第50話 兄、燥怜
涼璃が龍の探索の後に、その鱗を手に入れ、更に龍の太刀をも手に入れたのだと聞いた燥怜は、深いため息をついた。
「結局、涼璃は過去を振り切ることが出来なかったのだな……この期に及んで、父を弑したところで何になる。この宮廷は、もはや、あれが居た頃と同じではないというのに。
「……」
鴒帆は神妙な面持ちで、燥怜の言葉を聞く。
津澄はその犯した罪により、今も牢獄に繋がれている。だがそれは、津澄にとっては、涼璃が思うような、屈辱でも絶望でもなかったのだ。というのも、その有能さが葬り去られることを皇帝が惜しんだ結果、彼は牢獄に居ながらにして、実質的に国を仕切る宰相の役割を担うことになったからである。
近頃では、政治に興味の薄れた皇帝に代わり、事実上、津澄が国を動かしていた。勿論、この事はごく一部の人間しか知らない、極秘事項である。牢獄の外に出られないこと以外、津澄は何不自由のない生活をしている。この鴻の実質的な支配者として。そして燥怜は、そんな津澄と外の世界の橋渡しの役を負っていた。
涼璃は、津澄を罪に問うた皇帝を退ければ、津澄の罪は帳消しになり、彼が新たな皇帝になれると考えている。そして、津澄の罪が消えれば、彼の母の罪もなかった事になると信じているのだ。
だが、津澄はそんな自由など、望んでいない。皇帝が生き続ける限り、津澄は自分の思うままに国を動かし、民を支配できるのだから。津澄の世界は、不老不死の皇帝の存在を肯定することで始まった世界。そして、狭い牢獄の中にいながら、広い世界を自由に動かすことのできる世界なのだと言えた。
「故に、今更、皇帝の存在を否定する者の出現など喜ぶ筈もないのだがな」
「それを、燥怜様からおっしゃって頂く訳には参りませぬでしょうか。涼璃様は、長く都を遠ざかっておいで故に、世情がお分かりになっておられないだけなのですから、順を追ってお話しになられれば、きっと……」
「話そうにも、行方が分からぬではな。しかも、すでに龍の飾り太刀を手にしてしまっていおるのでは、探しようがない」
「それはどういう……」
「龍の神力を宿す太刀には、余人の目から身を隠す力があるのだ。つまり、今この目の前に涼璃が立っていようとも、我らにはその姿が見えぬ。向こうから姿を現すのでなければ、探しようがないということだ」
「……そんな」
美玻が思わず漏らした失望の声に、燥怜の射るような視線が向いた。不遜であるのは分かっていた。だが、美玻はその視線を受け止めて、更に言った。
「どうして、お止め下さらなかったのですか。こうなる前に、あのお方を呼び戻すことだって、あなた様になら、お出来になった筈です」
「……言いにくいことを、はっきりと言う娘だな」
燥怜が冷笑した。
「世間知らずの感傷に付き合ってやる程、私も暇ではないのでな。呼び戻す為の使者は送ってやったぞ。そうだな、鴒帆」
「……はい」
「思い留まるようにと、すでに警告は与えてあるのだ。それを、あれは自ら望んで道を踏み外したのだろう。……違うか?折角、闇とは無縁の外の世界に放ってやったものを。かような理由で舞い戻ってくるとはな。全く、救いようのない愚か者ではないか」
「それでは、ただ愚かと哂い、このまま何もせずに、お見捨てになるお積りですか」
尚も言い募る美玻に、燥怜のどこか蔑むような声が訊く。
「そなたは、涼璃が大事か?……まあ、大事なのだろうな、こんな所まで来て、身の程知らずにも、この私に意見しようと言うのだから」
「大事です。彼は、苦楽を共にした大切な仲間ですから」
「仲間?」
燥怜が意外そうな表情を浮かべ、次いで失笑した。
「……何か、可笑しいですか?」
「いや……そうか、仲間か……」
意味ありげに忍び笑いをする燥怜に美玻が顔を顰めた横で、鴒帆が言った。
「燥怜様、私からもお願い申し上げます。どうか、今一度、涼璃様をお止する手立てをお考え下さいませぬか」
「そう言われてもな。……鴒帆」
「はい」
「涼璃は、我が放った矢ぞ」
「……?」
言われた意味が分からなかった。涼璃が、燥怜の命で動く人間だということなのかと思う。
「一旦弓を離れて飛び去った矢を、引き戻すことなど出来はしないのだ、鴒帆」
「どういうことにございましょう」
「実はな、私は津澄殿と賭けをしているのだ」
「賭け、でございますか?」
鴒帆が尚も話が見えず、怪訝な顔をするのを、燥怜は面白そうに眺めながら言う。
「そう。それ故、涼璃が比奈の希物を探して、かの国に潜入していると知り、あれが希物に近づけるように機会を作ってやったのだよ。つまり、この私が、希物を献上すべしと、比奈王に使者を送らせたのだ」
「それは……どういう」
「そんな些細なきっかけで、この世界が変わるのかどうか、と。それが、賭けの内容だったからな」
「燥怜様……」
鴒帆は呆然とする。
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