1.o'clock
『Lin―…』
時計石の音が静かに鳴り響いた。それと同時に、さっきまで淡いピンクの光を宿していた辺りが、水色の淡い光を宿した。
今、シヨンたちがいるこの空間は、何処を見ても時計石に囲まれている、いわば時計石で出来た洞窟だ。
「何時(いつ)来ても思うが、何なんだ、この石は」
シヨンの前方を歩いているヤウズが呟く。確かに、そう思ってシヨンは時計石を見た。
毎日ほぼ正確に、『Lin』という音と共に3時間毎に色が変化してゆくこの石について、詳しく知る者は未だに存在しない。
いつからあるものなのか、色が変化する理由…疑問ばかり浮かぶが、その石の特性故、人々には日常的に重宝されている物であり、馴染み、溶け込んでいるので、気にしない人の方が多い。
実際、シヨンもそのうちの一人だ。
自身が持っている、秒針、短針、長針の備わった機械時計の装飾にも時計石は使われているし、色合いの変わる様は見ていて美しい代物だ。
「よし、入る前に少し休憩でもしとくか」
我らが組織の頭領(マスター)が立ち止まる。
「えぇ~…早く入りましょうよぉー」
そう口を尖らせたのは、今回この洞窟に行く事を提案した、ユカだ。
名前は女っぽいが、男である。長身で眼鏡をかけたその外見は、いかにも優男といった感じだ。
眼鏡から覗く、細い目からは考えていることが読み取りづらい。
まぁ待て、と頭領に言われて、ユカはメンバーを見回す。
「皆さん、休憩なんてなくて大丈夫でしょう?」
とびきりの笑顔でそう言われてもなぁ。
「いや、此処からが本番だし、ちょっと」
シヨンは肩をすくめて隣に視線を送る。果たして、医術士服(ナース・ユニ)を着た彼女は気づいてくれた。
「…そうね、私もすぐに行くのは賛成できないわね。この前は散々な目にあったし」
シロタエは苦笑しながら答えた。
この前というのはつい3日前の事で、ユカとヤウズ、シロタエで下見に一度来た時の事らしい。
'中'の惨状は凄まじいもので、結局二時間もしないうちに帰る羽目になったという。
「いやぁ、あの時はびっくりしましたよ」
「びっくりで済むことじゃ無いわよ!他の組織の人とはいえ、死人が出たし、あなた、片腕が千切れたのよ!?」
「ははは、あれはビックリしましたけど、シロタエさんが治してくれたじゃないですか」
ユカがその千切れた方であろう左腕をひらひらと動かす。
「もう、何でそんなに呑気なの」シロタエはぷくっと頬を膨らませて腕組みをした。
それはそうと、ユカはさっき千切れた腕をシロタエが治したと言った。治した、そう、くっつけた。千切れた腕を。
そんな事が出来たのも、シロタエが優秀な医術士であるからこその事だ。
彼女が扱う医術式という特殊な技術を習得するためには、師弟関係に基づく十数年の長い修業が必要だという。
師に医術士として認められた者のみが、医術士の装束を身にまとうことを許される。
むろん、シロタエも赤いラインの入った医術士服を着用しているが、歳を聞いて驚くだろう人は多い。
だって、彼女は若い。
髪は背中まで伸びた、少し毛先にウェーブのかかったブロンドで、灰色がかかった蒼い瞳には透き通った艶がある。
肌は処女雪のように白く、顔も整っていて、かなりの美少女だとシヨンは感じているが、多分、他のメンバーも少なからずそう思っているはずだ。
組織SOSの仲間、シロタエ――――16歳。
既に4年前には医術士としての資格を有していたというから、驚きを隠せない。そして、いつも腕と脚を包帯で被っているのは謎である。
「で、結局何があったのさ、その時」
「おや、話した方が良いですか?」
「当たり前じゃないか。馬鹿なの?ねぇ、ユカ、君って馬鹿なの?何の為の下見だったわけ?君が怪我するなんてよっぽどの事だと思うんだけど」
シヨンは薄い笑みを浮かべているユカに詰め寄った。それにしても、ユカの背が高いのには何となく腹が立つ。作り笑顔のような顔を見上げる形になるのが、正直嫌だ。だって、頭ひとつ分以上は大きいのだ。
はは、と笑ってシヨンの頭に置こうとした手を、思いっきり払ってやった。
「そんなに怒らないで下さいよ」知るか。休憩するとは言っても、進まなければ話にならない。
「お前は少し黙っとけ、ユカ。シヨン、おれが話す」
彼の砂色の目と3秒程見つめ合ってしまい、シヨンは頷いた。
「とりあえず、何だ、座ってメシでも食いながら聞こう。チャイカがいろいろ用意してくれたみたいだぞ」
そう声をかけた頭領は、既にレジャーシートに腰を降ろしている。
その上には彩りよく作られたお弁当と飲み物が置いてあった。
「はい、あの…このまま行くとなると、お昼を食べる暇も無くなってしまうでしょうし、話を…どうせなら、聞きながら、皆さんどうぞ…食べませんか?あの、お口に合うか分かりませんが…」
チャイカの声は突風が吹いたら散り散りになりそうな、そんな風にいつもか細い。
自信なさげに伏せている顔には、片眼鏡(モノクル)がかけてあり、磨りガラスのような左目を覆っている。膝元まで伸びた長い髪は、自然にはあり得ない、薄ピンクの桜色で、左目も同じ桜色だ。
虹彩異色瞳(オッドアイ)。チャイカの場合は生まれつきであるが、後天性の人もいるらしい。だが、少なくともシヨンはチャイカ以外で虹彩異色瞳の人を見た事がない。
「あ、じゃあ貰おうかな」
シヨンはレジャーシートに上がり込み、チャイカから受け取った紙皿にお弁当の中身を盛り付ける。
シロタエも同じようにしているようだ。
