第3章 玫瑰の獣(まいかいのけもの)

第17話 嬉しいのに困る、とは

 彼らの出立は、夏至の日から五日ほど後のことになった。それというのも、翌日からスズリが高熱を出し、起き上がることもままならぬ容態になってしまったからである。



 夏至の翌朝、美玻が牢で目を覚ました時、その体にはスズリが掛けていた筈の上掛けが掛けられていた。スズリはといえば、その側で、壁に身を持たせかけるようにして、意識を失っていた。

 朝一番に、美玻の様子を見に来た沖斗が、それを見つけた。


 スズリの様子が深刻なのを一目で見て取った沖斗は、すぐに洸由に掛けあって、彼らを城の一室に移してくれた。当然、部屋の外に見張りは付けられたが、風通しのいい清潔な部屋は、牢の中とは比べものにならないほど快適だった。洸由に命じられてやってきた薬師が、上質な薬を使って手当てをし直し、解熱作用のある薬草を煎じたものを飲ませると、スズリの容態は間もなく落ち着いた。

 ただ、しばらくは大事を取って安静、旅に出るなどもっての外と言われて、スズリには大人しく寝ている他の選択肢はなかったのである。



 それから日に数度、食事と薬を持って、沖斗が部屋を訪れるようになった。

 本来、下っ端がやるような雑用を、洸由の右腕とも言われる沖斗が直に行っているということが、美玻に自分の存在の重さを改めて再認識させ、ついでにその気分をも重くさせた。それでも、幾度か言葉を交わすうちに、初めは怖く感じた沖斗の言動も、前に下働きの娘が言ったように、ただ愛想が無いだけで、気遣いの行き届いた、実に細やかなものであることに気づいた。


――本当は、優しい人なのかも知れない。


 そう気付くと、彼の実直さは、美玻の中でそのまま信頼に変わって行った。

 初めて出会った時のよそよそしさも、美玻が正式に遠見と認められてからは、もう感じることはなかった。そもそも、自分の方が祟り者という負い目を背負いこんでいたから、沖斗の態度が事更に冷たく感じたのかも知れないと、今ではそんな風にも思う。


 ところで、基本、必要最小限のやり取りしかしていかない沖斗から、美玻が苦心して聞き出したところによれば、スズリの件は、波紅王女が勝手にやったことの様で、洸由はその気紛れな振る舞いに大いに腹を立てていたという。洸由としては、今日明日にでも旅に出たかったのだ。大任を任されて、今度こそ手柄を立てるのだと、大いに気負いもし、気持ちも逸っていた。それなのに、忌々しい妹姫にその出鼻を挫かれた格好になった。


 その当人……波紅王女に関しては、比奈王に叱責された上に、しばらく山裾の離宮へやられたとか、へそを曲げた王女の方が自分から城を出て行ったのだとか、そんな噂が聞こえてきていた。それから、美玻たちが部屋に籠っていた数日の間に、遠見と龍の探索の件は、公然の秘密として扱うようにという王の意向が示された。これにより、城では彼女たちの存在は、そこにあってもないものとして、話題に乗せることすらも禁じられたという。


 これについては、自分たちの世話をしてくれる沖斗に、例の如く、美玻が無暗に恐縮するものだから、困った沖斗が説明したものだ。

 自分がこの役を任されたのは、そういう経緯で、洸由の配下の者数名の他は、この件に関わってはならないとされた為だと言った。だから、そんなに恐縮しなくてもいいのだし、逆にそんなに恐縮されるとやりづらいから、普通にして貰えないかと、最後にそう付け加えられた。

――ごめんなさいと、言い過ぎても良くない。

 そう諭されて、美玻はまた少し落ち込んだ。どこまでが良くて、どこまでが駄目なのか。あまり人と接することなく大きくなってしまった美玻には、そのさじ加減が良く分からない。……難しい。


 眉間に皺を寄せて、考え込んでしまった美玻に、スズリが言ったことは、

「あれは、単に照れ臭かっただけだろう。当人にとっては、やって当たり前のことで、これまで、それを感謝されることなど、ほとんど無かったのだろうからね」


――それは、本当は嬉しいということなのか。でも言われると困る……?嬉しいのに困る……


 余計分からなくなった。

 悩んでいると、美玻はそのままでいいのだと言われた。

「感情がすぐ見えて分かりやすい方が、扱いやすいからね」

 優しそうな顔をして、スズリは結構口が悪い。……というのは、一緒にいるようになって発見したことだ。

「……それは、あたしが単純だってことですよね?」

 ムッとした顔をすると、スズリがふふっと忍び笑いをする。


――本当に分かりやすい。


 そんな単純さが気に入ったなどと言ったら、この娘はまた更に頬を膨らませるのだろう。

「一応、褒め言葉のつもりなのですけれどね」

「そうは聞こえません……」

 口を尖らせて、更に拗ねたような顔を見せる。困って泣いてばかりだった顔が、ちょっとつつくと、色々な表情を見せる。寝ているばかりで詰まらないから、退屈しのぎにそれが面白くてついからかってしまうのだ、などとは、口が裂けても言えない訳だが……

 代わりに、

「そのまま、変わらずにいて下さいね」と。

 つい、本音が漏れた。


――この先、どんなことがあっても……深い深い傷を負うことになっても……

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