第46話 スズリの消息

「背に負うようなでっかい代物で、ここから太刀を削り出してくれないかと、そう言われた。一見玻璃かと思ったんだが、硬度が全然違ったんで、これは一体何だと聞いたら、そいつは龍の鱗だと……」

 その男は、どこか冷めたような笑みを浮かべそう言った。どこか人をからかうような感じでもあったから、その言葉が本当なのかどうかは分からなかった。

「……それでも、これまで触ったことのないようなものだったから、或いは本当にそうだったのか……とな」

「それで……千陶、お前まさか、その太刀を削ったのか?」

 鴒帆の声には、どこか千陶を責めるような色があった。

「ああ、なかなか立派な飾り太刀になったぞ」

「飾り太刀ということは、人を斬るものではないということでしょうか……」

「そりゃぁ……飾り太刀だから、祭祀なんかに用いるもんなんじゃ……」

 そう答えて千陶は、そこで初めて鴒帆が難しい顔をして考え込んでいることに気づいた。

「……違うのか?」

 千陶のその問いには答えず、鴒帆は質問を返す。

「その男は、どんな奴だった?」

「どんなって……背が高くて、若い感じだったな。顔は下半分を面布で隠していたから、良くは分からない。……ああ、そうだ、左の手の甲に、何だか花の刺青みたいのがあったな。ちらっと見えただけだが、珍しいんで眼に止まった」

「花の刺青?」

 では、その男は涼璃ではないのか。皇族である彼が、自らの身を傷つけるようなことをする筈がない。龍の鱗というのも、その男の戯言だと思っていいのかも知れない。どこか胸騒ぎを覚えながらも、鴒帆はそう結論付けた。しかし――


「その花って、梔子の花ではなかったでしょうか?」

 美玻の思い詰めたような声が訊いた。

「梔子……と言われればそうだったかも知れないが、何しろ、一瞬のことだったからなぁ……って、おい、どうしたよ」

 美玻が、いきなり腰が抜けたように、そこに座り込んだ。

「どうした、美玻」

「……ズズリ……」

 少女の口から洩れ出た名前に、鴒帆は言葉を失う。


――美玻は今、涼璃と言ったのか。


「……スズリの左の甲には、比奈の王女様に押された焼印の跡があるんです……王女様のご紋である梔子を象った印の跡が……」

「まさか……本当に涼璃様なのか」

「え……?涼璃様?」

 訊き返されて、鴒帆は自分が思わず声を出していたことに気付く。

「……鴒帆は……スズリを知っているの?」

「……いや」

 美玻の縋るような眼に、鴒帆は困ったような顔になった。その男が本当に涼璃なのであれば、千陶が削ったのは間違いなく、龍の鱗の太刀だということになる。そして、恐らく涼璃はそれを持って都へ向かった。


――何てこった。まさか、涼璃様がそんなことを考えておられたなんて……


 鴻の皇帝は、龍の鱗から作られるという不老不死の霊薬を飲んでいる――と言われている。

 そして俄かには信じ難いことだが、その肉体は文字通り不老不死なのだと――そう、言われている。


 宮廷の周辺にはまことしやかに囁かれ続ける、そんな噂があった。

 流石にそれは巷説の類であろうと、鴒帆は思っていた。齢百歳を越えている筈の皇帝の姿が、未だ壮年の若々しさを保っているのも、数多の強壮の薬草を服用しているから。或いは、その仁徳故だという方が、まだ飲み込みやすい。要するに、その肉体が不死であるという部分に関しては、全く信じていなかったのだ。


――本当に、不老不死なのだとしたら。


 伝承に曰く、龍の鱗の霊薬を飲み、不老不死の力を得た者を滅する唯一の方法は、同じく龍の鱗より削り出した刀によりて、その身を刺し貫くべし……とある。

 もしも、それが現実にありえる話なのだとしたら、涼璃は父皇帝の暗殺という大罪を犯そうとしている、という事になるのではないか。



『鴒帆、お前は、この世界が変わる様を、見てみたくはないか?大王の玉座に居座る忌まわしき悪霊が討ち払われる瞬間を、見てみたくはないのか……』



――涼璃様は本当にそんな大それたことを、なさるお積りなのか……

――そして燥怜様は、恐らくそれに気づいておられる。


 気づいていたにも関わらず、燥怜は、涼璃を止めよとは言わなかった。ただ、自分の言葉を伝えさえすればいいと。それは、どちらでも構わないということなのか。涼璃の意志が、世界が変えても、変えなくても……燥怜はただ、傍観しようとしているのだ。一つの運命が、どちらに転ぶのかを。


――しかし、燥怜様……それでは、涼璃様は確実に……


 どちらに転んでも、涼璃を待っているのは破滅でしかない。未だ、あの津澄に固執する弟を、燥怜はもう、見限ったとでも言うのか。

 だが自分は……


「……鴒帆さん……鴒帆さんっ」

 我に返ると、美玻と千陶が揃って、真剣な眼差しで自分を見据えていた。

「鴒帆、もしかして俺は……いけないものを作ってしまったのか」

 千陶が鴒帆の様子を伺うように、力のない声で訊いた。

「そんなことは……させねぇ。お前の誇りに傷を付けるような真似は、この俺がさせねぇよ」

 真実を知った以上、ただ見ているだけなど、自分にはできない。

「行くぞ、美玻。すぐに出発する」

「え……はい」

 鴒帆は挨拶もそこそこに、千陶の工房を出て、通りを大股で歩いて行く。美玻は、渡された玻璃鏡を慌てて布に包み懐にしまうと、小走りになりながら、どうにかその横に付いて歩いた。

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