ユカは「ほう、これはまた」と興味深そうに見つめている。一方ヤウズは素手でひょいひょいと頬張っていく。
「うわ、すっごく美味しいんだけど…」
一口食べて、自然と声が漏れた。調味料の使い方か、調理法が良いのか、いや、これはもう才能だ。
外で食べることを想定して、少し濃い味付けにしてあるのも身に染みる。
それにしても、このホクホクとした揚げ物は何だろう。一口サイズに丸くて、程好い塩味と甘さが口に残り、何個でも食べてしまえそうなものだ。
気づけば、5つ目を口に運んでいた。
「あ、それは…馬鈴薯を揚げたもの、です」
「へぇ、そうなんだ。こういう食べ方もあるなんて知らなかったよ。ところで、馬鈴薯って、ここら辺で言うジャガイモの事で合ってる…よね?」
「はい、呼び方は…違いますが…同じもの、です。品種はいろいろ、あるみたいですが。今回は…男爵と言うのを、使いました」
品種についてはよく知らないが、美味しいことに間違いはないのでシヨンは気にしない事にした。
「はぁ…同じ材料を使って作ったとしても、こんな風にはできないわ。一体何がどう違うのかしら…?」
シロタエは溜め息をついて、でも美味しそうに食べている。
チャイカは飲み物も、紅茶とバスク茶の2つを用意してくれていて、シヨンは紅茶をいただく事にした。
お腹も程よく満たされたし、紅茶の良い香りに和んでいた。
あ、とシヨンは思った。忘れてた、完全に。
チャイカの手料理に満足してる場合じゃないよ。美味しかったけど。本当に。
今まで誰もその事を言わなかったということは、きっと食べるのに夢中になっていたということだろう。
シヨンは箸を止め、咳払いをした。そして、ヤウズに視線を送るが気づいていないようだ。一呼吸置いてから少しきつめに声をかけた。
「ヤウズ、何か忘れてない?忘れる訳ないよね、まさか。君が言い出したんだから」
この際、自分も忘れていた事は棚にあげる。言わなければバレないだろうけれど。
「…ぇあ…!?」ヤウズは目を見開き、口の中に入った食べ物をごきゅん、と呑み込んだ。ごきゅんって、凄い音だね。
咳き込みそうになったヤウズにチャイカがすかさずバスク茶を差し出す。それをいっきに飲み干すとやっとヤウズは呼吸を整えた。「悪ぃ…」
「いや、別にいいけどさ。大丈夫なの…。で?何があったの」
クッ、とユカが肩を震わせて笑っている。何なのもう、ムカつくんですけど。まあ、何故か笑いのツボに入った約1名を除けば皆話を聞く体勢に入っている。
「ん、3日前おれとシロタエ、ユカでここに下見に来た所まではいいよな」
シヨンを含め、メンバーは頷く。それは前から皆聞いていたことだし、その日都合よく集まれたのはその3人だったのは承知している。
もっとも、ユカの行動に付き合わされるのは2人が一番多いのはいつものことだった。
「まあ、これも前に伝えたと思うけど、ユカの話によると、この時間石の洞窟には“時空石”があるらしいというのが分かった。で、それを探したいが、特定のルートを行かないと辿り着けないらしいって訳で…」
「他の組織の人たちとルート探しの争いになったとか?」
組織、団体、クラン、グループ…呼び方は様々ではあるが、こういったダンジョンに行くのに仲間と協力する習慣ができたのは今からおよそ102年前からだそうだ。
何がきっかけかはまた別の機会にするとして、やはり自分達の取り分は多い方がいい、そういった感じの理由からダンジョン内外での組織の対立は日常茶飯事である。
当然、それらのことが大きくなって問題に発展することも少なからずあることなので、今回のこともそんな感じだと思っていた。
しかし、ヤウズは微笑を浮かべて首を横に振る。
「違うんだ…。いや、確かに最初は揉めてる奴らもいたさ。けど、ルートらしきものを見つけた奴がいて、とりあえず其処に来ていた奴等皆で…50人くらいはいたか?」
「えぇ」シロタエが答えた。
「とりあえず、そのルートからしか行けない扉へ辿り着くまでは、皆何事もなく行動していたわ」
流れ的に、協力して進もうという雰囲気にでもなったのだろう。初見の場所では稀にあることだ。それにしても50人とは。ヤウズが続ける。
「で、まぁその扉の前へ着いた。当然、ルートを見つけた奴が開けたんだ。そしたら…中は血の海だったよ。とにかく、中が広くて何があるかはさっぱり分からなかった。けど、入り口の所は血だらけだった」
シヨンは一瞬、真っ赤などす黒い血の海を想像してしまい、うえぇと思った。最悪だね。
「中に入ってみないことには状況がよく分からない。おれたちはゾロゾロ進んで行ったんだ。驚いたよ、思ってたより広くてさ。500メートル四方はある感じの場所だった。あぁ、で、扉の中…部屋の中心あたりに、'人が浮いていた'んだ」
「へ!!?」
いまいち状況が読み込み辛く、シヨンは考えていた部屋の図面が真っ白になってしまった。すぐに正気に戻ったことではあるが。へぇ、人が浮いて、たんだ。浮いて…?そんなことができるのだろうか。
そして、その浮いている人物は真っ黒だったらしい。黒髪に、黒い目、そして何故か裾の膨らんだ、ふざけた道化師の格好をしていたそうだ。
眉は無く、右側は髪を長く伸ばし、女みたいな姿で、左側は男みたいな、そんな姿をしていたらしい。
名も無きこの感情を 玉三 @gyokuso
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