第22話 夕餉には肉を……

「北の夕李ユイのくにでは、この様な毛色の獣は、幸福をもたらす有り難い獣とされていて、大事に崇め奉られていると聞きます。玫瑰まいかいというのは、夕季ユイの高地にだけ生息する、初夏に花開く真紅の花の名なのですが、それにちなんで、その花色と同じ美しい赤色の毛を持つ獣を、玫瑰の獣と呼ぶのだと」

「玫瑰の獣……」

 陽を弾いて艶々と光るその赤色は、美玻に、郷で祭祀の折に用いられていた法具を飾っていた柘榴石ザクロいしを連想させた。


――綺麗……こんなものが現実にいるなんて。

 その姿を見詰める。

 と、毛色に紛れて気が付かなかったが、獣の前足から血が流れ出ているのに気づいた。


「やだ、怪我してる……沖斗、この子を離してあげて」

「え……いや、それはしかし」

 沖斗が折角捕まえた獲物に、未練がましい視線を送る。

「スズリだって言ったじゃないの。とっても有り難い獣なんだって……幸運をもたらす獣なのよ?まさか、食べようなんて思ってないわよね?」

「……それは……まぁ……そうだけど……」

 そこまで言われてしまうと、本音では、たまたま珍しい毛色だというだけの肉の塊だと思っていても、そうとは言えなくなった。

 沖斗は、余計な博学を披露したスズリを恨みがましい目で見上げる。


 何しろ育ち盛りなのだ。それに、ただ歩いているだけの美玻やスズリと違って、荷物持ちから食料調達から水汲みから、ほとんどの力仕事を引き受けている身なのである。肉を食べねば、力が出ない。


――折角の肉なのにっ。こいつが余計なことを言ったせいでっ。


 そんな心の声は、口にせずとも簡単に向こうに伝わったようで、スズリはどこか申し訳なさそうな顔をして笑っていた。

「大丈夫、今、手当てをしてあげるから……」

 美玻は膝を付いて屈みこむと、暴れる獣の体を上手に掴んで、あっという間に懐に抱え込んでしまった。そして、尚も尻尾を掴んだままの沖斗を睨む。

「ほら、早く離して。獣は尾に触れられると、機嫌が悪くなるのよ」

 そう言われてしまうと、いい加減、沖斗も手を離さない訳にはいかなくなった。彼が渋々と手を離すと、尾はするすると巻き上がって薇の新芽のような形状を成し、腹の辺りに上手いこと収まった。

「ほーら、もう大丈夫」

 美玻が声を掛けながら、獣の喉をさする。しばらくすると、獣はごろごろと喉を鳴らし始めた。

「……やはり、猫の類か」

 スズリがどこか神妙な顔をして、少し離れた所から美玻の懐を覗きこむ。獣が警戒心を解いた所で、美玻が手早く前足の手当てを済ます。そして、獣をそっと地面に下ろすと、獣はそのまま茂みの中に姿を消した。



 肉を逃してしまったので、その日の夕餉は沢へ下りて魚を取った。沖斗が川辺で火を起こし、美玻が魚を焼いていると、いつの間にか、先刻の猫もどきが側に来ていた。火に炙られて、じんわりと脂の染み出し始めた魚を、真剣な眼差しで凝視している。

「やらんぞ。人数分しかないんだから」

 すかさず沖斗が牽制したが、「くれ」と言わんばかりの強力な視線は、目の前の獲物を捕らえたまま動かない。

「……ねぇ、沖斗……私の分なら、あげても構わない?」

 美玻がお伺いを立てるように、少し上目遣いになりながら訊く。

「あのな、俺が苦労して魚を捕まえたのは、こんな猫に喰わせる為じゃなくて、お前に……」


 美玻が、「お願い」という顔のまま、自分を見つめているのに気づいて、沖斗は言葉に詰まったように黙って視線を外す。ややあって、目を合わせないままで続けた。

「……途中でへたばられたら困るから、お前にはちゃんと食べさせろって、言われてんだよ。そもそもお前は体力ないくせに、食べなかったら、明日、歩くのがもっとしんどくなるんだぞ。そういうこと、分かって言ってるのか?大丈夫とか、気持ちの持ちようでどうにかなるなんて、甘いこと考えてる訳じゃないだろうな?お前の足が遅くなれば、探索の日数はどんどん延びていく。つまり、洸由……に迷惑を掛けることになるんだぞ」

「……それは、分かってるけど……」

 美玻がふてくされたように下を向く。たかが魚一匹に何でそこまで……という空気が沖斗にも伝わる。

「……」


――たかが、魚一匹のことに……何故、そんな大仰な物言いになるのか。


 沖斗自身、軽い自己嫌悪を感じて、ため息を付いた。要するに、焼もちと照れ隠し……なのだと自覚する。自分は、猫ごときに焼もちを焼き、それを気取られぬように、妙なへ理屈を並べて、魚を死守しようとした。猫に魚をやりたくないが為に。だってそれは、美玻のために獲った魚なのだ。それを美玻が、簡単に猫なんかにやるなどと言うから……


「……あ」

 美玻が短く声を上げた。そちらに視線を戻した沖斗が目にしたのは、猫が獲物をくわえて暗がりに逃げていく後ろ姿だった。

「……あぁ」

 沖斗の口から気の抜けた声が出た。

「ごめんなさいっ……本当に、上げるつもりはなくて……一瞬で、気が付いたらもう……」

「……いいよ、もう。何て言うか……魚に対する執念が半端ない奴に、隙を見せたこちらが拙かったってことだろうし」

 沖斗があっさりと言って立ち上がり、そのまま川の方へ歩いて行く。

「……沖斗?」

「もう一匹ぐらい、すぐ捕まえる」

 ぶっきら棒に返された声は、でも、怒ってはいない様だった。


 日暮れにはまだ時間はあったが、谷間にあたるこの場所では、陽は山の影に入り、すでに薄暗い。川の中も見づらくなっているだろうと、美玻は心配したが、沖斗は、短刀を川に投げ込む動作を何度も繰り返しながら、程なく、先程のものよりも小ぶりではあったが、数匹の収獲を手に戻って来た。

 そこで、また美玻が「凄い凄い」と連呼したものだから、沖斗はバツの悪そうな顔をしたまま、魚を焼かなければならなくなった。そこへ、薪を拾いに行っていた洸由とスズリが戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る