第25話 冥府王の絶叫

「早く殲滅魔法をぶっ放して何とかしなさいよ!」


 恐怖の表情を浮かべたレモネードが震えた声で叫ぶ。普段は荒くれ者の冒険者達を前にしても強気のレモネード。だが今は相手が悪すぎる。半分パニック状態だ。


「うむ、わかった。死神に効く魔法は光属性の殲滅魔法だけじゃ。少し時間がかかる、すまぬがもうちょっと我慢するのじゃ」


 アルテは、死神に取り囲まれながらも落ち着いた様子で呪文を詠唱し始めた。光魔法の呪文は長く、魔法使いは不得手な分野だ。本来なら司祭ビショップ僧侶クレリックが得意とする。さすがのアルテも発動にてこずっている。


 魔法の発動を察知したのか、死神達が一斉に鎌を大きく振りかぶる。死神の鎌に当たれば、魂が肉体から刈り取られてしまう。このままだと、次の瞬間にはアルテもレモネードも冥府へまっしぐらだ。


「ア、アルテ!!!」


 悲痛な声を上げるレモネード。


「わかっておる!!!」


 アルテがそう言うと、部屋の中が真っ白な光に包まれた。冷たかった空気が穏やかで温かいものに変わっていった。死神達は眩しそうにして顔を襤褸ボロで覆うと、そそくさと消えて行った。


「や、やったの?」

「うむ、一時的じゃが死神達は混乱しておる。今のうちにレイモンドの魂を冥府の門から引っ張り出すのじゃ!」


 アルテが軽く右手を振ると、目の前の壁に大きな門が現れた。真っ黒で何の装飾もない無機質な塊。これが冥府の門だ。門から先は死人の世界。もちろん魂しか入ることはできないが、行ったら戻れない一方通行である。


 右手を前に突き出し、門を力一杯押す。アルテの細腕も強化魔法でパワーアップされているが、それ以上に精神が削られて行く。と同時に魔力も激しく消費されていく。


 しかしアルテの奮闘むなしく、門は堅く閉ざされたままだった。


「おかしいの、以前は直ぐに開いたのじゃが……」


 さらに力と魔力を込めて押す力を強くする。それでも扉はびくともしない。一旦門から離れ、再び魔力を練り直す。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 珍しく肩で息を切るアルテ。顔色もかなり悪い。普段から色白な顔がさらに白くなっている。光の殲滅魔法で死神を追い払い、その上冥府の門へ魔力を注いだのだ。高位の魔法使いであっても、普通ならとっくに魔力切れを起こして倒れている。アルテの酷く疲れた様子を心配そうに見つめるレモネード。


 その時だった。門がゆっくりと“自ら”開いた。門が完全に開き切ると、その先には一人の老人が立っていた。長いあごひげを蓄えた白髪はくはつ。ウネウネとヘビのように歪んた形の杖を持っている。杖の持ち手には人間の髑髏ドクロがはめ込まれている。


「冥府の門をこじ開けようとしているのはお前か?」

「……うむ、我じゃ」

「覚えのある顔だ。以前にも冥府の門を開いたな?」

「うむ、過去何回かやっておる。お主は何者じゃ?」

「儂は冥府の王……人は冥界の神ともいう」


 レモネードは両目を大きく見開き、無意識に手のひらで口を覆っていた。冥界の神といえば死神の親玉のようなものだ。死を支配する存在そのものが今、自分の目の前にいる。対面したら、誰もが人生の終わりを覚悟する。が、アルテはそんな恐怖の象徴を前にしても落ち着き払っていた。


