて疑わなかった。


 監査官はショックと同時に、不思議な感覚に包まれていた。アルテから自分では到底太刀打ちできない風格や自信を感じる。だがそこがいい。雲の上の存在である自分に、なぜ堂々とした態度を取れるのか。疑問に思うと同時に、目が離せなくなっていた。そう、このエルフを自分の物にしたい。何としてもいう事をきかせたい。その思いは日々強くなり、ついには行動に出てしまったというわけである。


「儂の正妻として迎えてやろう」

「ことわる」

「なっ、なぜだ!? 上級貴族の正妻だぞ? 女なら誰でも憧れる頂点だぞ? 贅沢もし放題だし、絶大な権力も得られるのだぞ!」

「我はここの受付嬢じゃ。それを辞めるつもりはない」

「ぐっ……で、では受付嬢をやりながら儂の家にと、嫁いでくれぬか?!」


 監査官は上から目線で話していたのに、いつの間にか下から頼むように頭を下げている自分に気が付いていなかった。アルテの元魔王としての風格が自然とそうさせてしまうのだ。生きている年数も経験も桁違いだ。アルテから見れば、大人と赤子以上の開きがある。


「しつこいヤツじゃのぉ。ダメと言ったらダメなのじゃ」

「り、理由は……?」

「我は金にも権力にも地位にも興味などない。それに我はお主を知らぬ」

「……で、では仕方がない。無理にでも我が家へ来てもらおう」


 監査官がパチンと指を鳴らすと、ホールへ大きな男が入って来た。筋肉質でいかにも用心棒といった風貌。戦闘要員であることが見て取れる。


「ハンス、この女を捕えて我が家に持ち帰るのだ!」


 ハンスは監査官ハミルトンのボディーガードだ。どこへ行くにも連れて歩いている。スピネルの街ではちょっとした有名人で、かつてはガルシアに次ぐ勇者候補として名を馳せたこともあった。が、冒険で貯めた金で商売に目覚め、商人となるも大失敗。借金まみれとなり身動きが取れなくなった。そこに目を付けたのがハミルトンだった。借金を棒引きする代わりに監査官の用心棒として引き抜いたというわけだ。強さだけでいえば、ガルシアに肉薄する。剣よりも戦斧や戦槌を使うのが得意な“力”で押すタイプだ。


 ハンスがのそりと動くと、アルテはいつものように軽く右手を振り、自分に強化魔法をかけた――― が、冥府の一件で今は魔力がゼロ。魔法が発動しない。


「こ、これは……ま、まずいのぉ」

「女、おとなしくしろ」


 ハンスの低い声が響く。


「おとなしくしろと言われてハイというヤツはおらぬぞ」


(魔力がなければ魔法は発動できぬ。カステルもおらぬし、パイクも酒場が忙しそうじゃし……助けも期待できぬか)


 アルテは素早くホールの壁際まで走った。ハンスがゆっくりとした動きでアルテを追う。


 壁には剣が掛けてある。装飾刀でありインテリア用ではあるが、実際に斬ることも出来る。剣を振り回すことで少しでも魔力の回復時間を稼ぐのだ。魔力が少しでも戻れば魔法が使える。一回分の魔力で十分だ。二人まとめて転移魔法でダンジョン入口まで飛ばしてしまえばいい。これがアルテの作戦だった。


 壁から剣を取り、切っ先をハンスの方へ向ける。が、ハンスは余裕のニヤケ顔だ。剣の構えでアルテが素人だということがわかってしまったからだ。


「女、無理するな。抵抗しなければ痛くしない」


(参ったのぉ、そういえば剣を使ったことなど一度もなかったのじゃ)


 強大すぎる魔力を保有するアルテ。武器を使う必要がない人生だった。当然剣を使ったことはない。


「みすみす捕まってたまるか!」

「まぁいいけどな、俺は命令に従うだけだから。あと一つ親切心で言っておくと……お前、剣の持ち手が反対だぞ」


 装飾用の剣は左手用だった。アルテは右手で握って構えていたのだ。それすらもわからないズブの素人だ。ハンスが余裕をかますのも仕方がない。


 ハンスは身を屈めると、巨体には似合わないスピードでアルテとの距離を詰めた。驚いたアルテは反射的に右手の剣を突き出した。が、当然素人の突きだ。ハンスは軽々と剣をかわし、アルテの懐に入ると鳩尾みぞおちにひじ打ちを入れた。


