第49話 閉ざされたままの心

「嘘……よね……?」

 美玻の動揺具合を見て、鴒帆が申し訳なさそうな顔をする。

「嘘じゃねぇ」

「嘘ぉ……」

 美玻は頭を抱えて、その場にへたりこんだ。


――同じ王族とかでも、せめて周辺七国の王子様ぐらいにしておいてよ。よりによって、何で大鴻国の皇族?


 あまりに途方もなさ過ぎて、美玻は途方に暮れる。スズリ以前に、そんな大事に関わったら、いずれにしろ只では済まない。もう単純に怖ろしい。

「しっかりしろよ。そりゃ、皇族様は確かに大層なお方だが、人外のもんでもあるまいし、話が通じないって訳でもないんだから」

 見上げた鴒帆には、動揺の欠片もなく、ただ困ったような笑みを浮かべて、美玻を見下ろしていた。鴒帆には、いつものことなのだ。そう考えると美玻の動揺は収まって行く。

「そう、ですよね」

 自分に気合を入れて、立ち上がる。


――今更……そう今更じゃない。


 何度も怖い目に遭わされて来た。死ぬような目にだって。自分はそれを、全部乗り越えて来たではない

か。


――龍とだって渡り合ったのよ。それ以上に、大変なことがある?それに……あたしは、きっと運が強い。


 何の根拠もないが、そう信じ込むことで、美玻はどうにか平静を取り戻した。




 燥怜が住まう御殿に着き、鴒帆が来訪の用向き――表向きは、都へ帰朝した挨拶の為としてあった――を伝えると、彼らはすぐに、控えの間に通された。そこでしばらく待つと、馴染みの侍従が顔を出し、燥怜様はただいま宮殿の方へお出かけであるから、ここでしばらくお待ち頂きたいと告げに来た。


「ああ、そう言えば、観月みづきの宴がもうじきでございましたか……」

「左様で。燥怜様におかれましては、陛下直々に宴の仕切りを任せられました由。ここ数日などは、昼も夜もなく飛び回っておいでにございます」

「それは、お忙しい所にお邪魔してしまいましたな」

「いえ。鴒帆殿の旅の土産話など、燥怜様は楽しみになさっておいでにございますれば、きっと、ご来訪をお喜びになられましょう」

 侍従はそう言うと、丁寧に会釈をして退出して行った。



 ところで、二人が鴒帆の店を出て来たのは、午前中のことであった。

 が、燥怜が姿を見せないままに、いつしか陽は天頂を過ぎていた。

 しばらくお待ちくださいと言って、侍従が姿を消してから、お茶が運ばれ、昼食が運ばれ、美玻は鴒帆とふたり、それらを順に片付けていくことになった。


 室内の調度も、お茶や食事も、それが入れられて来る器の類も、何もかもが、豪華の一言でしか表わすことしか出来ない。皇子というご大層なお方と対面するのだということを忘れ、とても上等な宿に、遊びに来たのではないかという錯覚すら芽生え始める。そんな現実離れした状況に、気持ちは緊張しの通しで、いたずらに疲労が積み重なって行く。

 そんな時間の果てに、ちょうど女官が五度目の茶器を運んで来たのと時同じくして、燥怜がようやく姿を現した。


――このお方が、スズリの兄君……


 そう思って見れば、目元など少しは似ている感じはする。だが、全体的には、恰幅が良く覇気に満ちた兄君の様子は、線が細く穏やかな空気を纏っていたスズリとは、あまり似ていなかった。


 長い待ち時間の間に、鴒帆から聞いた話では、皇帝には両手に余るほどの妃がおり、皇子は十三人、姫皇子は二十五人にも上るのだという。つまり、燥怜とスズリは母が違うのだ。スズリの母は十年程前に、すでに亡くなっている――正確には、罪を負い処刑されたのだという話である。


 その母の死を境に、スズリは変わったように思うと鴒帆は言った。真相は分からないが、スズリは母に罪があったのだとは認めておらず、その事が、恐らく彼が父に刃を向けさせる最大の理由なのではないかと、鴒帆はそう言った。


『……忘れる努力をしたのですよ。そう……生きていくのに必要だったからですかね』


 そんなスズリの言葉を思い出す。全ての感情を殺さなければ、やり過ごすことの出来ない程の絶望は、きっと彼の心に深い闇を生んだのだろう。それをスズリは、未だ心に抱え込んでいるのだ。


 燥怜は、宮廷で居場所を失ったスズリを、その外に出してやることで救ったのだという。だが、そんな燥怜にすら、スズリは心を閉ざし、何も語りはしなかったのだ。自分が失ったものを全て持っている者に、失った者の思いが分かる筈がないのだという様に壁を作って。そして語られなかった言葉は、様々な負の感情を絡み付かせたまま、彼の感情をゆっくりと壊して行った。


 長く旅を続け、各地を放浪しながら、それでも彼は出逢う事が出来なかったのだ。

 美玻が、鴒帆にしたように、胸に溜まった言葉を、吐き出す相手に。

 だから――

 ずっと側にいながら、自分にはその力が無かった。スズリに頼るばかりで、彼が抱えているものの重さを察することすら出来なかったのだ。美玻は自分の不甲斐なさに、泣きたくなった。

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