第30話 絵師の身の上
こんな秘境に、人の気配がある。
スズリは数日前から、自分たちの後を付いて来る者の気配を感じていた。
その日は、前日に洸由と沖斗が珍しく野兎を数羽捕まえてきていたから、スズリは石を積み上げた竈の側で獲物の解体をしていた。自分で思うよりも、作業に没頭していた様で、ひと段落ついて顔を上げた時には、近くに他の三人の姿はなかった。
薪が来なければ、火は起こせないから、スズリは湧水で手を清め、近くの岩の上に腰を下ろした。見上げた空は高く、朱に染まりかかった雲がゆるやかに流れていく。
――もう、すっかり秋だな。
今朝方には、風花が舞っていた。
こんな山奥では、冬ももう間近だ。
洸由は、もう一度風花を見るまでは、探索を続けると言っていたが、それでも、それも両の手で数えられる程の日数しか残っていないのだろう。探索の最初の年から目的のものを見つけられるとは思っていなかったが、ここまで来ても尚、龍は遠いのだと感じる。
今回は、運よく偶然が重なって同行を許されたが、美玻も随分と成長して遠見の役割を理解し始め、洸由や沖斗とも打ち解けたとなれば、来年、比奈の人間ではない自分が、探索に同行を許される可能性は低い。
――まあ、そうなればそうなったで、密かに後を付けていくだけの話だが……
カサリと、葉の擦れる音がした。
すぐ近くに、その気配はあった。こうしてスズリが一人の所を狙って近づいて来たのだとすれば、相手の興味があるのは、比奈の龍探索ではなく、スズリの方だということだ。
正直に言えば、刺客の類を送り込まれる心当たりは、幾つかはあった。感覚を研ぎ澄まし、相手の気配を探る。スズリ個人に用があるのだとしても、龍の探索も大詰めの今この場所にやってきた人間を、そのまま帰す訳にもいかないだろうと思う。自分がここにいることを、知られる訳にはいかないからだ。面倒くさいと思いながらも、スズリは懐に忍ばせていた小刀を掴む。
「何者か」
強い口調で誰何する。
すると、少し離れた藪から、ガサゴソと大きな音がして、思いがけずあっさりと一人の男が姿を見せた。
「
そう声を掛けて、スズリの側に寄ると、男は畏まって頭を垂れた。
「お前……
見知った男だった。
商人――しかも、生え抜きの鴻商人だ。
そして彼は、スズリが旅に出る時にはいつも、その準備を請け負ってくれている人物であった。特別な事情を抱えているスズリにとって、数少ない信用の置ける人間である。
特別な事情――それは、スズリが鴻国第十三皇子という立場にありながら、密偵として各国を巡っているという事情であった。
その彼が何故、こんな山奥にいるのかと思う。
商いで他国へ出向くことが無い訳ではないが、流石に、この比奈の山深い秘境で行き会うには、相応の理由が必要だった。
「ずっとお探し申し上げておりました」
「探していた?この私を?……何故」
スズリが怪訝な顔をすると、そこで
「
「兄上の……」
兄の名を出されて
二人の年の差はたった三つであるが、その間には五人の皇子がいる。鴻の皇帝には子が多かった。
これまでずっと、スズリの旅の行く先を決めていたのは、この兄、燥怜だった。スズリは燥怜が望む場所へ赴き、彼が望む情報を集めていたのだ。だが、今回の龍探索は、スズリが独断で行っていたものだった。それに関して、報告も上げていなかったし、勿論兄の了解も得ていなかった。このようにスズリが勝手な振る舞いをして、その消息を絶つと、決まってこの
それというのも、
事実、毎度こうして自分の行き先を突き止められている訳であるから、あながちハッタリという訳でもないのだろう。
「涼璃様には、すぐにお戻り頂く様にと。それが、燥怜様の……」
「戻れと?……すぐに?……馬鹿な。ここから帰れというのか?」
「御意にございます」
「……ありえぬ」
――今が一体どういう状況か……それを戻れ?龍を目前にして……戻れと?断じてありえない。
「龍には関わってはならぬと。それが燥怜様からのお言葉でございます」
瞬間、耳を疑った。
「……私が……龍を探していたことを、兄上はご存じだというのか?」
そんな素振りを、自分は一度だって見せたことはなかった筈だ。
龍探索は、スズリがその胸の内に秘めていた、誰にも明かしていない望みに関わるもの。
それが見透かされた。
そのことが、信じられなかった。
「私の意見をお許し頂ければ、燥怜様は、恐らく、すべてをご存じなのだと思いますよ。あなた様が、龍の鱗を手に入れ、何をなさろうとしているのかも……」
燥怜は、その情報収集能力の高さによって、兄弟の中でも一目置かれ、父皇帝にも高く評価されている存在なのだ。その事実を、スズリは改めて思い知る。自分のような情報収集者を、兄は世界中に放ち、日々彼らからの報告を受け取っている。
だから、龍の探索に関わったことが知られているのだとすれば、鴒帆の言う様に、それはもう、全てを見通しているのだろう。だからこそ、この鴒帆がここにいるのだとも言えた。鴒帆とて、千里先の匂いを嗅ぎ分ける訳でもないのだ。ある程度、場所の目星を付けてからやってきたと考えるのが妥当だと言えた。
「……それならば、兄上は私の考えに賛同して下さる筈だ。あのお方をお救いするには、龍の鱗を手に入れる他に方法がないのだと、お分かりになるだろうに……」
「あのお方は……
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