第21話 七宝五鍵(しっぽうごけん)

 美玻が泣き止んで落ち着くのを待って、彼らは更に山を登った。

 そして今、彼らは果て見の頂に立っていた。

 五年前に見たのと、ほとんど変わらない風景が目の前に広がっている。それだけで、美玻の胸は一杯になる。遥か天空を、陽を受けて白く輝く雲が、ゆるりと流れて行く。龍が天を下るのは、夏至の日だけと知っていても、どこかで畏れを感じながら空を見渡す。無論、そこに龍の姿は無かった。美玻は小さく安堵の吐息を落とした。


「何が見える?」

 背中から洸由の声が訊いた。

「……何って……言われても……」

 ただそこにある山や川や、草原に荒地、人が手を掛けた田や畑……それから、人里の家々。そんなものが、あるがままに見える。少なくとも、龍に関わりの有りそうなものは、特には見えないような……気がする。美玻が困ったような顔で振り向くと、スズリが笑みを浮かべて言った。

「龍は、水を司ると言われる生き物です。夏至に天下った龍は、行く先々で雨を降らせていくと、そう言われています。それも、ほんの僅かな時間で、尋常ならざる量を降らせるのだと。時に、その土地の形を変えてしまう程に」

「……つまり、そこには大きな水溜まりか、それに準じたものが現れるということか?」

 洸由が確認するように訊く。

「ええ、その通りです」

「水……たまり……」

 美玻が周囲を見渡した。少し離れた山の谷合いに、陽を受けて碧く輝く、鏡のような水面を見つけた。

「それは一説に、天鏡てんきょうの名で呼ばれ、神が天よりその姿を映す鏡であると。夏至の後、一夜にして現れて、数ヶ月のうちに消えていくと言われる、神の鏡です」

「鏡……って、あれのことでしょうか……」

 美玻が一点を指し示す。

「見えるのか?」

 洸由が、その横から身を乗り出した。

「あちらの方角に、いくつか……それらしきものが見えます」

 美玻の指の先を辿って、三人は一様に目を凝らしたが、彼らには見つけられなかった。

「……成程。やはり、遠見ありきの龍探索ということなのですね」

 スズリが得心のいったという顔をする。いくら知識を集めても、見えなければ龍を見つけることはできないのだと、改めて思い知らされる。


――故に、希物まれもの

 とは、よく言ったものだ。


 各国の王は、それぞれに、自国の希物を探す特別な力を持った者たちを従属させている。

 遠見を始めとする、そのような能力の持ち主は、七宝五鍵しっぽうごけんと呼ばれ、それぞれの国で、それぞれに秘匿されている存在なのだ。だから、通常は他国の者が、他国の希物を手に入れることは、まず出来ない。

 スズリが美玻と巡り合えたのは、本当に幸運だったのだと言わざるを得ない。


 ちなみに、遠見の他には、地中のものを探り当てる石見いわみ、相手の心の内を覗き見る心聞しんもん、遠くの音を聞くことが出来る相聞そうもん。そして、希物の匂いを嗅ぎわけるという芳聞ほうもんといった者たちが存在する。


「あちら、というと西の方ということだな」

 洸由が、傾きかけた陽の落ちていく方角を見定めて言う。

「……美玻の言い様では、山を二つ三つ越えた先、ということになりましょうか……」

「まあ、行って見ればわかることだがな」

 言いながら、洸由は踵を返しもう歩き出している。その洸由を、沖斗が留めた。

「どうした?」

「しっ」

 返事の代わりに、沖斗は人差し指を口に当てた。その刹那、茂みの中でカサリと小さな音が鳴った。


――何かいる。


 美玻は思わず息を飲む。そして、無意識にスズリの袖を掴んでいた。


 その二人を残して、沖斗と洸由が目配せを交わして腰の剣を抜くと、気配を殺して茂みを挟みこむように移動する。その間にも、カサリカサリと、何かがゆっくりと茂みを移動していく音が聞こえている。沖斗はその音を頼りに目標を見定め、思い切りよく茂みに剣を刺し込んだ。瞬間、遠慮がちだった音が、ガサガサッと大きなものになった。それと共に、茂みの枝が揺れ、今度は洸由がそれを目掛けて剣を振り下ろした。

 刹那――

「ぐゎえっぐゎえっ」

 という、珍妙な獣の声が辺りに響いた。

「……今宵の夕餉は肉、ですかね」

 スズリの声がどこか嬉しそうなのに、美玻が顔を顰めた。



 沖斗と洸由が、剣で茂みを掻き回す度に、ガサガサと派手な音を立てながら、獲物は「ぐゎえっぐゎえっ」と耳に馴染みのない妙な鳴き声を上げながら逃げ回っている。その鳴き声を聞きながら、スズリが、はて……と首を傾げる。

「……兎ではないのかな。鼠とも……違うか。狐狸の類……にしても、妙な声だし……一体、何なのだろう」

 思案を巡らせるスズリの横で、茂みで動く影を目で追っていた美玻が断言した。

「……猫」

「猫……?」

 と、彼が怪訝そうな顔をした所で、茂みから小さな獣が転がり出た。


 大きさ的には、確かに猫ぐらいだが、それにしては尾が、体長の数倍はあろうかという程、異様に長かった。動きはかなり敏捷で、普通なら容易には捕まえられないところであろうが、その妙ちくりんな尻尾のせいで、獣は捕獲の憂き目を見ることになった。獣は物凄い勢いで暴れまわるが、長い尾の先端を捕まえた沖斗の手は、それをしっかりと掴んで離さない。

「これは……山猫、の一種でしょうかね」

 スズリが、遠巻きにその珍しい獣を検分するように眺めて言う。まるで蛇のようにうねうねと動く尾を除けば、一番近いのはそれだった。だが……

「それにしては、変わった毛色をしているなぁ……」

 この辺りで生まれ育った美玻も、そんな色の獣を見たことがなかった。濃い茶色と言えなくもないが、それを通り越して、どちらかといえば……いや寧ろ、赤と言った方がいい色だ。

「……これは、玫瑰まいかいの獣かも知れません」

玫瑰まいかい?」

 美玻が聞き慣れない言葉を聞き返すと、スズリが頷いて説明してくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る