第47話 幸せだった
「美玻」
「……はい?」
「皆までは言えないが、涼璃様というお方は、鴻の身分のあるお方でな」
「え……スズリ……が?」
その物腰の柔らかな様子は、実はそうなのだと言われた方がしっくりと来た。
「そう……だったんですね」
「ああ、俺の店の上客の一人であるお方の、弟君で馴染みのあるお人だ。その涼璃様が、千陶に依頼した飾り太刀は、人を斬ることは出来ないが、もしそれが本当に龍の鱗で作られたものなのであれば、ただ一人、それによって命を奪う事の出来る人間がいる」
「命って……スズリは、何をしようとしているの?」
「恐らく彼は、父君を殺そうとしている」
「……そんな……」
美玻が言葉を失った。
あの穏やかなスズリが、よりによって、自身の父親を手に掛けようとしているというのか。
――そんな怖ろしいことの為に……
彼は鱗が欲しいと言ったのか。その霊薬の力で、誰かを救うためではなく。
――大切な人を救うからだと。
その言葉は偽りであったというのか。
「……そんなことの為に……」
――沖斗は命を落としたのか。
「美玻?……大丈夫か……」
いつしか美玻は、鴒帆の袖を引きながら泣いていた。
「……駄目だよ……そんなの……そんなこと……スズリが……するなんて……そんなの……スズリがスズリじゃ無くなっちゃう」
「ああ、そうだな。涼璃様に、そんなことをさせる訳にはいかない」
「鴒……帆……」
「俺は、止めに行くぞ。お前は、どうする?」
美玻が俯いていた顔を上げた。
「行きます」
鴒帆は、その真っ直ぐな目を見て思う。
――そうか。
その目が、玻璃のように透明で穢れのないものだったから……
初めて美玻に会った時に感じた予感は、これだったのだと思う。この娘は、弱々しく見えても、芯は強いのだ。この目に宿る強い光ならば、涼璃がその心に抱え込んだ闇を消し去ってくれるのではないかと。自分はきっと、そんな期待を抱いたのだろう。
「……お前に出会えて、良かった」
鴒帆がそう言って笑顔を見せると、美玻も涙を拭い笑みを返した。
『……大丈夫、何とかなる、と。そう思っていれば、大抵のことは乗り越えられるものですよ』
――不思議。
スズリに貰った言葉が、今はそのスズリを救うために行動するための勇気の源になっている。
――もうだめだと、心を折ってしまえば、そこで終わりなんだよね、スズリ……だから、あたしは、まだ諦めないから。
そして今、護符のように、その言葉を自分の心に貼り付ける。――きっと、大丈夫、と。
二人は、その日のうちに、鴻の都を指して出発した。
もう、二度と会う事はないと思っていた。それが思いがけない縁の糸に導かれて、美玻は再びスズリと会おうとしている。その面影に引き摺られて、今まで考えないようにしていた探索の旅のことが、次々に思い浮かんだ。旅は辛いことの方が多かった筈なのに、浮かんでくるのは、不思議と楽しかった遣り取りばかりだ。そして――
『一人で抱え込むから、怖いと思う。その怖さを、声にして体の外に出せ』
大切なことも、沢山教えて貰った気がする。
「ねえ、鴒帆さん……」
美玻は、隣で手綱を持つ鴒帆に声を掛ける。
「……話を……長い話を聞いて貰っても構いませんか?」
「話?」
「はい……あたしがスズリと出会って、共に龍の探索へ赴いた旅の話です」
「……比奈の?」
「はい」
「って……いいのか?」
鴒帆がどこか心配そうな目をしている。
「ただ抱え込んでいても、何も変わらないような気がするから。いっそ、吐き出してしまえばいいのかなって……」
何となく、この辛くて重たいものを抱え込んだままの自分では、スズリを止めることなど出来ない。そんな気がするのだ。
「別に、同情して欲しいとか、そういうのじゃないので……ええと……そう!ただの、愚痴ぐらいに聴いて頂ければ」
「いいよ。気の済むようにしたらいいさ」
鴒帆があっさりと言った。
「そうだな、聴き賃として、面白い内容だったら、本にして売り出すってことで手を打とう」
「えぇ?聴き賃って、話す方が払うんですかっ?……普通、逆なのでは……?しかも、本って」
「商人は、いつ何時たりとも金換算を忘れてはならん。時は金なり、だ。商いに関わろうと思うなら、そういう感覚を磨け。金、金、金、だ」
「……金、金、金、ですか」
「そう、金だ」
鴒帆が諭す様に言い、満面の笑みを見せる。そのお金に対する執着心を見せつけられて、自分には果たして商人の素養があるのだろうかと一抹の不安が過った。
「さあ、それでは話したまえ」
「はい……」
美玻は苦笑しながら話し始める。
話し始めてすぐに、辛いばかりの話が、聴き手を得たことで、違う色を見せ始めたことに気づいた。不幸という枠の中で混沌としていた様々な出来事が話すことで整理され、また整理されたことで、ただ不幸なばかりの話ではなくなっていく。そして話しながら、旅の間、ふとした瞬間に感じた、穏やかで優しい気持ちがさまざまにあったことを思い出す。
泣いていた時に掛けて貰った言葉。
そっと背中に回された腕の温もり。
何でもないことが可笑しくて、互いに笑い合った食事の時間。
それは、心がほっとするような、温かな気持ち……。
紅澪に訊かれた時には思い付かなかった。でも、もしかしたら、そういうのを、ほっこりというのではないか。
――幸せって……どういうことを言うの?
『……そうだな。心がほっこり温かくなる感じ?』
旅の間はずっと不安と背中合わせで、気付くことが出来なかったけど、幸せって、そういうことなのではないか。
――やっぱり、話して良かった。
大事なことに気づけたことを嬉しく思いながら、美玻の話は鴻へ入るまで続いた。
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