第60話 許された場所

 店の前に、箒を手に道を掃いている背中を見つけた。その箒は、間違いなく自分が道端に放り出して行ったものに違いない。

「あのぅ……」

 おずおずと声を掛けると、その人物、浪瀬シロセは勢いよく振り返り、美玻に怒ったような視線を向けた。そして、当然のごとく一喝される。

「お前は、掃除も満足に出来ないのかっ」

「申し訳ありませんでしたっ」

「……掃き掃除がお嫌で、たった一日で箒をほっぽり出して逃げ出した娘さんが、今更何の御用がおありなのでしょうね?」

 言葉遣いが丁寧になった分、怒りが増大したと見ていいのだろう。

「本当に御免なさい。あたし、心を入れ替えて今度こそ、きっときちんとやり遂げますから、掃き掃除っ!」

 体が二つに折れるぐらいの勢いで、美玻は頭を下げる。と、

「……いきなり姿を消したりして、旦那様が、どんなにご心配なさったと思うんだっ。全く、お前は……一年近くも、便りの一つも寄越さないで。まずは、旦那様に顔を見せに行け。それから、お前の仕事は、掃き掃除ではなく、倉庫の在庫の管理だそうだから。手順を説明するから、仕度が出来たら来い」

「……分かりました」

 答えながら、店の中から小僧が手招きをしているのに気づく。どうやらその小僧が、鴒帆の所まで案内してくれるらしい。



 その道々、

「浪瀬さんはですねぇ……」

 小僧が面白がって、何事か話し始める。

「それはそれは、美玻さんのことを心配なさっておいでだったんですよぉ。暇を見つけては、毎日毎日、箒片手に往来に出て、その辺にあなたの姿が見えないかと探しておいでで……」

「え……そうなの?」

 言えば、旦那様がご心配なさっているからだと、そう言うのだろうが……。

 まあ、根は良い人の様だ。彼の商人的思考に慣れるには、時間が掛かりそうだが。


――というか……あたしの周りって、どうして、こう怒りっぽい人が多いのかしら。


 そんなことを漠然と思いながら、ふと、自分はここにいることを許されたのだと気付く。

 瞬間、美玻の心には感謝の思いが溢れた。

「……お姉さん、どうかした?」

 笑い話をしたつもりが、思いがけず美玻が涙ぐんだことに、小僧が困惑したように訊く。

「ううん、何でもないよ」

「……あのさ、浪瀬さんは、よく怒るけど、それは僕たちがへました時だけで、根は良い人だから、大丈夫だよ?」

「うん、知ってるよ」

 美玻が笑顔を見せると、小僧が安心したように笑った。


――大丈夫。あたしはもう、大丈夫だから。ねえ、あなたは?あなたはもう……大丈夫?


 自分にその護符を与えてくれた人は、やはりその同じ護符を心に貼り付けて、どこかで元気にやっているのだろうか。




「浪瀬さぁん、この包みは、どこに積めばいいんですかぁー?」

 大きな声を出すと、倉庫の奥の方から、浪瀬の声が途切れ途切れに返って来る。

「それは……夕李ユイから仕入れた薬草ですから……検品してみて……ください……」

「検品ってぇー?」

「包みをっ……ひとつ開いて、中身を確認……ですっ」

「わかり、ましたっ」

 美玻はがさごそと音を立てながら、商品を包んでいる紙を丁寧に開いていく。包みを開けると、ふわりと甘い花の香りが立った。中には、真紅の花弁を乾燥させて縮れた状態にしたものが入っていた。


「きれいな紅色……もしかして、これが玫瑰かしら」

 何だか懐かしさを覚えて、しみじみと見入る。

「あれ……なんだろう、これ」

 その花弁の下の紙に、何か落書きのようなものが描き込まれている。美玻は興味を引かれて、そっと花弁の山を崩して紙の隅へ寄せていく。寄せながら、その手が思わず止まった。


――これ……落書きなんかじゃない。


 そこには見事な絵が描かれている。

 誰かの肖像のようだと思いながら、注意深く花弁を掻き分ける。すると、円を描くように丸く避けた花弁の輪の中に、少女の顔が現れた。

「……これ……あたし……?」

 思わず声が出た。

 そして、その瞬間に確信した。


――スズリ。


 これを描いたのは、きっとスズリだ。

「何だ……元気でやってるんじゃないの……よかっ……た……」

 止めようもなく涙が込み上げて来て、美玻は場所も憚らず声を上げて泣いた。


 それから、驚いた浪瀬が駆け付けて来る途中で、荷物に躓いて捻挫をする羽目になった。そのせいで、ちょっとした騒ぎになり、結果、その絵のことは鴒帆の耳にも入った。

そして――




 夕李ユイへ向かう街道を、荷を積んだ馬車が行く。手綱を取っているのは、美玻だ。

「そろそろ代わろうか……?」

 荷台の後ろから、鴒帆が声を掛けた。

「まだ、平気です。あの……本当に、店を放って来ちゃって良かったんですか?浪瀬さん、足が大変なのに……」

「なぁに、座ってたって、采配は取れるし、心配ねえよ。それより、戦が終わったとはいえ、北の方はまだごたごたしてるしな。娘のひとり旅なんかさせらんねえよ。危なっかしくて」

「わがまま言って、済みません、本当に」

「本当は、そろそろ旅が恋しくなってきてたとこだ。何しろ、浪瀬が危ない危ないと、鴻から外に出してくれなかったからよぉ。それに、一応は仕事、だしな」

 鴒帆が、積み込んだ荷物をぱんぱんと叩く。

「そうですね、仕事ですね、仕事」


 美玻が夕李に行くと言い出した時、初めは反対していた浪瀬だが、その決意が固いと知るや、いつの間にかそちら方面で商いする為の荷をまとめ上げていた。本当に頭が下がるばかりだ。ただ一枚の絵だけを手掛かりに、探しだせるかどうかは分からない。それでも、美玻は旅立つことを躊躇わなかった。


 スズリがずっと出会いたいと願っていた、たった一人の人間に、自分はなりたいから。

 だから、再び会うことができたなら、嬉しいことも哀しいことも、抱え込んだこと全て、吐き出して話して欲しいと言おう―― そう心に決めていた。




 スズリを探す旅は、雲を掴むようなものになるのだと思っていた美玻だったが、鴒帆曰く「俺たちは天を味方につけている」という、どうにも都合のよい言葉の通りに、数か月後、夕李に到着して程なく、彼らはあっけなくスズリの消息を知る事が出来た。鴒帆の能力について知らない美玻には、まさしく天を味方に……あるいは紅澪が何らかの力を貸してくれているような、そんな気にすらなったのであった。



 あの運命の夏至の日から、三年の月日が流れていた。


 そしてその同じ夏至の日、北の大地は短い夏を謳歌するように穏やかな光の中にあった。


 その光の中、玫瑰の花が咲き誇る野原の片隅に、美玻が会いたいと願い続けていた人の姿はあった――

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