「冥府の王ともあろう者が、どうして現世との境界まで来ておる?」

「たまたま死神達が逃げ帰って来るのを見たのでな」

「すまぬが、先ほど魂を刈り取られたレイモンド、という子供の魂を戻して欲しいのじゃが」


 まったく物怖じせずに会話するアルテをレモネードはただ見ていることしかできなかった。不吉の塊、冥府の王と口を利くなど、できれば永遠にしたくはないのが本音だ。


「ダメだ。死の秩序は守ってもらう」

「あの小僧はまだ若い。死ぬには早すぎる」

「……ふむ、確かにそうだ。だが子供だろうと関係ない。死は等しく万人に訪れるのだ」

「若い命じゃ。これから大きく花開くこともあるやもしれぬぞ?」

「お前も見たところ比較的若い部類のようだが、どうしてそこまであの子供に入れ込むのだ?」

「我はもう若くはない。1400年も生きておる。若い者のために命を張るのは当たり前じゃ」

「ほう、1400年とは長いな」

「我はエルフじゃ」

「……エルフ確かに長寿命だ。が、そこまで生きる者はいない。冥府の門を何度も開く魔力といい、死神を退けた魔法といい、ただ者ではあるまい。お前は一体何者だ?」


 冥府の王と名乗る老人は、苛立った様子でコンコンと杖で床を突いた。


「元魔王じゃよ」

「……ほう、魔王か。フハハハ、それなら納得がいく。過去にお前が殺した人間達だが、あまりに多くてこちらも捌くのに苦労させられたぞ」


 笑い声を上げる冥府の王。が、その顔は少しも笑っていなかった。


「1400年はさすがに生きすぎだ。よって子供の魂を返す代わりにお前の魂を刈り取っていく。よいな?」

「なっ!?」


 黙って見ることしかできなかったレモネードが、思わず声を上げた。声に反応して冥府の王がレモネードの方をじっと見つめる。目が合ったら逸らすことはできない。迂闊に逸らせば魂を刈り取られるかもしれない。


「ほう……これは面白い。お前を思っている人間もいるらしいな? あれだけたくさん人間を殺したはずなのに……」

「うむ、こんな我でも今は家族と思ってくれている仲間達がおる」

「フフン、まぁよい。生きすぎた元魔王よ、お前の魂は今から冥府の物だ」


 老人は杖を掲げアルテの方に先端を向ける。するとアルテの魂がゆっくりと冥府の門の中へと引っ張られて行った。門の中へ引きずり込まれたら、再び出てくることはできない。つまり完全なる死だ。


「アルテ、何とかならないの!?」

「……」


 アルテは何も答えなかった。ただ無気力な顔で門の中へと引っ張られて行く。


「ちょっ、うそ、冗談じゃないわ! 死ぬなんて絶対に許さないからね!!!」


 レモネードは自らの顔を両の手のひらでパチンと叩き、気合で怯えを吹っ切った。ガクガクと震える両足を踏ん張り、必死にアルテの魂を捕まえる。


「手を伸ばしなさい、アルテ!」


 レモネードはアルテの手を掴み、精一杯の力を振り絞って門の外へと引っ張る。が、冥府王の力の方が圧倒的に強い。ジリジリとアルテの体は門の中へと移動していく。


「くっ、あんたもなんとかしなさ……」


 と言いかけたところで、アルテが胸の辺りでこっそり手を動かし、ブツブツと呪文を唱えているのが聞こえた。その顔はいつになく真剣だった。天然ボケで優しい表情しか見せないアルテが、いつになく怖い。目が鋭くつり上がっている。魔力の集中度がこれまでとは桁違いだ。


「レモネード、よく聞くのじゃ」

「何よ?!」

「あと10秒もすればこの門は閉じる。閉じる瞬間に我から手を放すのじゃ」

「い、いやよ! だってあんた死んじゃうじゃない!」

「門が閉じたら我はあやつに向かって最大の殲滅魔法を撃つ。怯んだ隙に門から脱出する」

「う、上手くいくの?」

「今はもうやるしかあるまい」

「わ、わかったわよ!!!」

「すまない。こんな我でもお主と出会えて救われた。嬉しかったぞ」

「永遠の別れみたいな台詞せりふ言わないでよ! 死んだら許さないから、絶対に」


 涙目でアルテの手を握るレモネード。その顔はべそをかく少女のものだった。


「まずい、門が閉じる。手を離すのじゃ!!!」


 レモネードが手を離すと同時に、黒々とした不気味な冥府の門が大きな音を立てて閉じた。


「……ふむ、これで我も死んだということかの」

「そうだ。元魔王には冥府で永遠の煉獄れんごくに繋がれてもらおう」

「真っ平ご免じゃのぉ」


 そう言うとアルテは、蓄えた魔力を呪文に乗せ、最大級の殲滅魔法を冥府の王へ向かって放った。火属性の殲滅魔法―――視界にある物すべてを爆発させ吹き飛ばす。アルテが開発した中でも最大火力を誇る魔法だ。一撃で数万人の軍隊をほふることができる。


