明治悦焉奇譚

梅ヶ枝

序章:獣の慟哭

 獣が地を這う。


 獣が唸る。


 獣が慟哭をなす。


 下弦の月の淡い光が、野原を優しく包み込んだ。

 その草木を掻き分け、息を荒くしながら「一匹の獣」とみまごう程の人間が風の様に去っていった。

 双眸は血走り、「獣」は地面を荒く踏み倒した。 


 獣が吼える。 


 一体何故、何のために、否、「誰のために」吼えるのか 


 金色に禍々しく光る瞳だけが全てを知っている。 


 丑三つ時の刻。とあるあばら屋に男性の笑い声が聞こえていた。 


 あばら屋の周りは荒れており、草木の手入れはおろか家自体も酷く、腐りかけた木の残骸がそこら中に散っていた。 

 玄関とおぼしき板の前に腰に刀をさした男性が二人立って見張りをしていた。着物はわざとらしくはだけており急いで此所に来たという事態が垣間見えていた。 

 中にはまた男性が数十人、まあるく円を画く様に真ん中で一人の少女が縄で縛られていた。 


「お嬢ちゃん、気分はどうだ?」 


 まあるい円になり、少女の周りを囲んでいる中の一人の男性が幼児に対し笑いながら質問をした。 

 艶のあるおさげの黒髪が揺れ、珊瑚色の淡い瞳の奥には意志が、何事にも動じない様な心構えがあるように思えた。 

 自棄に反応のない少女に男性は段々と苛つきを覚えていた。いつも、これ位の歳の子供なら泣き喚き殺さないで。と自分たちに頭(こうべ)を垂れながら嘆願してくる筈が、この幼児にはそんな素振りを見せる様子もなかった。

「私を殺すの?」彼等からすれば拍子抜けした言葉である。

「さぁな、お嬢ちゃんが大人しくしていれば痛い目みずにお家に帰れるかもな。」ねっとりとした、生暖かな視線が少女の小さな身体に集中していた。

 彼等の目的はただ、自分たちの欲を満たす。ただそれだけであった。

「二十と四日前は、顔立ちが綺麗な姉ちゃんだったからな。」「たまには、幼子のぼぼも味わいてぇな。」

 少女の目の前で下劣で卑猥な会話が繰り広げられ、「という訳だ、お嬢ちゃん。大人しくオレ達の処理に、付き合ってはくれねぇか?」にんまりと、この集団の「かしら」とおぼしき男性が面と向かって少女に性の奴隷になれ、と言ってきた。

「残念ながらー」ちらりと少女はその集団の背後を見据えた。


「人の女に手を出した罪は重いっておまえら知らねえか?」


 途端に周りがざわついた。

 それもその筈、

 今まで誰一人としていなかった空間に突如、見知らぬ声がしたからだ。

「ほらよ、手前ぇらの大事なお仲間さんだ。」ひょいと二つのなにかが宙を舞った。

「!!ひぃ、く、首じゃ!!」「てめえ、よくも権之助と佐吉を!!!」周りの男たちは次々に腰の刀を抜いていく。

「じゃあさっさと、その後ろ手に縛られてる子供を寄越せ。死ぬのは嫌だろ?」包帯の中から垣間見える瞳には異常なほどの殺意があった。

 彼等は生唾を飲み込み、少女までの道を作り、そこを空けた。

 下駄の鈍い音が徐々に近くなっていく。

「黒羽(くれは)。」少女とおぼしき子供の名を呼んだ。

「うしろががら空きだぁあ!!!」一人の男性が突如として斬りかかる。

 鈍い音が走った。

「なっ、、!?」最初に声をあげたのは斬りかかった男性の方だった。「焦るなよ、お前ら全員殲滅だ。」素手で刃を受け止めた彼の実力はこんなものではなかった。一気に腰にあった刀を引き抜き、その場で一文字を描いた。