「グハッ」


 アルテの口から苦悶の声が上がる。いつもなら強化魔法で軽々弾き返せる打撃も、今は見た目通りの華奢な体だ。ダメージは大きい。


 痛みのあまり思わず剣を落としてしまう。遠のく意識をかろうじてつなぎ止めるも、ハンスの丸太のような腕にガッチリと抱えられ、そのまま肩に乗せられてしまった。


「ぐうぅぅっ、は、放せ! 放すのじゃ!!!」


 大男の肩に抱えられ、脚をバタバタと動かすアルテ。


「グヘヘ、女、お前はハミルトン様の物だ。おとなしくしろ」

「こ、この卑怯者が。変態監査官、貴様は女を力ずくで奪うなど恥ずかしくないのか!?」

「儂のいうことを聞かないからだ。お前にとっても悪い話ではないのに……」

「……ったく、いつの時代も権力者というのは横暴だのぉ」

「うるさい。儂は手に入れたい物があれば必ず手に入れる主義なのだ」


 ハンスがくるりと監査官の方へ向くと、アルテは必然的に脚を向けることになる。そして今はイレーナのミニスカ制服だ。


「き、今日もノーパンなのか。お前は本当に露出狂なのか? 儂の妻になるのであればその辺からしつけねばならないな」

「パンツなどただの薄皮一枚の布じゃ。何を大げさな……」


 その時、ホールの騒がしさにレモネードがカウンターへと出てきた。アルテ、いやイレーナが連れ出されようとしている光景を見て、レモネードは直ぐになけなしの魔力を集めて生活魔法を発動させた。ギルドの扉を堅く閉ざす魔法だ。これでしばらくの間は誰も出入りができなくなる。


「あんたたち何やってんのよ! 今どきの監査官は人さらいもするってわけ!?」

「黙れ。この女は儂がもらっていく」

「……はぁ、中年が恋煩いをこじらせると厄介なことになるのねぇ」

「ち、中年とかいうな! それに恋煩いではない! もうこの女は儂の妻だ」

「妻ぁぁ? はぁ? あんた頭おかしいんじゃないの?」


 レモネードはあきれ顔で煙草の煙をゆっくりと噴き出した。


「直ぐにパイク達がやってくるわ。それまでここからは絶対出さないから」


 と啖呵たんかを切ったところで、レモネードはイレーナがパンツを穿いていないことに気が付いた。イレーナは命令通りに動く。それは絶対だ。パンツはきちんと穿くようにと指導してある。イレーナ自身が脱ぐことはない。つまり他の人物に脱がされたことになる。


「あんたたち……その娘に乱暴したわね?」

「し、してないぞ……誤解だ。この女は最初からノーパンだったのだ!」

「下手な言いわけね。でも残念でした。その娘はアルテじゃないわよ」

「ふん、何を馬鹿なことを……」

「その子はアルテそっくりのホムンクルスなのよ。人形相手にエッチしちゃったわけね、監査官さん、アハハハハハ」


 思いっきり見下して笑うレモネード。が、内心ははらわたが煮えくり返っている。たとえホムンクルスであろうと、仲間は仲間。乱暴されたとあっては心中穏やかではない。今は思い上がった監査官の鼻をくじいてやりたいのだ。


「ホムンクルスなど古代の伝説だ。存在するわけがない。お前こそ下手なウソをつくな!」

「いいわ! 証拠を見せてあげる。そこのでかいの、イレーナを放しなさい」


 ハンスは言われるがままにイレーナに扮したアルテを床に降ろした。


「いい? よく見てなさいよ」

「レ、レモネード……」

「黙ってなさいイレーナ。ちょっと我慢すれば終わるから」


 そう言ってレモネードはイレーナの制服の前ボタンを外すと、胸をはだけさせた。


「んなっ! 何をする! このギルドの受付嬢は全員露出が好きなのか!?」

「どこ見てんのよ! この変態監査官。見るのは胸の間よ。ほら、文字が書いてあるでし……」


 イレーナとアルテの外見上の違いは、胸部の文字だけである。“我アルディナより生れ、やがて無に帰する者……”と古代エルフ語で書かれているはず……しかし―――


「えっ!? 文字がない? どういうこと?」

「すまぬ、レモネード……わ、我じゃ。アルテじゃ」

「ア、アルテなの? ウソ、でしょ?」

「つ、ついさっきなのじゃが魂を冥界から戻すことができたのじゃ」

「あ、え……じゃ、じゃあ、あたし」


 レモネードの方が勘違いしていた事に気が付き、一気に気恥ずかしさが込み上げてきた。


「アルテ……本当にあんたなのね?」

「そうじゃ、本物じゃ」

「うわぁぁぁぁぁぁーん、よかった、本当に良かったよぉ」


 突然泣き出してアルテに抱きつくレモネード。少女のように泣きじゃくるレモネードをしっかりと抱きしめ、頭を優しく撫でる。年の差からいっても、本来アルテから見ればレモネードは完全に孫のレベルだ。知らぬ間にレモネードもアルテに母性を感じていたのだ。