 アルテの視界が爆裂した炎の塊で満たされる。まさに地獄の業炎が嵐となって吹き荒れているようなものだ。爆炎が収まると冥府の王は影も形もなくっていた。が、アルテはまだ門の中にいる。門が開かないのだ。


「エルフ風情が大した魔力だ。さすがにこのままでは冥界が荒れてしまうな」


 姿はないが声だけが聞こえている。


「では荒らされぬうちに我を門から出すことだの」

「門は内側からは開けられぬようにできている。お前がどんなに魔力を込めようと開きはしない。水が高きから低きへ流れるように、絶対の決まりなのだ」


 アルテはその話を聞いて覚悟を決めた。たとえ門に向かって殲滅魔法を放ったとしても、壊すことはできない。つまり自分はもう外には出られないのだ。


 一方、ギルドの控室では横たわったアルテの手を握って、レモネードが涙を流していた。そう、アルテの体は呼吸をしていない。胸に手を当ててみるも鼓動がない。死んでいるのだ。


「グスッ……なんでよぉ、何で勝手に死んでるのよぉ。死んだら許さないって言ったじゃない。早く戻ってきなさいよ、アルテの馬鹿。仕事がまだたくさん残ってるのよ……今夜も冒険者が山ほど来るんだから。早く目を覚ましなさいよ」


 レモネードはまだ暖かい体のアルテにすがりつくが、一向に動く気配がない。肝心のレイモンドの方は、微かに胸が上下し始めていた。呼吸が戻っている。蘇生に成功したのだ。アルテの魂と引き換えに。


「おーい、レモネード、いるのかー?」


 そこに何の事情も知らないパイクが運悪く入って来てしまった。倒れているアルテを見て一目散に駆け寄った。


「ど、どういうことでぃ、こりゃあ……まさか本当に死んでるのか?!」


 大粒の涙を流すレモネードを見て、パイクはアルテが亡くなっているのを確信した。


「ちっくしょう!!! 一体どこのどいつが!!!」


 スキンヘッドの頭をひと撫でして、やりきれない表情で怒鳴った。


「アルテは……アルテはそこの子供を蘇生しようとして失敗したの。冥府の門に引きずり込まれちゃったよの……うわぁぁぁぁぁん、途中で手を離しちゃったあたしが全部悪いのよぉ」


 あのプライドの高いレモネードが人目を気にせず、本気で泣いていた。思わずパイクももらい泣きしていた。


「もう助かる見込みはねぇのか……?」

「わかんない。グスッグスッ」


 一向に泣き止まないレモネード。パイクはひとしきりアルテの体に触り、脈や呼吸を確認した。そして、涙を零しながら現実を受け入れた。心臓が完全に止まっているのだ、受け入れざるを得ない。


「レモネード……仕方がねぇ。無駄かもしれねぇが心肺蘇生をやってみてくれ」

「う、うん」


 泣きじゃくりながらも心肺蘇生を行なうレモネード。治癒魔法を発動させながらだ。が、アルテに外傷はない。治癒魔法は完全に無駄だった。もちろん心肺蘇生もまったく効果がない。


「何でよ、何でなのよアルテ」


 絞り出すように嘆きの言葉を吐く。


「レモネード、こんな時に何だがよ」

「何?」

「堅い床の上に寝かせたまんまじゃ、アルテがかわいそうだ。そっちの小僧と一緒にベッドに寝かせてやろう」


 パイクの優しい気遣いにレモネードはまたポロポロと涙をこぼす。アルテの体をパイクが抱きかかえる。ここで、レモネードはあることに気が付いた。


「ちょっと待って!」


 そう言って部屋から飛び出すと一枚のパンツを手にしていた。そして丁寧にアルテに穿かせた。


「死んだ人にだってエチケットがあるわ。アルテは嫌がるだろうけどね。穿かないのは戦う時に動き難いからだって言ってた。でももうアルテは戦う必要がないじゃない? ……ゆっくり眠るだけだもん。もう……穿いてもいいよね?」


 レモネードは精一杯の笑顔を作って、優しくアルテの前髪を整えた。パイクと一緒に部屋のベッドまで運び、再度呼吸がないことを確認した。それでも二人は冷たくなっていくアルテから離れられなかった。