 僅か刹那の勢いであった。

 次々と血飛沫がたち、周りは血の鉄錆びの香りと色で充満した。

「くそがああ!!」何を思い激昂したのか彼等は全身全霊を以て斬りかかってきた。

 次々と屍が山をなしていた。少女は別段驚きもしなければ、怖がることもしなかった。

「さぁて残りは頭領さん、あんた一人だ。」未だ返り血を一滴も浴びていない、男性の実力差は今窮地にたたされている男でもわかりうる実力だった。

「殺せ。」「成る程、潔い。」最後の首がとんだ。切れ目からは先程と同じく大量の血が

 噴射し、辺り一面屍の山で埋まった。

「大丈夫だったか、黒羽。」先程の殺気はどこへいったのか、少女に対しては至極柔らかな対応であった。

「は、はい。っ、あの」「なんだ?」指が縄にかかる。「私一人で勝手な行動を、怒ってますよね、」縄がするりとほどけた。「気にしちゃいねえよ。って言ったら嘘になる。しかも、あんな奴等にこんなあられもない姿を見せた部分に関しては」と、

 少女を抱き上げ地面に座り、自分の方に少女を向かせ膝の上に座らせた。

「ちぃーっと仕置きが必要か?」

 少女の頬を自身の親指で撫でると、瞳からほろほろと涙がこぼれ落ちた。

 いきなり泣かれてしまっては、男性も「お仕置き」の名目などすっかり拍子抜けしてしまった。「おいおい、まだなにもー」と、轟がいいかけたと思いきや、

「ごめんなさい。」弱く、か細い声が轟の耳についた。「ごめんなさい。」ということばにはどんな意味が込められているのか、男性はそれをさも知っているかの様に、今度は少女の頭に自分の掌をのせ「!轟さ、やめてくださ、、髪の毛が乱れちゃいます!!」少女が先刻とは真逆の言動をとるまでおおきな掌で頭を撫でたのだ。

「やっぱり、しんみりにしてるよりかこっちの方が愛嬌があるわな。」

 そう言い放った男性の表情は安堵の表情を見せた。

 少女は自分に向かって笑いかける男性を直視することができなかった。

『恥ずかしい』そんないたいけな気持ちとは裏腹に男性はおもむろに少女を抱き抱え、「しっかり捕まってろよ。」と、念をおしたかと思うと脚にちからを入れた。

 風が不意に少女の肌を撫でると同時に周りの景色が変化した。


 此所までを追えば彼等がどんな生活をしているか大体の想像はつくだろう。


 男性の名は轟 慟鹿(とどろき どうろく)

 少女の名は黒羽(くれは)といった。 

 彼等は二人で一人前でもあった。


 鈍い鉄錆びた匂い。鼻をつく腐臭。


 肉が裂かれ、骨が砕かれ、断末魔を待たずして死を足早に追う音。


 冷えきった、陽の当たらない地面に花は咲けない、それらが枯れていくのを只待つだけ。


 彼等を纏った空気は最早普通の人のものではなかった。

「轟さん...」黒羽は口を開けた。「なんだ?」轟は真っ直ぐ前だけを向いていた。

「少し、眠ってもいいですか?」まだ小さい体に、疲労感が蓄積されていた。

「ああ...今のうちに寝ておけ。」優しさを含んだ声だった。「ありがとう、ございます」そう言うと、寝息をたてながら眠りにおちていた。

「すまねぇな、黒羽。」聞こえている筈のない黒羽に対し、轟は罪悪感を覚えていた。

 助けた時には笑っていたが、内心は他の子供よりも数倍、畏怖していたのだろう。体にはまだ縛りつけられていた時の、縄の痕がくっきりと刻まれていた。

 彼等にはいまに至る経緯がある。

 彼等にはいまを作る過去がある。

 彼等にはいまを繋ぐ人がいる。


 此の物語はそんな、彼等の今をつくりだす物語である。


「おとうさま、おかあさま、いってまいります。」

また、このゆめ。

黒羽は時時過去の夢を見た。正直に謂えばあまり思い出したくはない夢である。




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明治悦焉奇譚 梅ヶ枝 @dagasikasi

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