「な、何なのだ? お前らは」


 完全に蚊帳の外になっている監査官と用心棒。


「あら、まだいたのね。あんたたち、もう帰っていいわよ」

「そうはいかない。そこのノーパンおっぱいは儂の嫁として連れて帰るからな」

「ふん、馬鹿ねぇ。アルテ、チャチャッとそいつらを追っ払っちゃってよ」

「い、いやそれがの……冥界から帰ったばかりで今は魔力が無いのじゃ」

「……え? そ、それじゃああの大男に抱えられたのってわざとじゃなくて、本当に?」

「すまぬ、レモネード。今の我は役立たずじゃ」


 するとレモネードは悲しそうな顔をしてアルテを見つめ、肩を抱きしめた。


「乱暴されちゃったのね……アルテ。可哀想に」

「え!? あ、いや、我は乱暴などされておらぬ、だ、大丈夫じゃぞ」

「いいのよ、あんたは体は汚されても心までは汚されてないわ。辛い時はあたしに頼って」

「いや、我は何ともないって……」


 レモネードはさらに勘違いしていた。色恋目的で侵入し、無力なアルテを力づくで連れ去ろうとしていた奴らが、ノーパンのアルテに手を出さないはずがない。そう思い込んでいた。


「監査官だろう許さないわよ、よくもうちの受付嬢に手を出してくれたわね!!!」

「ごっ、誤解だ! 儂はその女には手を出してない、指一本触れてはいない」

「だまれ女の敵。パァーーーイク!!! 早くこっちに来て」


 レモネードが大声を上げてパイクを呼ぶと、ホールと酒場を繋ぐドアが開いて、面倒くさそうな顔をしたスキンヘッドが現れた。


「なんでぃなんでぃ……ったく。ん? 監査官様じゃねぇか。それに元勇者候補の用心棒ハンスか。なんか用か?」

「パイク、こいつらはアルテに乱暴した犯罪者よ」

「アルテに乱暴って……だってアルテは死んで……」

「すまぬパイク、我はこのとおり生きておる」

「イレーナじゃねえんだよな? 胸に字、書いてねぇもんな、ヘヘヘ。とにかくよかったぜ。だけど俺は薄々直感してたんだぜ、お前さんがそう簡単に死ぬわけないってな」

「戻るのが遅れていらぬ心配をかけたようじゃな、すまぬ」

「いいってことよ。だ、だけどよぉ……まずはその胸をしまってくれ」


 レモネードが制服をはだけたままにしていたので、アルテの胸は出っ放しだったのだ。さすがにパイクも目のやり場に困っていた。


「うむ」


 アルテが制服を着直していると、騒ぎを聞きつけた酒場の客たちがドヤドヤと入り込んで来た。全員酔っぱらっている。お祭り気分のいい感じで出来上がっている。


「パイクの兄貴ぃ、レモネードさぁ~ん、一体どうしたんすかぁ?」

「そこの変態野郎がうちのアルテに乱暴したのよ!」

「な、何だって! そりゃあ許しちゃおけねぇっすね。よくも俺達のアルテちゃんに酷いことを……コイツらどうしましょうか?」


 受付カウンター前のホールは、血気盛んで酔っぱらった冒険者達で埋め尽くされてしまった。こうなっては多勢に無勢。いくらハンスが強くとも勝ち目はない。


「ち、違う! 儂は無実だ、何もしていない!」

「うるせぇこの変態野郎。アルテちゃんのあの乱れた制服を見れば、乱暴されたのは誰でもわからぁ!」


 勘違いにさらに勘違いが重なり、場の雰囲気は完全にアルテが監査官に乱暴されたことになっていた。アルテも今さら本当の話しを切出せない。


「よし、取り押さえて簀巻すまきにしてやれ!」

「「「おうよ!」」」


 数十人の冒険者達が監査官とハンスを取り押さえ、素っ裸にした後、ロープでグルグル巻きにして街の広場に放置していった。本来は上級貴族に手を出すという大罪。が、ハミルトンは自分の格好悪さとバツの悪さとから、ギルドに対するトラウマを植え付けられてしまっていた。彼は簀巻すまきにされて決心した。


「……もう監査官役は辞めよう」


 ――― そしてひと騒動終わった後日談。


 ギルドでは、パイクのつぶやきにレモネードの壮絶なツッコミが入っていた。


「そ、そうか……アルテのあれは桜色ピンクだったのか……エルフのは初めて見たぜ」


 パイクの顔がどことなくイヤらしい。


「は? 今あんた何て言った?」

「い、いや、何でもねぇ。何でもねぇぞ、お前の空耳じゃねぇか? と、ともかくアルテが生きててよかったじゃねぇかよ。監査官も変わったみてぇだし、すべて結果オーライだろ?」


 スッパーーーーン!!!


 受付ホールには、美しく見事な打撃音が響き渡った。


「……とりあえず一発殴っとくわね」

「いってぇー! 殴っとくじゃねぇ、もう既に殴ってるじゃねぇかよ!!!」


 パイクのツルツル頭には、レモネードの見事なモミジが咲いていた。その掛け合いを見て、アルテは改めてここが自分の居場所なのだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王をギルドの受付嬢にする方法 文乃 優 @YuuFumino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