◇◆◇◆◇◆


 一方で冥府に取り残されたアルテ。絶対に開かない門と言われ、さすがに諦めるしかなかった。死人を何度も蘇生させるなど、元々無理を承知の行為ではあったのだ。が、後悔はない。


 仕方なく門に寄りかかって、ぼんやりとあれこれ考える。


「うむ、実感はないのじゃが……これが死んだということなのかの」

「フハハハ、そうだ。これが死だ。散々お前が人間達に与えてきたものだぞ?」


 アルテの魔法で消滅したはずの冥府の王が目の前に戻ってきていた。いや再生したといった方が正しい。冥府にいる限りこの王は無敵だ。


「……この先はどうなるのだ」

「どうにもならない。お前の魂はこの場所に繋がれ、永遠の時を過ごすのだよ」

「ふむ、そうか。出た者はいないのか?」

「その門は、中からは絶対に開かないと言っただろう?」


 門は絶対に開かない――― アルテはそう聞いて、ふとあることを思った。開く門がないなら作ればいいじゃないかと。


「ふむ、もの試しじゃ。ちょっとやってみようかの」


 アルテは冥府の門の横に立つと、軽く右手を振って呪文を唱えた。


「む? どんな強力な攻撃魔法だろうと門には傷一つつかない。無駄だぞ」


 実際、冥府に閉じ込められた者が最初にすることは門への攻撃だ。これは万人に共通している。門へ入った者達の中には、歴代の勇者や魔王もいた。彼らは強大な魔力や剛腕に物をいわせて、剣を振るったり魔法を放ったりして幾度も門を破ろうと試み、そして全員諦めていった。物理的にも魔力的にもこの門を破ることはできないのだ。


「まぁ黙ってみておれ」


 アルテの両手が銀色に輝いた。普通の魔法ではない輝き。得意の創造魔法だ。手先から門が一つ現れた。冥府の門と同じく空間に固定されている。


「んなっ……!」


 これを見て動揺したのは冥府の王だった。これまでも扉を開けようと剣や魔法で攻撃し続けた者は数えきれないほどいた。しかし、門を作り出した人間は初めてだったのである。


「お、おい……ちょ、ちょっと待て!」

「ん? なんじゃ?」

「も、門を作り出すなんて聞いてないぞ。反則じゃないか!」

「死ぬか生きるかの問題じゃ。反則も何もなかろう」


 そう言ってアルテが門を開くと、現世の眩しい光が射しこんできた。間違いなくアルテの生きていた世界に繋がっている。一歩踏み出すとアルテの視界は真っ白な光に包まれた。踏み出す直前に振り返ってみると、冥府の王があんぐりと口を開けて棒立ちしているのが目に入った。


「は、反則だあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 勝手に門創ってんじゃねえぇぇぇぇぇぇ!!!」


 冥府の王の絶叫を耳に残したまま、アルテの魂は現世に戻っていた。


◇◆◇◆◇◆


「見て、パイク。アルテの顔……綺麗よね。今にも生き返ってきそうじゃない?」

「ああそうだな。”我はお腹が空いたのじゃ”なんて言いそうだぜ」


 二人は自分たちを慰めるように、絵空事のような淡い期待を抱いて気持ちを紛らわせている。冥府へ行ってしまった死者は絶対に蘇らない。頭ではわかっていても、心がついてきていないのだ。ついさっきまで会話していたアルテが死んでしまったなど、到底理解できるものではない。


「こんな事ならアルテと一緒に有給休暇取って、旅行にでも行っておくんだったわ」

「そうだな。俺もアルテの頑張りは認める。はぁ、特別休暇をくれてやりたかったぜ……」

「フフフ、パイクが特別休暇をくれるってさ……よかったわね、アルテ」


 優しくアルテの頬を撫でるレモネード。その両目からなお一層激しく涙が零れ落ちる。パイクの目も涙で一杯だ。


「だから……だから早く帰ってきてよ……アルテ。みんな待ってるんだから」


 耐え切れずにレモネードが号泣し始める。長い付き合いのパイクでさえ、彼女がここまで激しく泣き叫ぶ姿を見た事がなかった。

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